負傷

ああ。

迷宮研究家よ。

サリア・アキュロンはこのとき、いくつか過ちを犯している。

以前“凍らぬ氷湖”の攻略の際には、上空の蜂たちは、自分たちの領域への侵入者、あるいは、餌としてサリアを見ていた。

一斉に攻撃にかかることなく、様子見をしていたのだ。


だが、このときの蜘蛛たちは、焦っていた。

目の前の敵を速やかに排除せねば、自分たちが殺される。

目の前の敵か、もしくは背後に控える自分たちの「親」ともいうべき存在に。


だから、少なくともこのときは、この戦い方を経験したモールではなく、直接に己を守れる剣士ルモウドを顕在させておくべきだったのだ。


投擲された球は破裂して、蜘蛛たちの上に粉を撒き散らした。

微細な粉末は、空を漂う。

移動速度をあげた蜘蛛を、モールのスリングショットと、バロンド伯レティシアのマジックアローが貫いた。


さらに、オルフェの剣が一体の頭を叩き割った。だが、蜘蛛は数が多い。

レティシアの剣がさらに二匹の蜘蛛の複眼を貫いた。

サリアを守るものは、いなくなる。


「三!」

先頭の蜘蛛に、駆けつけたモールが槌を叩きつけた。

「二!」

蜘蛛が紫の液体を放出。顔にそれを浴びたサリアの右目が真っ赤にそまる。

「三!」

激痛に構わずに、特殊なコーティングをした布の下に全員を潜り込ませた。

「点火!!」


稲妻が空間を満たした。



何秒か、何分間か。

サリアは、気を失っていた。

「サリア、サリア。わたしの迷宮学者、顔が」


レディシアの叫びは悲壮感をおびていた。


サリアは立ち上がった。顔の右半分が凄まじい激痛を伝えてくる。

目は両ともうまく開かなかった。


「ど、どんな具合?」


口も満足に開かなかった。蜘蛛の毒は皮膚をおかすだけてはなくて、麻痺の効果もあるのかもしれない。


「蜘蛛はみんな、倒れてる。」

レティシアの声がした。

「びっくりかえって脚をピクピクさせてるよ。

いま、モールを治療師と交替させるから」

「ま、まだ」


手探りでレティシアの腕を掴んだ。


「本体がくる。魔法使いを、ドルモをよんで。」

「おまえの治療が先だ!」

「蜘蛛をたたく方が先だよね。」


レティシアは、言い争っても無駄と思ったのか自分で治癒魔法かけてくれた。

辛うじて、サリアは目を開けることが出来た。


前方は見渡す限り、蜘蛛の死骸である。

逆さまに転がって、脚をぴくぴくと痙攣させているのが、最後の断末魔のようだ。

ほかに動くものはいない。


「電撃には耐性のひくい魔物だったようだ。」

レディシアが、やさしく言った。

「戻ったら、あらためて大精霊院で治癒をうけよう。大丈夫、元通りにきっとなるさ。」


自分がどんなになっているのか聞く勇気もなくなったサリアは、まだ声が出るうちに、と、モールに言った。


「ドルモに言って!

最大の火力の魔法で、やつの外殻に穴をあけて!」


「で、でも」

有能な斥候は反論した。

冷気のむこうから。屋敷ほどもある巨大なものが近づいてくる。動作はもっさりしていた。

冷気が効いている、というよりも、それは、もはや機敏な動作で、相手の攻撃をさける必要すらなくなったのだろう。


ジャイアントスパイダーの変異種。


『白骨宮殿』の主となった蜘蛛の魔物のいまの姿がそれだ。

多くの討伐隊を歯牙にかけ、肥太った魔物だ。



「あの巨体じゃあ、一発穴をあけたくらいじゃ、たいしたダメージにはならないよっ!」


「そうだなあ。」

のんびりした声で、元勇者は言った。

「あとは俺がやるよ。」


「お、おまえが?」

そう言ったのはモールだったが、レティシアも同じ表情だった。

「聖剣もないあまえが?

あの化け物に勝てるつもりなのか?」


「ああ、そうだな。勝ち負けで言ったらもとより勝負にならない。でもな、これから起きるのは戦いじゃない。」


オルフェは、クルリと長剣を逆手に構えた。


「ただの解体作業だ。」

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