三日前のこと(後)

メルクリウスは千切れるほどに唇を噛み締めた。

触手のむれに絡みつかれたジークは、すでに我をうしなって甘い嬌声をあげている。


くそっ。

わたしたちは肝心の戦闘においてさえ、こんなに無力だったのか。

伸びてきた触手を杖で打ち払う。


ジークは人形のような顔を歪め、細い体を海老反りにして快楽を貪っていた。あのあとにおそらく、兵士たちのように生気を吸い取られた死体となるのだろう。


そんな死に方はイヤだ。

イヤだ、イヤダ、いやあぁぁぁあっ!


触手は四方八方から襲いかかる。メルクリウスの技ではとても捌けない。

一本でも絡まれてしまえば、ジークと同じ運命をたどる。


「赤雷」


紡いでいた呪文がやっと完成した。

中心にオレンジの炎を宿した赤い球体が打ち上がる。

メルクリウスを包むように浮遊した球体から、雷が走った。


殺到する触手が一気に弾けとんだ。

そして、メルクリウスもまた。


「赤雷」はこんな風に使う技ではない。

相手の周りに射出して、相手を雷に包み込む魔術なのだ。

至近距離で使えば、自分にもダメージが及ぶ。


咄嗟に噛み締めた頬を食いちぎって、意識が飛ぶのはかろうじて回避した。

まとめて、触手を吹き飛ばしたことで、魔物もダメージにはなったのだろう。

ジークを責めていた触手も動きをとめて、ずるずると本体にむけて戻っていく。


オルフェを飲み込んだ怪物が膨れ上がり、内側から破裂した。

緑と紫のまじった汚液にまみれた両手からは、すでに聖剣も失われている。


「ファイナルブレイクアウトっ!!」


メルクリウスの知る限り、オルフェの技にそんなものはない。

まあ、適当に行き当たりばったりのほうがうまくいくことが多いのだ。この頭の足りない勇者殿は。


魔力を集中させて拳に紫電と火花が走り、そのまま組んだ両腕を怪物に叩きつける。


爆発が、怪物の破片を撒き散らした。

当然。

これも至近距離では使ってはいけないタイプの魔法だ。



わたちたちって。

メルクリウスは、自らの攻撃に自らダメージを負って、再び倒れ込むオルフェを絶望にみちた眼差しで見つめた。



ほんとばか。


大きなダメージは与えたのだろう。

無数の触手の集合体のように見えた怪物は、その半ばを消失させている。

だが、吹き飛んだ触手のうち、大きなものは再び合流すべく、汚液に塗れた中庭を這いずりながら、本体に向かう。


ジークは気を失っている。

メルクリウスは、「炎豆宝珠」を紡いだ。


豆粒ほどの、しかし、灼熱の玉が数珠繋ぎに怪物を取り囲み、爆発した。


再生中の触手の何本かが、ちぎれ、体液が地面を濡らした。

体内から発せられた奇怪な唸りは、苦悶の声か。


だが、それは怪物の再生をわずかに遅らせただけだった。


こんなときは・・・・こんなときはそうだ、決まって斥候が斥候が来てくれたんだ。

あのオルフェの幼なじみ。

優しい顔をした少年が。


聞きたくなかった懐かしい声が聞こえた。


「最果ての海の霧よ」


そうだ。こんなふうに。


どこからともなく、流れ込む霧は真紅だった。

浴びたメルクリウスの体から力が抜けていく。

耐えきれず、地面にひざをついた。だるい。そして眠い。


それは、彼女の体から魔力がぬけていくことの証。

赤い霧は、体内にまではいりこみ、その魔力を奪うのだ。

人間でも、魔術師なら動けないほどのだるさを感じる。


そして、存在そのものが魔力に依存している魔物ならば。


兵士たちを次々にに打ち倒し、勇者をも飲み込んだ怪物が、霧につつまれた。

メルクリウスの魔法にあれほど、頑強に抵抗したその体が、見る間に溶解していった。

どろどろに溶け、くずれて、汚らしい汚泥となって地面にしみていく。


触手がとけきったときに、そこにはひとりの少女の姿が残されていた。

かつて、オルフェの恋人・・・

かろうじてひとの姿は残っていた。


ああ・・・・


最後に怪物がはなった言葉はため息に似ていた。


おるふぇ・・・あいして・・・る。

その体もまた溶けおちていった。


どろどろの汚泥のなかに、倒れた伏したオルフェは。


まだ息をしていた。


「オルフェ、大丈夫?」

声をかけた少年に、オルフェはとびあがった。

命を救われた勇者は、鬼の形相だった。


「おせえんだばかやろうっ!」


殴りかかろうとした手は、ふるえ拳をつくることさえ、かなわなかったが。


拳が少年の頬に届く前に、炎、電撃、氷、毒、麻痺、ありとあらゆる攻撃魔法が殺到し、オルフェの身体はふっとんだ。

そのまま、壁にたたきつけられて、意識を失う。


「殿下! ご無事ですか。」


バラバラと駆けつける精鋭たちは第五王女“冷血姫”ルージェの親衛隊『蒼天たる騎士』。


少年は冷たく答えた。

「無事に決まってます。」

斥候・・・・元「狼と踊る」の斥候は、現在S級の冒険者だ。

そして、『冷血姫』第五王女ルージェの婚約者でもある。


かつて、勇者オルフェが、メリクルウスが、ジークが。

「無能」

と断じて殺しそこねたオルフェの幼なじみ。


「やりすぎです。だれかオルフェの治療を。」


壁は大きくひび割れて、今度こそ、完全に意識を失ったオルフェはピクリとも動かない。


集まった精鋭たちは、顔を見合わせた。

「恐れながら・・・」

リーダーらしき一人が口を開いた。

「彼らには、殿下の暗殺未遂の容疑がかかっております。

そして・・・現在この離宮に幽閉中のはず。この中庭でいったい何をしていたのやら。」


「彼らの奮闘のおかげで、魔物の市街地への侵入をふせぐことができました。」

「・・・」

「わかりました。ぼくがやります。」


ルークは失神したオルフェに手をかざす。


「清涼なる癒やしの霧。」


白い霧がオルフェを包んだ。

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