第三章 天使か悪魔か。それとも希代なる悪女か。

(1)


 約一ヵ月後。


 秋の収穫祭が間近にせまってきていた。

 王都では今年の収穫を祝い、お祭り騒ぎが一週間続く。

 国王と元老院の主催となるので、祭りに参加する国民達は無料で飲み食いができ、最終日の夜には盛大な花火があがる。

 王都に住む人々は勿論、近隣からも多くの人々が王都に押し寄せる。この国最大の祭りである。


 祭りの初日の夜には、王城で盛大な舞踏会が催される。

 地方貴族でも少し余裕のある者は、この舞踏会と祭りに参加するために、王都に宿を予約しようと何か月も前から奮闘する。

 王都に屋敷を構える有力貴族達も、地方から頼ってやってくる一族の者達を迎える準備で、この時期はせわしなくない。

 王都と王城は、祭りの日を前に、活気にあふれていた。




 国王の執務室。


「初日の舞踏会には、ミシェルも誘ったらどうです?」


 なにかのついでのように、さりげなく言ったユーシスに、グリフィスは鋭い視線を向けた。

 この親友は、最近、何かというと自分をミシェルに近づけようとしているように思えてならない。

 のほほんとしているように見えて、本当は非常に優秀な策略家であることをグリフィスはよく知っているので、ユーシスの目的は何かとその腹の中を探っている。

 だが、そう簡単に本心を見せない男であることも、残念ながらよく知っていた。


「そんな必要は感じない」

「メイドの仕事も取り上げられて、部屋に閉じこもりきりじゃないですか。可哀想に。息抜きも必要でしょう」


 ちらりと、グリフィスを見る目には、『誰がメイドの仕事を取り上げたんでしょうね?』という責める色が浮かんでいる。


「参加人数も多いことですし、ミシェルが一人紛れ込んだところで、誰も気にとめないと思いますよ」


 初日の舞踏会はユーシスの言うとおり、かなりの参加人数だ。

 しかも、あまりに参加人数が多いために会場は二つに分けられ、格下の貴族達はグリフィスとは別室の会場でもてなされる。グリフィスも挨拶に出向くことはない。

 ミシェルも当然、そちらの会場なのだから、グリフィスに会うことはないだろう。


「まあ、いいじゃないですか。せっかく、祭りの時期に王都にいるんですしね」

「……そうだな」


 王都じゅうが祭り一色に染まる今、確かにミシェルをそこから隔離するのはあまりにもひどいと思えて、グリフィスは頷いた。


「彼女も喜びますよ。きっと、祭りを見るのも初めてでしょうしね。それに、ドレスで飾り立てたミシェルを一度見てみたかったんですよ。かなりの美女ですからねぇ、着飾れば豪華だと思いませんか?」

「知ったことか」


 そっけないグリフィスに肩をすくめて見せ、ユーシスはミシェルに伝言を頼むため、侍従を呼びに執務室を出ていった。


 グリフィスはため息をつく。

 興味ない返事をしておきながら、心の中では早くもドレス姿のミシェルを想像してしまっている自分が嫌で、手にしていたペンを机の上に転がした。


 最近、どうにも仕事が手につかない。

 原因は、……わかっている。

 ミシェルだ。


 神の情けか、気が狂っていたとしか思えない愚かな半年の記憶は、消え失せたというのに。

 ミシェルなど、いなかった事にして、以前のままの生活をおくれるはずなのに。


 実際、ミシェルは部屋に閉じこもりきりで姿を見せず、周囲も婚約のことなどグリフィスの一時的な気の迷いだったと思っているのか、もう話題にもしなくなっている。

 ほとんど記憶を失う前の環境に、戻っているというのに。

 肝心のグリフィスだけは、ミシェルにいつまでもこだわっていた。


 あれから会うこともない。遠くに姿を見ることさえない。ミシェルの噂話を聞くこともない。

 グリフィスにミシェルの話題をもちかけるのはユーシスぐらいで、ユーシスだってそう頻繁に話すわけではない。

 それなのに。どんどんミシェルに対する関心は薄れていくのが本当だろうに、グリフィスの中のミシェルの思いは強くなっていくばかりだった。


 あの時、ミシェルは笑っていた。

 満面の笑みを浮かべながら、歌に対する賞賛の拍手を受けていた。

 着ている物といえばお仕着せのメイド服だし、化粧気はまるでないし、身を飾る宝石の一つもつけていなかったが、ミシェルはとても美しかった。

 その事実を、グリフィスは認めないわけにはいかなかった。


 生き生きとして、清らかで、温かなミシェルの笑顔は、どんな高価な宝石の輝きにも勝っていた。

 加えて、あの透き通りそうな美しい声。思わず足を止め、聞き惚れ、見とれてしまった。

 そんな自分が許せなくて、その後、必要以上にミシェルにきつくあたってしまったのだ。


 ミシェルの美しさは、型にはめ込まれ、飾り立てられた、そんな作り物の美しさではないと思えた。

 今までにグリフィスが社交界で出会ってきた貴婦人とは、全く違う美しさだ。


(だというのに。あの髪を切ってしまったのだ。俺が勢いで口にしただけの言葉のせいで)


 流行の型に結い上げる必要など、全くない。

 あのふわふわな巻き毛は、ゆったりと背中に流しているのが美しいというのに。


(そこまでして俺に気に入られようというのか? そこまでして、婚約者の地位を取り戻そうとしているわけか?)


 グリフィスの気を引こうとしているのなら、ミシェルの作戦は成功していると言わざるを得ないだろう。

 狙いどおり、グリフィスはこうしてミシェルの事を考えてばかりいるのだから。


 ぐっと強く目を閉じ、グリフィスは自分にゆっくりと言い聞かせた。


(愚かな真似は、一度すれば十分だ。同じ過ちを繰り返してたまるものか)


 ノックの音がして、グリフィスはゆっくりと目を開けた。




 国王の下に、元老院という名門貴族の家長からなる議会が存在する。

 議会といっても、構成メンバーはわずか五名だが。

 その時々の国王との関係にもよるが、専制君主制のこの国において、国王に影響力を持つ発言が出来るのは、この元老院のみになる。


 グリフィスの父の時代、元老院は絶大な権力を誇っていた。

 先王は政治に全く興味を持たず、元老院にすべてを任せきりで、王妃が元老院主席の娘だったからだ。

 しかし、現在、元老院はほとんどその権力をグリフィスに奪われている。


 グリフィスは元からお飾りの国王になるつもりなど全くなかったし、元老院の存在を嫌っていた。

 国益のためではなく、自家の利益のためだけに国の政治を動かす元老院は、この国にとって害にしかならないと考えている。

 だが、廃止して名門貴族を敵に回すほどの暴挙にはでなかった。ただ、静かに無視してるだけだ。


 その元老院の現主席である、ロベール公爵がグリフィスを訪ねてきた。


「秋の収穫祭の舞踏会ですが、婚約を発表するには絶好の機会かと思われます」


 ロベール公爵は、初老の痩せた男。

 背筋はぴんと伸び、髪も髭も一分の隙もなく整えられ、何処から見ても名門貴族という男だ。

 元老院のメンバーの中でも、家柄、血筋、容姿といったものにとてもうるさい男でもある。そして、いつも自分の血筋の良さを誇りに思っていた。


「婚約? 一体、誰との婚約だというのだ」


「勿論、我が孫娘との婚約です」


 記憶を失う前のグリフィスがミシェルとの婚約を発表したとき、反対の急先鋒はこの老人だったに違いないと、グリフィスは内心でため息をついた。


「私はまだ誰とも婚約などするつもりはない」

「お言葉ですが、陛下。いつまでも独身というわけには参りません。そして、いつまでも独身でおられるから、あのようなどこの馬の骨かもわからぬような女につけ込まれるのではないですか」

「………」

「今すぐ結婚をとは申しません。しかし、婚約だけはして、きちんと身を固めておく必要はあるのではないでしょうか?」

「公爵の話はわかるが、それで相手がなぜロベール家の娘でなければならない?」


 グリフィスの切り返しに、公爵は言葉につまった。

 王妃を自分の身内からだし、国王の外戚として権力を握ろうとするのは、今に始まったことではない。先代がまさにそうだった。

 勿論、グリフィスはそれもふまえて、じっくりと王妃を決めるつもりでいた。


 ロベール家の孫娘ソフィアは、王妃として申し分ない女性だ。

 だが、グリフィスはロベール家とだけは縁続きになるまいと決めていたし、その他にもソフィアとは結婚できない理由があった。


「言われるまでもなく、王妃はじっくりと選ぶつもりだ。公爵が心配することではない」

「ですが、あの娘は未だ城に滞在しているそうではないですか。まさか、陛下はまだあの娘に未練をお持ちなのでは」

「無礼だぞ、公爵」

「この国の行く末に関わること。あのような娘を王妃として敬うことなど出来ません。この城に滞在していることさえ汚らわしい。即刻、追い出すべきでしょう。あの魔性の女を」

「そのつもりだ」

「あの娘にはあまり近寄らないことですな、陛下。一度はたぶらかされたのですから。二度がないとは言い切れません」

「無礼だぞ。いい加減にしろ」


 永遠と続きそうなロベール公爵の話を遮ると、グリフィスは退室をうながした。

 公爵は未練たっぷりな様子で、それでもグリフィスの睨みにあって、執務室を出て行った。


 扉が閉まって一人きりになると、グリフィスは再度、ため息をついていた。


 

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