第四章 逃亡への誘惑と認めたくない嫉妬

(1)


 月一度の元老院定例会で、ユーシスは吊るし上げにあっていた。

 その急先鋒は、勿論、現主席のロベール公爵である。


「あの田舎貴族の娘を、舞踏会に招待したそうではないか、サザーラント公爵」


 まったくどこから聞いてくるんだと、心の中で罵倒しつつ、ユーシスはにっこりと微笑んで見せた。


「お言葉ですが、陛下の元婚約者の伯爵令嬢を、田舎貴族の娘とは、少し言いすぎではないでしょうか」

「陛下は、あの娘にたぶらかされていたのだ。目が覚めて、喜ばしいことではないか」

「それこそ、陛下に失礼ですよ」


 ロベール公爵にとっては、ユーシスもグリフィスも孫のような年齢だ。

 その若造から諭されたとしても、はいそうですかと聞けるような男ではない。

 気位が高く、頑なな老人は、逆にユーシスをじろりとにらみつけた。


「陛下からあの娘を遠ざけることが、貴公の務めではないのかな。逆をするとは、どういった心づもりか」

「そこまでの気持ちは、私にはありません。例え、ミシェル嬢が出席したとしても、陛下とは同じ会場にはならなかったでしょう。会うこともなかったはずです」

「だが、実際、陛下はあの娘と会っているようではないか。貴公の招待がきっかけになったことは否めまい」


 本当に、どうしてここまで詳しく知ってるんだ?

 グリフィスの周辺に間者を入れているとしか思えない。一度、グリフィスの周囲を洗い直す必要性を心にとめながらも、ユーシスは内心、ため息をつく。


 ロベール公爵家とサザーラント公爵家は、昔からこの王国で双璧とされた名門で、ことあるごとに対立してきた。

 ここ数年は、サザーラント家のほうが繁栄していたのだが、先代の謀反によって急速に失速した。

 現ロベール公爵がこの好機を見逃すはずもなく、さらにサザーラント家を衰退させ、ロベール家の繁栄を確定的なものにしようと必死だ。


「サザーラント公爵。まさかとは思うが、そもそもあの娘を陛下に近づけたのは貴公ではあるまいな」


(因業じじいがっ)


 と、思いつつも、ユーシスは微笑をたやさない。

 疑い深く、何事においてもサザーラント家を敵視しているロベール公爵は、孫娘との縁談をぶち壊しそうになったミシェルの存在さえ、ユーシスと結びつけようとしているらしい。

 ユーシスにしてみれば、おいおいおいおいっ という感じだ。


「ヴァロア家は、ロベール家の親戚だと思っていましたが」

「馬鹿なっ。親戚と呼べるような家ではないわっ」


 ミシェルの実家、ヴァロア伯爵家は、ロベール家の分家の分家の、そのまた分家ぐらいにあたるらしい。親戚というにはあまりにも遠すぎる。

 だが、サザーラント家とは何の関係もないのだから、ユーシスにしてみれば、ロベール公爵に何か言われる筋合いなどないのである。


「陛下が何をお考えになってミシェル嬢と婚約したのかは、今となっては、誰にもわかりませんよ。失われてしまったのですから」

「記憶が戻りそうな兆候は全くみられないのか」

「残念ながら、全くありません」


 グリフィスの記憶が戻り、再びミシェルとの婚約を言い出されてはとても困るロベール公爵は、ほっとした表情を隠せなかった。


(安心するのは、まだ早いと思うけどねぇ)


 くすくすと笑い出したユーシスを、ロベール公爵は嫌な顔で見ていた。







 数日後。


 ユーシスの元に、ミシェルがグリフィスの誕生日パーティーに出席したいので、なんとか招待状を都合できないだろうかという申し出が届いた。

 いつもなら、ミシェルの個人的な要望など、ユーシスやグリフィスの耳に入る前に握りつぶされてしまう。

 だが、侍従見習いとして働き出したミシェルの執事と、同じく侍従見習いをしているユーシスの部下が個人的に親しくなったおかげで、時折、こうしてユーシスの元には届くようになった。


「誕生日パーティーの招待状、ねぇ」


 秘書からの報告書を読みながら、ユーシスは首を傾げた。

 つい先日、収穫祭の舞踏会にも欠席したミシェルが、グリフィスの誕生日の舞踏会には出席したいと言い出すなど、とても意外に思えたのだ。


「でも、これはどうしたものかなぁ」


 参加人数が収穫祭の時とは違うのだ。格段に少なく、出席者の顔ぶれも厳選される。

 ミシェルが出席したら、悪目立ちする可能性がある。

 ロベール公爵あたりに見つかったら、何を言われるかわかったものではない。


 グリフィスの周囲にいたロベール公爵のスパイは、適当な理由を付け、すでにクビにした。

 だが、絶対に懲りず、次を送り込んでくるのは、火を見るより明かというものだ。

 悪巧みをするのなら、スパイのいない、今しかないのかもしれない。


 しばらく考え込んでいたユーシスだったが、やがて侍従見習いをさせている部下を呼ぶように申しつけた。




 その頃、グリフィスは医者の診察を受けていた。

 グリフィスが呼び出して、記憶喪失のことについて、さらに詳しい説明を求めたのだ。


 しかし、医者の説明は以前とまるで変わらなかった。

 いつ記憶は戻るのかというグリフィスの質問に対して、医者はやはり明確な答えを出せなかった。

 記憶を取り戻したいというグリフィスの気持ちは大切だが、あまり焦るとよくないという、矛盾しているようなアドバイスが加えられただけだった。


 医者が帰ると、グリフィスは大きくため息をついて、椅子から立ち上がる。

 窓辺に立つと、ミシェルの滞在している東棟を見つめた。


(………)


 ミシェルに関する過去は、全て無かったことにしてしまいたいと思ってきた。

 だがもう、自分の気持ちに嘘はつけない。


 自分で自分に禁じながらも、グリフィスはミシェルに惹かれてしまっていた。

 この気持ちを無視し続けることも、ミシェルを無視し続けることも、かなり辛くなってしまっている。

 彼女を遠ざけることは、もしかしたら間違っているのかもしれないと、そう考えてしまう自分を止められないのだ。


 ミシェルとどう出会い、どんな付き合いをして婚約に至ったのか、事情だけでも知りたい。

 だが、ミシェルとはお忍びで出かけた先で会ったらしく、ユーシスは何も知らない。

 知っているのは、ミシェルだけだ。


 ミシェルなら、喜んで詳しく話してくれるだろう。

 だが、ミシェルから何を聞いても、自分は信用できないことを、グリフィスは知っている。


 ミシェルを心から信じることは出来ない。

 女は嘘つきだ。そして、思いこみが激しい。ミシェルの個人的主観だらけの事実など、聞いたところで何の意味もない。

 知りたければ、自分で思い出すしかないのだ。


(思い出そうとして、思い出せるものではない、か)


 医者は、失った記憶に深く関わっている物や場所、人に接触するのが、いいきっかけになることがあるとも言った。

 深く沈んだ記憶が、それによって刺激され、自然と浮上してくるのだそうだ。


 だが、城に帰ってからミシェルと生活していた部屋に行っても、何も感じなかった。

 ミシェルと出会い、一緒に生活していたヴァロア伯爵の屋敷は改築中。行ったところで、意味があるとも思えない。

 そうなると、残るはミシェルだけだ。


 グリフィスは、じっと机の上の鍵を見つめた。

 先ほど、出来上がってきたばかりの鍵。

 王妃の間の鍵を、ミシェルに渡そうとグリフィスは考えていた。

 記憶を失ったとはいえ、一度贈ったものを返せと言うほど、ケチな男ではないつもりだ。


 ミシェルに会うことは、諸刃の剣だ。

 会って話をする内に、失われた記憶が反応して浮上してくるかもしれない。

 だが、ミシェルと一緒にいる時間が長ければ長いほど、彼女に惹かれていく。必ず。

 そうなれば、自分がどう変わっていくのか、いつか冷静さを失ってしまうのではないかと思えて、恐ろしかった。


 それでも、グリフィスは鍵を手に取っていた。

 この気持ちは理屈ではない。

 ミシェルに会いたいという気持ちは、頭ではなく、心から湧き上がってくる。そして、理性を押し流す。


 さらに今は、この鍵を渡すためだという名目がある。

 理由もなく会いに行けるほどプライドは低くはないが、理由があるのなら別だ。

 王妃の間の鍵という他の者には託せない重要な物なら、国王が自ら持っていってもおかしくないではないか。


 グリフィスは自分にそう言い聞かせると、ミシェルに会うために、東棟に向かった。

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