(4)


 翌朝、ミシェルはいつもより早い時間に目を覚ました。

 昨夜はなかなか眠れなかったのだが、興奮しているせいか、寝不足でも頭はすっきりしていた。

 一晩で急に何かが変化するわけもないが、プレゼントやカードを見て、グリフィスがどう思ってくれたのか、何か返事をくれるのか、そんなことばかり考えてしまう。


 窓の外を見ると、雨が激しく降っていた。

 朝だというのに空は暗く、人気のない東棟はいつも以上にしんと静まりかえっている。

 朝食の時間まではまだかなりあるし、エルが挨拶に来るのもまだ先だ。

 ミシェルは、一人で少し散歩でもして、気を落ち着かせようと考える。

 するりとベッドから起き上がった。


「!」


 ヘッドボードに突き立てられているナイフに気が付き、ミシェルは息をのむ。

 勿論、眠るときはなかったし、こんな物を持ち込んだ覚えはない。


 ナイフの刃には、一枚のカードが刺しぬかれている。

 震える手でミシェルはナイフを抜くと、カードを刃から抜き取った。

 カードには短い文章が書かれていた。


『出て行け』


 ミシェルは大きく息をつき、肩を落とす。

 このカードとナイフがミシェルに伝えたいことは明白だ。

 グリフィスに近づかず、さっさと王城を出て行け。でなければ、命はないと。

 ミシェルの知らぬ間に、頭の上にナイフをつきたてられるのだから、殺すことだって難しくはないということだ。


 ナイフとカードをテーブルの上に置く。

 そして、テーブルに背を向けて視界から消した。


 グリフィスとの結婚を、周囲の誰もが喜んでいないことはよく知っていた。

 誰かに命を狙われていることも、グリフィスが記憶喪失になるきっかけとなった事件で、よくよく思い知った。

 だが、ここ数ヶ月、そういった動きはまるでなく、グリフィスが婚約を破棄したことで、暗殺者も興味を失ったのではと安心していた。


(陛下に近づくのは、命がけということね)


 暗殺者が誰かは知らないが、ミシェルが昨夜、グリフィスに接触してプレゼントを渡したことを知っているのは確実だと思えた。

 その誰かは、今もじっとミシェルの行動を監視しているのだ。


 ぞっと、背筋に悪寒が走った。

 婚約者だった頃はともかく、今のミシェルはあまりにも無防備だ。

 その誰かがその気になれば、ミシェルなど、あっと言う間に闇に葬られるだろう。


(駄目よ。落ち着いて)


 この王城に来て以来、自分がびくびくしていることをミシェルは自覚している。

 何も持たない田舎貴族の娘が、たった一人で生きていくには、この王城はあまりにも強大で。

 今も、こんな脅迫一つで、荷物をまとめて出て行きたい衝動にかられている。


(大丈夫。私の価値なんて、婚約者だったということだけなんだから)


 物静かで思慮深く、伯爵でなければ研究者になっていただろう父は、行動に出る前に深く思考することを、いつもミシェルに求めた。

 深呼吸して、一度目を閉ざす。

 王城には多くの人の考えが渦巻いていて、うかつに動くことは自分の首を絞めることにもなりかねない。


(この脅しをしてきた人が恐れているのは、私がもう一度婚約者になることだわ。だから、そうならなければ、これ以上、手出ししてこないはず)


 目障りだから、さっさと殺しておこうという凶悪な犯人なら、ミシェルが東棟に移ってからいつでも機会はあった。

 ミシェルが眠っているベッドにナイフを突き立てず、ミシェルの心臓を貫けばいいだけのこと。

 それでもこんなことをするのは、出来れば悪事に手を染めたくないと思っているからではないだろうか。


(もし、万が一、私が婚約者に戻るようなことがあれば、そのときは、陛下にお話しすればいい)


 グリフィスなら、犯人を探し出してくれるだろう。

 絶対に守ってくれる。


(だから、大丈夫よ)


 一つ深呼吸すると、ミシェルはナイフとカードを振り返る。

 今度はしっかりとそれらを手に取ると、小物入れの奥に隠し入れた。

 エルに見られれば、また心配して、大騒ぎになってしまうかもしれない。

 小物入れに鍵をかけると、ミシェルは気分転換に散歩に行こうと、改めて思った。




 城の構造は、メイドをしていたときに把握した。

 グリフィスの生活する内殿に近寄らないように、ミシェルは人けのない王城内を歩く。

 だが、自然と足は、昨夜グリフィスと会った東屋に向かっていた。


「ひどい雨」


 東屋に行くためには、中庭を突っ切っていかなければならない。

 だが、そうすれば絶対にびしょぬれになる。

 そうなれば、エルあたりに何をしていたのかと追求されてしまうだろう。

 東屋に行って、昨夜のことを思い返したい気分なのだが。諦めるしかないかと、東屋から視線を外そうとしたときだった。


「!」


 距離があるのでよくは見えないが、ミシェルはテーブルの上に見覚えのある箱を見つけてしまった。

 強い雨が降っていて視界も悪いが、間違いなく自分がプレゼントした物だと、ミシェルは気がついてしまった。

 そして、雨のことも、濡れることも忘れ、ミシェルは東屋に向かって走り出していた。


「どうして……」


 昨夜、グリフィスに渡したプレゼントは、そのままテーブルの上に残されていた。

 あまりのショックに、体がぶるぶると震えだす。


 震える指を伸ばし、箱を手に取ると、包装紙は一度外されて元に戻してあるのだとわかった。

 包装紙を外し、箱を開ける。

 中のプレゼントは、ミシェルが入れたままになっているように思えた。

 しかし、一緒に入れておいたカードは、封が切られた状態で、中に入っていた。


 グリフィスは、ミシェルからのメッセージをちゃんと読んだのだ。

 読んで、その上で、プレゼントを受け取らずに帰っていったのだ。

 しかも、処分しようともせず、誰の目に触れるかわからない所に、放置していったのだ。


(酷い)


 ミシェルの気持ちがこもっているプレゼントだとわかっていながら。

 中に、ミシェルの精一杯の愛の告白を入れたまま。

 グリフィスは、ここに放置していったのだ。


(記憶を失って、グリフィスは性格も変わってしまったの?)


 以前のグリフィスなら、絶対にこんなことはしなかった。

 最初からプレゼントを受け取らないか、受け取ったプレゼントを処分するにしても、カードぐらいは誰の目にも触れないようにしてくれたと思う。


 ミシェルは、がくりと膝を折り、その場に座り込んだ。

 おさえきれない嗚咽が、低くもれる。


 自分は何を期待していたのだろう。

 このプレゼントで、グリフィスが再び自分に心を開き、愛していると言ってくれるとでも?

 あの、頑なで、威圧的で、女嫌いな国王陛下が、自分のようなつまらない何処にでもいるような女に? そんな奇跡が再び起こるはずがない。

 気が狂っていたというグリフィスの言葉が、きっと正しかったのだ。そうとしか思えない。


 今のグリフィスを見ていると、自分の知っているグリフィスは幻のような存在に思える。

 幻と恋をして、幻と婚約し、結婚という現実の前に、消え失せたのだ。


 ひとしきり泣くと、ミシェルは涙をぬぐいながら立ち上がる。

 テーブルの上のプレゼントに、自然と視線は向かった。


(このまま、ここにあったら)


 これが誰かの目に触れることを考えると、ミシェルの目の奥に、新たな涙がじんわりと湧き上がってくる。


 だが、これは一度、グリフィスに贈ったものだ。

 どう処分するかは、グリフィスの自由だ。


 だからといって、このままここに置いておけば、いつかは誰かに見つかってしまう。

 雨が上がれば、東屋の掃除をしに、メイドの誰かが来るはずだ。

 そうすれば、不審に思って中を確かめるに違いない。

 そして、ミシェルが精一杯の思いを込めて書いたカードを、見つけるだろう。


 可哀想にと、同情してもらえるだろうか。

 それとも、身の程知らずなことをする女だと、笑われるだろうか。

 どちらにしても、噂はあっという間に広がるに決まっている。


(そんなこと……)


 愛しているという、とてもとても大切な思いを踏みにじられ、更にそれを嘲られるなんて、想像するだけでも恐ろしい。

 だが、一度贈った物を捨てることは出来ない。

 それに、時間をかけて一生懸命作った物を、処分する気にはどうしてもなれなかった。


「それなら、隠すしかない、よね」


 誰の目にも触れないところに、このプレゼントを隠してしまおう。

 見つかったとしても、もうミシェルなんて女がお城では忘れられてしまっている頃になるぐらい、人目に付かないところへ。


「雨で……雨でよかったかも」


 頬を伝う涙を手の甲で拭いながら、ミシェルは無理に笑顔を浮かべる。

 雨でなければ、すでにこのプレゼントは誰かに見つけられていただろう。

 早起きの庭師は、いつもこの東屋の近くを通って花壇の世話にいくのだから。


 そして、この雨の中なら、人目に触れずに隠すことも出来る。

 この大雨の中、外に出ようと考える者は、ミシェルぐらいだろうから。


 どこに隠そうか。

 考えながら、プレゼントを取り上げ、胸の中にぎゅっと抱きしめる。

 プレゼントに込めた思いごと、愛しているという思いごと、これを封印してしまおうと、ミシェルは心に決めていた。

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