(3)
翌日の夜、グリフィスの気持ちを知ってか知らずか、ユーシスはまたミシェルの話を持って来た。
「欠席の理由、聞いてきましたよ」
片眉を上げ、不快感を示したグリフィスに、ユーシスはにこにこと微笑んでいる。
「あなたが女性に手厳しいのは知ってましたが、ケチだとは知らなかった」
「なんだって?」
「欠席したのは、華やかな舞踏会に着ていくドレスがなかったからだそうです」
驚くグリフィスに、ユーシスは肩をすくめて見せた。
「直接聞きに言った侍従の話によると、言い訳ではなく、本当にドレスがなかったようだと」
「………」
「まさかないとは思わなかったんで、僕も特に気を配らなかったんですが。今後は気をつけますね」
グリフィスは、湧き上がってきたいろいろな感情を押し殺し、深く息をついた。
「……女官長を呼んでくれ」
女官長は、二人が婚約中にミシェルの世話をしている。
ドレスのことも、当然知っているはずだった。
すぐにやって来た女官長は、グリフィスが婚約中にたくさんのドレス等をミシェルに贈ったことを証言してくれた。
だが、ユーシスからミシェルが舞踏会に欠席した理由を聞いても、驚かなかった。
「ミシェルは、ドレスを置いていったのだと思います」
グリフィスの視線を避けるように、目を半ば伏せ、女官長は答えた。
ミシェルの話題で、特に彼女を援護するようなことは、グリフィスを怒らせてしまうとわかっているからだ。
「置いていっただと?」
「プレゼントされた時から、受け取るのをためらっていましたから。婚約を解消した今、持っていく権利はないと思ったのでしょう」
「……俺は少ししか贈らなかったのか」
少しだから、それを諦めて置いて出て行けたのではないかと、グリフィスはそう思いたかった。
そんなグリフィスの真意を理解しつつも、女官長は、はっきりとそれを否定した。
「陛下は気前の悪い方ではございません。ドレスも宝石も、王妃に相応しい質と量を、ミシェルにプレゼントされました」
自分の過去を憎むように、グリフィスは女官長をにらむ。
女官長は少し青ざめながらも、グリフィスの気に入らない事実を報告する。
「今も王妃の間に置いたままだと思います。ご自分の目で、ご覧になったらいかがでしょう」
無言で、グリフィスは立ちあがる。
そして、不機嫌なまま、執務室を出て行く。
扉が閉ざされ、ようやく、女官長は肩を落として息をついた。
「あなたは、ミシェルの味方なんですね」
ユーシスに声をかけられ、女官長は苦笑をもらす。
「ミシェルは明るくて気だてがよく、誰にでも優しい、とても気持ちのいい人です。メイドとして働いている短期間に、ミシェルは使用人達の心を捕らえてしまいました」
「彼女は王妃にふさわしいと?」
「それは、私にはわからないことです、ユーシス様。ただ、ミシェルが女主人になるのなら、この暗い王城も明るくなって、いい職場になるかもしれないと思っているだけで」
「前の王妃がもたらした闇を払えるのは、新しい王妃だけかもしれないね」
ユーシスのつぶやきを、女官長は聞かなかったふりで、静かに礼をして執務室を出て行った。
グリフィスは、王妃の間の扉を開けた。
王妃の私室は、全面的に改装させた覚えがある。それは、グリフィスが即位してすぐのことだ。
華美すぎると判断したからで、もっとシンプルで、それでいて王妃が住むにふさわしい豪華さとなるように、改装させた。
改装後の部屋を、グリフィスは見ていなかった。
だが、その室内は、自分が命じたように改装されたとは思えなかった。
ランプの明かりに浮かび上がったその部屋は、確かに華美ではなかった。壁紙や家具についても、シンプルだと言えるだろう。
しかし、この部屋に入って最初に感じるのは、なんともいえない可愛らしさであり、女らしさであり、家庭的な暖かさだった。
ベッドカバーが手作りのキルトで、それが優しい色合いだからだったり、テーブルクロスの縁に花の刺繍がさしてあったり、暖炉の上に細々とした小物が並んでいたり、壁に掛けてある絵画が深い森を描いた、どこか懐かしい感じのする物だったり。
そんな小さなことが重なり合って、グリフィスにそう感じさせたのだろう。
衣装部屋のドアを開けると、中には豪華なドレスが多数収納されていた。
どれもこれも流行の最先端のドレスで、ミシェルによく似合いそうだった。
グリフィスに、これらのドレスを贈った覚えは、勿論全くない。
だが、自分が選んだことは、どうやら否定できそうになかった。
今、ミシェルのためにドレスを選ぶとしても、多分、全く同じ物を選ぶだろうから。
ドレスはどれも袖を通した形跡がなかった。
ミシェルは城に来て、二ヶ月しかこの部屋にいなかったという。
そして、その間、ほとんど部屋の外に出ることはなかった。
豪華なドレスを普段着として着るような女ではないことを、これは証明している。
ドレッサーのジュエリーボックスを開けると、そこには大粒の宝石ばかりがずらりと並んでいた。
ネックレス、指輪、ブレスレット、イヤリング。どれも一目でわかるほど高価な品だ。売れば一財産になる。
だが、ミシェルはこれを置いていったのだ。
グリフィスはジュエリーボックスの蓋を乱暴に閉ざす。
(なんなんだ、一体っ!)
行き場のない怒りに、ジュエリーボックスの蓋を壊しそうな力で握り締めながら、鏡の中の自分をグリフィスは睨みつける。
これだけの物を、婚約を解消したからといって、平気で返せるミシェルという女は、馬鹿正直で物欲のない天使のような女か。
それとも、そう思わせようと計算出来る、稀代の悪女か。
『女のことなど、あなたは何もわかっていないのよ』
そう言って、断頭台に消えていった前王妃の顔が、不意にグリフィスの脳裏によみがえった。
わかりたくもないと、あの時、グリフィスは苦く思った。女など、信用に値しない生き物だと、思い知った。
『あの娘にはあまり近寄らないことですな、陛下。一度はたぶらかされたのですから。二度がないとは言い切れません』
ロベール公爵の言葉が、グリフィスを身震いさせる。
同じ過ちは……。父と同じ末路をたどることだけは……。
絶対にあってはならない。
冷静にならなくては。
国王に恋愛結婚など必要ない。
重要なのは、政治に口出しせず、おとなしく、夫に従順で、周囲が納得する身分の、子供を産める女ということだけだ。それだけなのだ。
なのに。わかっているのに。
グリフィスはミシェルに向かって坂を転げ落ちていくかのような自分の気持ちを、押さえることが難しくなってきていた。
ミシェルは違うかもしれない。今まで出会ってきたどんな女性とも、ミシェルは違うかもしれない。
そんな甘い期待が胸をうずかせる。甘い期待にどっぷりとひたって、甘い夢を見たくなる。
そんなことをすれば、自分は破滅かもしれないのに。
失われた半年の間も、こうして何度も考えたのだろうか。
それとも、もうミシェルに夢中で、何も考えられなかったのだろうか。
ミシェルは、決して自分から積極的にアピールしてくるほうではないようだ。
息つく暇もなくせめられるわけではないから、一歩引いて自分の中の思いを見つめ直すことが出来る。たっぷり考える時間はあったはずだ。
それとも、逆にじらされてイライラさせられ、何も考えられなかったのだろうか。
だが、どうしても欲しかっただけならば、王妃でなくても愛人として囲うだけでもよかったはずだ。
それなのに、王妃にと願ったのは、一体なぜなんだろうか。
王妃でなければ駄目だと、ミシェルが言い張ったのだろうか。
その主張に負けてしまうほど、彼女に惚れていたのだろうか。
それとも、ミシェルならば王妃にしても大丈夫な女だと、自分は判断したのだろうか。
知りたいと思った。
自分が何を考えてミシェルと婚約したのか。それとも、何も考えずに婚約したのか。
その経緯をすべて。
この夜、記憶を失って初めて、グリフィスは記憶を取り戻したいと願った。
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