(6)
感謝と別れを告げ、深く頭を下げたミシェルに、ユーシスは驚愕の息をのむ。
そして、グリフィスにすぐ視線を向け、彼の目に驚きと絶望の色が浮かぶのを凝視してしまう。
グリフィスはぐっと唇をかみしめ、指が白くなるまで拳を握り締める。
狂おしいまでの想いを秘めた熱いまなざしでミシェルを見つめた後、思い切るように素早く視線をそらし、ミシェルに背を向けた。
ミシェルが顔を上げたとき、グリフィスはすでに背を向けて足早に去っていくところだったので、そんなグリフィスを見たのはユーシスだけだったが。
「風邪をひきます。すぐに入浴の準備をさせましょう」
ユーシスはため息をつき、グリフィスの背中からミシェルへと視線を移動させる。
そして、回廊の向こうを歩いているメイドを見つけ、ミシェルの部屋に急いで準備をするように申しつけた。
「ありがとうございます、サザーラント公爵様」
「当然のことです」
ユーシスはミシェルを促して、東棟へと歩き出す。
廊下を汚してしまうことをミシェルは気にしていたが、慌てて駆けつけてきたメイドたちにタオルを渡され、諦めたようだった。
「出ていくと言われましたが、あてはあるんですか?」
肩を並べて歩きながら、ユーシスは話しかける。
ミシェルはタオルに顔を半分以上埋めて表情を隠しながら、静かな口調で答えてくれた。
「友人の所に行こうと思います。いつ来てくれてもいいと、言ってもらっているので」
「もしかして、それは元婚約者?」
「はい。そうです」
「春までは、ここにいてはくれませんか?」
ユーシスの言葉に驚いたのだろう、ミシェルがそっとユーシスの表情を伺った。
グリフィス側の人間から、引き留められるとは思っていなかったのだろう。
「先ほどのグリフィスの態度については、僕から謝罪させてください。かなりひどかったですね」
記憶を失ってからずっと、グリフィスが悩み迷い苦しんでいたことは、ユーシスだって知っていた。
だが、ミシェルに対してあんな態度を取っているとは思ってもいなかった。
今日の態度は、メイドをしていたミシェルを罵倒したときよりも数段酷い。きっと、時がたつに連れてひどくなってきているのだろう。
「グリフィスがあなたを信じていないのには、理由があるんですよ。彼の女性不信は根深いんです。理由を、聞いていませんか?」
「いいえ。私は、陛下が女性不信だったことさえ、知りませんでした」
婚約するほどの仲だったというのに、ミシェルは何も知らないのかと、ユーシスは悲しい気持ちになった。
だが、知らなかったから、あんな言葉が言えたのだろう。
無条件にただ信じてほしいなど、人を信じたくとも信じられない、そんな状態のグリフィスに対して、あまりにも無慈悲だ。
「昔から、グリフィスはそうだったわけじゃありません。原因は、前の王妃、僕の姉なんです」
「前の王妃様?」
ミシェルは興味を持ってくれたようだった。
「僕の姉は、グリフィスの妻になることをずっと望んでいたんです。ですが、グリフィスの父上、前国王に見初められまして。姉は、愛している男の義理の母親になることになってしまった。姉はずっとグリフィスを諦めることが出来なくて。色々とグリフィスを苦しめたんですよ」
「……グリフィスは、公爵のお姉さまを愛していたんでしょうか?」
「いいえ。グリフィスには、姉に対する恋愛感情は全くありませんでしたよ」
だから余計に姉はグリフィスに対して躍起になり、グリフィスは嫌悪感を強めてしまった。
「姉は前国王陛下の後を追うように亡くなりました。三年前のことですが、グリフィスもこの城も、姉の影をいまだに引きずっていました。ですが、記憶を失う前のグリフィスは、女性不信を克服したように僕は思えました。あなたのおかげで、ミシェル」
ミシェルは驚いて顔を上げる。
「あなたと城に帰ってきてからのグリフィスに、僕はあまり会っていません。グリフィスは幸せそうで、僕と会うよりも、あなたと一緒にいたかったのでしょう。だから、なかなか確信できなかったのですが。グリフィスにはあなたが必要なのだと、僕は思います。グリフィスのために、どうか城にとどまってくれませんか?」
「……記憶を失う前の陛下は、私を必要としてくれていたかもしれません。でも、今の陛下は、私を必要とはされていません」
「そんなことはありませんよ」
と言いつつ、ついさっきグリフィスがミシェルを罵ったばかりで、説得力はゼロだなと、ユーシスは思っていた。
そしてやはり、ミシェルは傷ついている目を伏せ、小さく首を横に振った。
「出ていくのがいいと思います。どうぞ、お許しください」
「わかりました」
そんなミシェルを説得するのを、ユーシスは諦めた。
二人はお互いに傷つけあってしまっている。
グリフィスは、ミシェルを傷つけながら、自分も傷ついている。
そしてミシェルも、無自覚のままグリフィスを傷つけてしまい、その結果、更にグリフィスに傷つけられている。
これでは、悪循環だ。
今は二人の間に距離を置いたほうがいいのかもしれない。
傷つけあうのを止め、傷をいやし、お互いを思いやる時間が必要だ。
ユーシスは、苦いため息をついた。
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