(3)


 ミシェルは、胸にプレゼントの箱を抱きしめながら、中庭の東屋に向かって歩いていた。

 こちらに気が付いたグリフィスは、はっきりと顔をしかめた。だが、東屋から出ていくことはなく、表情を消し、じっとミシェルを見つめている。

 無言のまま、ただ動きを追ってくるグリフィスの視線に、ミシェルは自分が緊張し始めているのを自覚していた。

 怖いと思うのは、すでにもう条件反射のようなものだ。容赦ないグリフィスの真っ直ぐすぎる瞳の前に行くと、身の縮むような思いがする。


「あの……」


 東屋の入り口で、ミシェルは立ち止まった。

 うつむいてしまいそうになって、勇気を振り絞って顔を上げる。

 そして、何も言わずこちらをじっと見ているグリフィスと、逃げずに目と目を合わせることに成功した。


「入ってもよろしいですか?」

「……どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 拒否されるか、嫌味を言ってから承諾してくれるかどちらかだろうと覚悟していたミシェルは、グリフィスが素直に応じたので、少し拍子抜けしながらも、礼を言って頭を下げた。

 ドキドキしながらグリフィスのいる東屋に足を入れる。


「お誕生日、おめでとうございます」


 言って、ミシェルは再度、頭を下げた。


「一体、何がめでたいのやら」


 ミシェルの頭の上で、グリフィスがそうつぶやくのが聞こえた。

 驚いて、ミシェルは顔を上げる。

 背筋がぞくりとするほど、ミシェルを見るグリフィスの視線は冷たかった。


「そ、それは勿論、陛下がお生まれになったことを」


 まるで、白々しい嘘をつくなと言わんばかりに、グリフィスは喉の奥で低く笑った。

 ミシェルは、そんなグリフィスの態度に唇をきゅっと結んだ。


 ミシェルは口ごもったまま、うつむいてしまう。

 グリフィスの前に立つと、自分が萎縮するのを感じる。

 それは、この大きくて壮麗な王城を前にしたときに感じた、気後れに似ていた。


 目の前にいる人は、間違いなく愛し愛された恋人だというのに、誰よりも近くにいた人なのに。

 今、グリフィスを前に一番強く感じるのは恐怖だ。


 プレゼントを渡し、たくさん話をしようと考えてきた。

 出会ったときのこと、伯爵邸で一緒に過ごした楽しい日々のこと。

 だが、とてもそんなことは出来ないと思えた。


 グリフィスは全身でミシェルを拒否し、それを隠そうとしない。

 そしてミシェルの方も、そんな拒否を打ち破ってグリフィスに接近するだけの気力がわいてこなかった。 


(やっぱり、カードを入れておいてよかった)


 面と向かって言えなくても、グリフィスに自分の気持ちを伝えたい。

 もし、グリフィスが自分に何の感情も持っていないのなら、カードはそのまま捨て置かれるだろう。

 そして、もし、グリフィスが自分のことを見直してくれるのなら、後からきっと何か変化があるはずだから。


「あの……これを」


 ミシェルは、テーブルの上に用意してきたプレゼントをのせた。


「私からの誕生日プレゼントです。さ、差し出がましいことだとはわかっています。ですが、……どうか受け取ってください」


 グリフィスの反応が怖くて、ミシェルはうつむいたまま、グリフィスの前にプレゼントの箱を置いた。

 うつむいたまま、ドキドキとミシェルはグリフィスの言葉を待つ。

 だが、いつまでたっても、グリフィスから何の言葉もなかった。

 ミシェルが顔を上げると、皮肉げに苦笑しているグリフィスと目があった。


「わかった。貰っておく」

「あ、ありがとうございます」


 なぜ、グリフィスが笑っているのか、ミシェルはとても気になったが、問いただせるような勇気はなかった。


「用はそれだけか?」

「は、はいっ」


 では行けと、グリフィスは視線でミシェルにうながしてくる。

 ミシェルは慌てて腰を折って挨拶すると、そのまま東屋を出た。


 東屋から逃げるように、ほとんど小走りで遠ざかり、東屋が見えなくなってから、ようやくミシェルは歩調を緩める。

 両手を胸に当て、ほうっと長いため息をついた。


 計画していたとおりには出来なかった。

 せっかくの機会だったのに、グリフィスとほとんど話をすることも出来なかった。

 だが、とにかく、プレゼントを直接手渡しすることは出来たのだ。

 そして、グリフィスも受け取ってくれた。


(よかった!)


 今の自分にはこれが精一杯だったと思う。

 それに、自分の思いは、プレゼントの品とカードに、たっぷりと込めたつもりだ。

 グリフィスがそれを見て、どう思ってくれるのか、後は結果を待つだけ。

 ミシェルはそう思って、達成感に頬を上気させ、足取りも軽く部屋に帰っていった。


 だが、思いを伝えるのは、いつだってとても難しいことなのだ。







 グリフィスはミシェルが置いていったプレゼントを見つめながら、これを持ってきたミシェルの姿を思い起こしていた。

 髪を綺麗に結い上げ、豪華とはいえないまでも華やかなドレスに身を包み、きちんと化粧までしたミシェルは、いつもとはまた別の美しさだった。手を伸ばして触れてしまいたかった。

 だが、冷たくあしらうことは難しくなかった。


 ミシェルに対しては、愛しいと思う気持ちと、憎いと思う気持ちが、並び立つ。

 彼女にとって、今の自分が形見の人形程度の意味しか持たないことが、腹立たしいのを通り越して、憎い。


 そして、本来、このプレゼントを貰うはずだった男に対して、心からの嫉妬を感じる。

 記憶を失う前から、ミシェルはこれを用意しておいたのだろう。そして、処分に困って持ってきたに違いない。

 彼女にとって今の自分に渡すことは、墓の前に置くのと同じ意味を持つのだろう。


(そんな物を、喜んで貰えと?)


 冗談ではない。


(俺はそんなに安い男か)


 ふと、ソフィアが同じことを言っていたのを思い出して、グリフィスは苦笑を漏らした。


「グリフィス。いるんですか?」


 ユーシスの声に、グリフィスは我に返った。

 城の出入り口にユーシスが立ち、こちらをうかがっている。そして、グリフィスが一人だと確認して、歩いてくるようだ。

 咄嗟に、グリフィスは立ち上がった。


「いるぞ、ユーシス」


 そして、ユーシスを東屋まで来させないように、自分から東屋を出た。

 ユーシスに、ミシェルからのプレゼントを見られたくなかった。見れば、ユーシスは絶対にからかってくるに決まっている。

 それが、グリフィスにはどうしても嫌だった。


(あとで、一人になってから取りに来ればいい)


 ちらりとテーブルの上のプレゼントを振り返りながらも、グリフィスはユーシスの方に向かって早足で歩き始めた。

 そして、そのままプレゼントのことは忘れてしまった。

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