別れの時

 翌朝の4時。僕は半袖とジーパンにウエストポーチ、運動靴という身軽な服装で裏山へ向かった。まだ空は暗く、懐中電灯を使わないと足元もおぼつかなかったが、しばらく行くと木々の隙間から煌々とした光が漏れ出ていた。あの未確認飛行物体のライトがついているのだった。もうエンジンは稼働しているようだった。サラの姿が見えなくて周りを見回していると、UFOの口がはじめて開き、中から金髪を後ろで一つにくくった少女が出てきた。背景や時間帯も相まってどこか作り物のような…、実際、体に血は通っていないのだが——彼女を見ると、やはり本当に宇宙人だったのだと改めて思い知らされた。彼女はどこかほっとして緊張が解けたような顔をしていた。


「早い時間なのに来てくれてありがとう。ごめんなさい、この時間が向こうの活動時間帯と重なっているから、連絡するにも帰るにもちょうど良くて…」

「構わないよ、謝らないでよ」


 だって、サラとこうやって会えることは二度と無いんだから。そういうと、彼女は目を赤くした。と思ったらみるみるうちに涙が溢れてきて、顔を手で覆ってしまった。そこまで別れを悲しんでくれているのかと思うと少し寂しくなって、彼女には悲しみながらいってほしくないな、と思った。自然と僕は彼女を抱きしめていた。


「君の星の人が許可してくれるかは分からないけどさ、君たちが地球の資源を欲しいのならまた取りに来た時に会う機会があるんじゃないかな」


 サラの涙で肩のあたりがじんわりあたたかく湿った。僕は、小刻みなしゃっくりで震える細い体をさすった。


「…このままじゃ永遠に会えないよ」


 強く断言された。僕は彼女から体を離して、落ち着けるようにあえてゆっくり聞いた。


「どうして?」

「…イツキ、私と一緒に星へ帰ろう。私たちと家族になろうよ」

「ごめん、僕にも家族がいるから」

「お願い、一人ならきっと受け入れてもらえると思うの」

「さっきから何の話——」


「全員殺される。イツキも含めて」


 ころされる。そんな禍々しく物騒な言葉はしかし、実体を持たないまま頭の中でぼわんぼわん、と反響した。だが顔を上げたサラの青い瞳は真っ直ぐに僕を捉えていて、そこに嘘や偽りは一切無かった。彼女は僕の手を取って言った。


「黙っていてごめんなさい。でも、私が連絡を取って星に報告したら、家族が大勢こちらにやって来る」


 良質な資源を——乗り移る器を求めて。はっとした。僕は何の資源が彼女たちに足りないのか、一般的な物差しで勝手な推測をしていた。一度だって疑った事は無かった。技術の発達した、飢餓も争いもない平和な惑星。人口が爆発するに決まっている。しかし彼らは寄生する相手を必要とする身だ。それに、例え彼らに生殖能力が無かったとしても器は劣化していく。どちらにせよ…。目まぐるしく思考が働く中、僕は引っかかりを感じていた。この感覚は以前にもあったような。


「あの数が地球に来たら、間違いなくこの星は一月以内に乗っ取られる。これは避けられないの」

「…虚偽の報告をすればいいんだよ。生物はいませんでしたって」


 言った瞬間無理だな、と気付いた。サラは向こうを発つ前に生命反応を確かめてから来ている。証拠を示しもせずに何も無かったでは言い逃れられないだろう。彼女もそう言って否定した。次に彼女の口から出たのは、衝撃的な言葉だった。


「でも、関係ないでしょう?他の地球人がどうなっても」

「え」


 彼女は先程と同じ澄んだ瞳をしているはずだが、澄みきったその奥に暗い穴があるように見えた。僕は全身の毛が逆立つのを感じた。


「よく言っていたじゃない。周りの人間はくだらないって。地球はイツキに合っていないのよ。私と星へ帰れば、体も無駄な悩みも捨てて、みんなと同じになって、理想の家族と理想の環境で暮らせるの」


 地球を捨てて脳みそだけの人外になるか、ここでみんなと一緒に死ぬか。サラは真摯に僕を想って言っているのだろう。内容は歪だが一言ひとことに力がこもっている。だが反対に僕の胸のあたりは数分前とは嘘のように冷え切っていた。失望。落胆。僕は溜息をついて言った。


「僕は地球を捨てたいなんて一言も言っていないし、人間でなくなってまで君の星に行きたいとは思わないよ」


 サラは目を見開いたが、なおも食い下がった。


「連絡がついたら確実に死ぬんだよ。イツキは選ばれた地球人になれるのに…」


 切迫した状況になるまで敢えて黙っていたな。だが、僕はこの宇宙人に微笑んだ。そこには、無言の否定を含む色々な感情が込められていた。それに気付いたサラは一瞬俯いて、さっきまでの必死さとは打って変わって悲しげに、囁くような小声で念押しした。


「一緒に来てくれないんだね」

「うん。ごめん」


 僕はきっぱりと断った。そこに迷いは一切無かった。握られていた手が力なく離れ、少しの間沈黙が流れた。サラは考えるように俯いていたが、ゆっくりと顔を上げた。


「…分かってくれないのね。残念」


 そう言った彼女は今までに見たことのない表情をしていた。怒りで顔を赤くしているわけでも、悲しみに沈んでいるわけでもない。あらゆる感情が僕への執着と共にすっぽり抜け、美しいだけにマネキン人形のような無機質な顔面をしていた。その目は僕を映してはいたが、どこか遠くを見つめていた。彼女はまるで小さな子供がおもちゃに対して急に興味を失うように、さよならも言わずに背を向けてUFOの搭乗口へと歩き出した。


 ドッ、ドッ、ドッ。

 

 僕は、冷めて動きを鈍らせていた心臓が再び動き出すのをはっきりと感じ取った。これまでどうも宇宙人と接している感覚が無かった。だが、今日初めてサラが見せた異星人らしい感覚。普通の人間ではあり得ない命の価値観。何より決定的だったのはあの興味の失せたものに対する虚ろな目。僕はあの日サラの腹の中を覗いた時から宇宙人を信じたが、今再び確信した。彼女は紛れもなく、本質から異星人だ。


 自然と口角が上がった。僕はUFOへ乗り込もうとするサラの腕を掴み、引き戻した。彼女の肩を引き寄せ囁いた。


「いかないで」


 そのまま細い体を地面へ押し倒した。

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