(2)
誕生日当日。
直前まで迷いに迷い、ミシェルはプレゼントの中にカードを入れた。
プレゼントを渡し、その場できちんと告白するつもりではいる。だが万が一、言えなくなってしまった時の保険だ。
今まで、何度もグリフィスには怒鳴られ叱責され侮辱されてきた。
そのせいか、グリフィスの前に立つと、また何か傷つけられるのではないかと、どうしても緊張してしまう。
どんな冷たい言葉が飛んできても傷つかないように、身構えるのに忙しくなってしまうのだ。
もし、何も言えずに帰ってしまったら、せっかくのチャンスが無駄になってしまう。
カードでの告白は逃げかもしれないが、何も伝えられないよりいい。
「ミシェル様。お時間です」
エルに呼ばれて、ミシェルはもう一度、鏡の中の自分をチェックした。
髪は昨夜しっかりと巻いて寝て、今日は納得いくまで何度も結い直した。後れ毛の一本もない。完璧。
女官長に借りた化粧道具で、出来る限りのお化粧もした。
ドレスは、収穫祭の舞踏会にドレスがなくて出席できなかったミシェルのため、女官長が次の機会にと、わざわざ用意してくれた物だ。
「大丈夫。とてもお綺麗ですよ」
鏡の向こうで、エルがにっこりと微笑んでくれた。
「ありがとう。陛下もそう思ってくれるといいんだけど」
「思ってくださいますよ。保証します」
「ありがとう」
実際、ミシェルはとても美しかった。
化粧をしてドレスを着たことで、とても華やかになった以上に、ここ数ヶ月ですっかり大人の女性に脱皮してしまったようだった。
グリフィスとの恋愛は、ミシェルを急速に大人にしてしまったのだろう。恋の甘さも、苦さも、ミシェルはここ数ヶ月で身をもって知ったのだから。
表情や身にまとう雰囲気が、以前のミシェルとは少し違っていた。
◆
パーティーが開かれている広間に面した中庭の奥にある東屋で、グリフィスは一人、ぼんやりと星を見上げていた。
この場所で人を待つようにと、ユーシスに言われてきたのだ。
誰に会うのか、ユーシスは最後までとぼけていた。
誕生日の夜にどこかの要人と極秘の話し合いの場を設定するほど、ユーシスは無粋な男ではないはずだから、多分、女だろう。
記憶喪失になってからずっと、グリフィスは女性を全くそばに寄せ付けていない。
しかも、ずっと苛々しているので、ユーシスや周辺の者達が、グリフィスの欲求不満解消策を考えている可能性は高い。
女を抱くような気分ではなかった。それでも、パーティーの騒ぎにもまじる気分でもなくて、グリフィスはユーシスの誘いに渋々のったのだが。
ぼんやりとする時間があれば、思うのはミシェルのことばかりだった。
(あの半年の間に……)
絶対に、ミシェルを抱いたはずだ。
あの王妃の間で新婚同然の生活をしていたとユーシスは言っていたし、なによりも自分が彼女に手を出さずにはいられなかっただろうから。
なにしろ、こうして距離を取っている今でさえ、そうなのだから。
あのたっぷりとした髪に、両手を差し入れてすいたら、どんな感じがするだろうか。
大きくて綺麗な碧の瞳を、間近からのぞきこんだら何が見えるのだろうか。
白くて細い首筋に唇をはわせたなら、ミシェルはどんな反応をするのだろうか。
華奢な体を組み敷いたら……、どうなってしまうのだろうか。
何日たっても、ミシェルの唇の感触は、唇の上から消えてなくならない。消えるどころか、ますます明確な記憶となって、グリフィスを苦しめる。
何度、夜にミシェルの部屋に行こうとする自分を押しとどめただろうか。
行ってしまえば、ミシェルに会ってしまったら、自分がなにをしでかすのか、グリフィスには全く自信がなかった。
(行ったところで、拒否されるだけのことだというのに)
ミシェルを我が物顔で独占していた男は、グリフィスであってグリフィスではない。
ミシェルが愛しているのは、すでに失われた男なのだから。
(彼女を抱いたのは、この体だというのに)
自分で自分に嫉妬するという、救いのないことを繰り返す自分にうんざりする。
失った記憶ごとミシェルをすっぱりと忘れられない自分にも、記憶を失ったといっても同じ男だとミシェルに言い寄ることも出来ない自分にも、うんざりだ。
だが、どうしようも出来ないのだ。
人の気配に、グリフィスは視線をあげた。
庭の奥から、こちらに近づいてくる人影がある。女だ。
あまり興味がないグリフィスは、足を投げ出して座ったまま、ぼんやりとその人影を見ていた。
だが、月の明かりの中にその姿が浮かびあがった時、はっと目を見張った。
ミシェルだ。
しかも、美しく着飾ったミシェルだった。
(ユーシスの奴っ)
グリフィスは、にやにやしていたユーシスの顔を思い出し、低く舌打ちした。
しかし、まだ遅くない。ミシェルがここに来る前に、こちらが東屋を出ていってしまえばいい。
これ以上、ミシェルに会うことは危険だ。しかも、こんな夜、誰もいない所で二人きりで会うなんて、最悪だ。
ここを出ていったほうがいい。
ミシェルには会わないほうがいい。
理性はさかんに、そうグリフィスに警告を発していた。
だが、グリフィスは出て行くどころか、近づいてくるミシェルから、一度も視線をそらすことさえ出来なかった。
あまりにも綺麗で。あまりにも可憐で。
そして、ミシェルがゆっくりと東屋に入ってくるまで、身動き一つ出来なかった。
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