三日前のこと(中)

一瞬、狼狽したメリクリウスは、杖を構えた。

彼らはいろいろな面で欠陥だらけのパーティだった。それは認めざるを得ないだろう。しかし、欠陥だけなら、間違ってもS級になることはない。


状況は理解した。

オルフェが逃げ出すのに使うつもりだった隠し通路は、どういうわけか、位置が漏れて、逆に魔族の侵入に使われたのだ。


それにしても隠し通路である。そうそう広いはずはない。一度に入って来れる人数も限られるはずだ。その程度でこれで戦況自体がどうなるものでもないだろうに。

離宮に残った後詰めの兵はそれでも10名はいただろうか。

すでに大半が骸となり、確か守備隊の副長だった男は、蠢く触手の群れに半ば呑み込まれている。

触手の中に埋もれた顔は。


悍ましさと快楽で半ば狂っていた。


口腔内をねぶっていた触手が抜けると、副長は、息も絶え絶えにささやいた。


「お、おやめください。姫様。こ、このような」


そのまま白眼をむいて意識を失った顔が見る間に乾涸びた老人のものになっていく。

魔法士の若い男が、泣きながら火球を打ち込んだが、触手の表皮が焼けたのみで、目立った効果は内容だった。


触手の群れ中に、ぷくりと女性の顔が浮かんだ。

典雅にすら見える、瞳のないその顔は。


笑っていた。


火球を撃った魔法士を見つけると、鞭の速度で触手を伸ばして、彼を絡めとる。


「い、いやだあ!」


叫ぶ間もなく、本体の引き込まれとうとしたそのとき。


銀色の風が、触手の群れを両断した。

剣聖ジークのふるう剣は、「暁」。剣の流派は「水影流」。

触れるものはすべて断つ。


状況の判断より、命の危険より、まず目前の敵に反応する。単純で真っ直ぐ。

自分の欲望に対しても。戦いに対しても。

それがジークという剣士だった。


メリクリウス杖にともった炎は火球となった。それを触手の塊のような魔物に向けて放つ。同じレベル2の魔法であっても、彼女の放つそれは並の魔法士のそれとはまったく別物だ。


怪物の触手が何本か千切れ飛び、女の顔が泣き叫んだ。


「オルフェ、止めを!」


メリクリウスは、勇者を呼んだ。もともとタメに時間がかかるのが、勇者の必殺剣だ。だが、このタイミングならば充分なはず。

かつては、斥候がその役目を担っていた。彼がいなくなってオルフェが精彩を欠くようになったのはそのためだ。


だが、このとき。

オルフェはうずくまったもどしていた。


「なにをっ」


「あ、あれ、あの顔・・・」


蠢く触手のなかに浮かぶその顔。

ピンクの色のぬらぬらとひかるその顔は・・・


「ヨルガ姫殿下・・・・」


メルクリウスは、絵姿でしかみたことはない。幼げな顔立ちの素直そうな少女だった。それをオルフェがモノにして。

いっとき、オルフェがつきあっていたと言っていたその第三王女・・・


「あらあらあらあら・・・ゆうしゃさま・・・」


瞳のない目がたしかに、一行を捉えた。

触手のうねりがいっそうはげしくなり、逃げ出そうとした魔法師が打ち倒される。


「わたしはこれから、まちへいってできるだけたくさんのひとたちをころさないといけないのです・・・」


すでに、裏庭は、真っ二つに引き裂かれた死体。さきほどの副長のように生気を吸い取られたように干からびた死体が十数体ころがっていた。


この怪物を街にだしたら・・・・並の兵士では死体の山を量産するだけだ。

腕利きの冒険者や魔法士や退魔武器を備えた精鋭がこぞって正門へ、魔族の迎撃にむかっている今、被害はどれほどのものになるのだろう。


「じゃまはしないでくださいね。でもじゃましなくてもころします。そのようにうろのさまにめいじられました・・・ああ、いとしいおるふぇ・・・」


こいつを街に出すわけにはいかない。


メリクルウスは決心した。


ヨルガがなんのために、妖魔に堕ちたのかはわからない。それはあとからゆっくり調べればいいだろう。

おそらくは「ウロノ」という魔族が関係しているのだろうが。


妖魔になった人間はもう、人間には戻れない。

それが常識。

それが法則。

それが運命。



・・・えっと、わたしたちは、この街を脱出しようとしてたんじゃなかったけ?


そんな疑問を一切もたないオルフェは、口を拭うと、足を踏みしめ、触手を一本一本斬り伏せながら進む。

基本、オルフェはなにも考えていない。

そして、そういうときは意外にうまくいったりするのだ。

その脇を銀の風が駆け抜ける。


剣士ジークだ。

無数の触手を千の斬撃が迎え撃つ。


ジークの剣は、疾く、正確だ。特別に固く外皮をもつ巨体、たとえば龍などは相性がわるいが、この怪物相手ならば十分だった。

ぬらぬらした触手は、地面におちても動きをとめずに、ジークの足をからめとった。

転倒したジークの口腔内に触手が入り込む。鎧の隙間からもぐりこんだ触手はおそらく、下着のなかにも。


ゔぅぅっ


とジークがうめきをあげて身悶えた。人形のような顔が紅潮している。


こんなときに助けにはいるのは、斥候の役目だった。

オルフェはおそらく、ジークがピンチなことすら、気がつかなかったのだろう。

そのまま、触手を斬り伏せて、本体につっこんだ。


「オルフェ!魔法を」


言ってからメリクルウスは歯噛みした。遅い。

斥候ならば、もう数秒早く、魔法の始動を指示していた。


「聖剣グリフリーク!」


オルフェが叫んだ。

触手が数十本、束になりその頭上に振り下ろされた。

オルフェの聖剣の威力は不十分で、それを半ばまで切断したが、半分は勇者の背中を打ち据えた。


地面にめり込むほどに叩きつけられたオルフェは、口から血を流しながら、立ち上がる。


「怪物! ヨルガを返せ。」


「な、に、を。」


この台詞は、妖魔となったヨルガにも意外だったのだろう。

驚いたように、一瞬動きを止めた。

体当たりするように飛びついたオルフェの身体は、触手の群れに飲み込まれる。


「オルフェ!」


身悶えするジークに絡む触手を薬品で溶かしながら、進むメリクルウス。

指先から炎の弾丸を発射するが、怪物の表皮でむなしく、火花を散らすだけだった。


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