「耳をふさげ」③

 色々考えてしまう。アンとの二人旅になってから特にだ。きっと心配ごとが多いからだ。ん?

 アンが手を引っ張ってくる。アンは遠くを指さしている。彼女が指さす方を見る。


 今、自分たちは国道を進んでいる。アンが居ては山道を越えるのは難易度が高いと判断してだが、そうなると別の危険がある。

 危険の一つ――強盗団が陣を張っている。複数のステレオラジオを傍に置いて、武器を持って国道を封鎖している。


 奴ら、イヤーカフを奪ってわざと怪音波を聞かせて殺される様を楽しむって噂があったが本当だったのか。ご丁寧に国道を封鎖までして。いや、自分が進もうとしていたルートに大木が倒れていたのも、もしかすると奴らの仕業か。


 アンが自分の手を引っ張る。パーを出して、首を傾げている。

 自分はグーを返して、周囲を見る。


 何か打開策は……あったぞ、いいものだ!

 そこら辺に転がっている持ち主が居なくなった車の一台を拝借した。

 思いっきりアクセルを踏み込み、自分は人生初の無免許運転を犯す。車は急発進し強盗団の検問目掛けて突撃する。逃げ遅れた奴がフロントに衝突し、回転しながら後ろに吹っ飛んでいった。アンと二人でそれを目で追う。


 

 強盗団の検問を越えて少しした辺り。自分も運転に慣れ始めた頃。

 何だか、自分がとんでもないことをしてしまったのに今更気付いて、手が震えてきた。

 すると、自分の様子に気付いたアンがそっと手を添えてくれた。

 温かい。

 ほっとして、急に自分が車を運転している事実と人をはねた事実に、無性に笑いが込み上げてきた。音は聞こえないが、「人でなしの強盗団め、ざまあみろ!」と叫んだ。

 アンに聞こえなくてよかった。教育に悪い。


 

『ジガです。国道〇〇で強盗団が検問を作っています。拠点が近くにあるようです、気を付けてください。皆さん、頑張って生き残って』



 ガス欠になった車を捨て、自分たちは徒歩で国道を進んでいた。


 ――最悪の事態はいつも唐突に容赦のない形でやってくる。


 アンが熱を出した。苦しそうな息をしている。それなのに、自分に心配をかけまいと懸命に歩こうとしていた。

 手持ちの薬はない。恩人たちのくれた薬は自分の治療に使いきられている。仮に近場の街に薬を取りに行くにしても、アンを一人残していく訳にはいかない。


 アンを背負っていくしかない。


 アンは朦朧としている。耳栓がズレた時に自分で直せるかどうかわからない。

 そうだ!

 自分が引き継いだイヤーカフをアンに装着させて紐で固定する。代わりに自分が耳栓を付ける。


 よし、準備は整った。

 ありがたいことに街はそう遠くない所にあった。薬局は荒らされていたが、それでも子供用の解熱剤が裏の倉庫に残っていた。

 薬を砕いて浄水に溶かしアンに飲ませる。どうか、良くなりますように。



『ジガです。富士の樹海に楽園があります。どうか、皆さん辿り着いてください。生き残ってください。助け合って下さい。奪い、争い、痛めつけることに何の意味があるんですか? 全部怪音波のせいなんです。だから、どうか人間は助け合って生き残って』



 やった! アンが良くなった。弱々しいがしっかり手を握り返してくる!

 よし、安心してくれアン。お前が完治するまで自分が背負ってやる。何だったら、このまま樹海に到着してやる。必ず、お前を楽園に連れていく。


 必ず――ガッ!?


 後ろから強い衝撃を食らい、頭に鈍い痛みが走る。

 な、何だ……?

 顔を上げると、何と先日に車で突破した強盗団の検問に居た連中がそこに居た。一人は顔面がぐちゃぐちゃに崩れるほど怪我をしている。恐らく、自分が跳ね飛ばした奴だ。

 なんてことだ。奴ら、自分たちを追ってきやがった。こんな、皆がいつ死ぬかもわからない大変な世界だっていうのに。ただ、復讐するためだけに追ってきやがったんだ⁉ そんなにイカれた連中だったのか……。

 驚きと恐怖を感じていると、強盗団は寝ているアンに手を伸ばす。


「やめろ、やめろ!」と叫ぶ。もちろん、イヤーカフを付けた連中に声は届かない。


 むしろ、暴れ出した自分に気付いた連中に足蹴にされ、踏みつけにされた。


「ぐっ……」


 顔が壊れた男は自分の反応を見て、ただでさえ不細工な顔に下卑た笑みを浮かべた。

 ――ああ。本当に、最悪っていうのは容赦なくやってくる。

 不細工な男はアンのイヤーカフを奪い取り、わざと身動きが取れない自分の目の前に投げて寄越した。そして、外の仲間にステレオラジオを持ってこさせた。


 アンはまだ意識を失っている。だが、目覚めたら……。


 考えたくもない想像に身の毛がよだつ。腹の底から強盗団への怒りが湧く。

 だが、奴らはそれをあざ笑うようにペンを走らせた紙を自分に見せつける。

 そこには、こう書かれている。


《このガキが脳みそを食われてしまうまで、お前の耳栓は取らない》


「く、そがッ……!!」


 こんな連中が居るのか。こいつらはこんな世界になる前から、こんなに邪悪だったのか。それとも、こんな世界がこちらみたいな邪悪を生んだのか。苦しむ自分と哀れなアンを見下して、大笑いしているクソったれども。

 どうでもいい。こいつらなんてどうだっていい。


「アン、アン! 待ってろ……! お前を、お前を――必ずッ!!」


 手を伸ばし、目の前のイヤーカフを掴む。

 自分は彼らに命を救われた。彼らの無念が、願いがこのイヤーカフには込められてる。アンも同じだ。命がけで妹を守った兄から、自分はアンを引き継いだ。

 自分は二つも願いを受け取ったんだ。受け取ったものを、しっかりと掴むんだ。楽園に辿り着くために!


 ――こんなところで這いつくばっている場合じゃない!


「ぐうううう!!」


 身体に目一杯の力を込め、踏みつけている足を跳ね飛ばした。

 強盗団など目もくれず、イヤーカフを拾い上げてアンの元に駆け寄ろうとする。


「アン――ぐふっ⁉」


 だが、例の不細工な男が邪魔をする。他の連中も立ちふさがる。

 底知れない怒りが湧いて来る。こいつら全員を殺してやる。

 喧嘩なんかしたことがない。だから、ただ無我夢中に暴れた。武器になるものならなんでも使って、とにかく連中を倒した。連中のイヤーカフを全て叩き壊してやった。

 こっちもボロボロだ。耳栓も、殴り合っている最中にどこかへ行ってしまった。


 ああ。昼間に耳が聞こえるのはいつぶりだろう。

 そんなことはどうでいい。アン、アン。


「アン……」


「ぅ、ぅうん……。ぁれ、どうしたの?」


 アンの声だ。いつからかジガよりも心の支えになっていた声だ。昼間に聞くお前の声は、こんなにも可愛らしくて。女の子にしては低い声、ちょっと暗い雰囲気なのは仕方ないよな、辛い想いをしたんだもの。


「……何でもないよ。なあ、アン。いつか、昼間っから沢山お喋りしたいな」


「うん。もっとしゃべりたい。夜だけじゃ、つまんない」


 最後にアンの声を聞けるなんて。


「そうだよな。もっと、喋っていたいよ」


 そうか。あの人たちも、きっとアンの兄ちゃんも。こんな気持ちだったんだろうな。

 凄く寂しくて、胸が熱くなって。けど、このイヤーカフを生きていて欲しい人に託すんだ。


「アン。このイヤーカフはな、色んな人の願いがこもってる。お前の兄ちゃんの願いもだ」


「兄ちゃん」


「そう。いつか、思いっきり大声で泣くんだ。泣いて、悲しんで。そしたら、お前らしく真っ直ぐ生きろ」


「……ねぇ。それには、アナタのもこもってる?」


「ああ。生きろ、アン」


 アンの耳を、引き継いできたイヤーカフでふさいでやる。

 後ろの方から強盗団の甲高い悲鳴が聞こえる。

 始まった。例の怪音波が、ついに聞こえ始めた。

 キーンというモスキート音のような高い音。音の中に、「ぎゃらぎゃら」という奇妙な啼き声が混じっている。それがステレオラジオから響く。


「ねえ、聞こえないよ。どうすればいいの?」


 アンに樹海までの地図と携帯ラジオを渡して、地図の樹海を差してチョキを出してから、パーを出す。

 最初はアンも首を横に振っていた。けれど、最後は自分に抱き着いた後、くるりと振り返って進み始めた。


「お前を生かすために生き残ったんだ」

 

 こっちの声が聞こえる筈はないが、アンが振り返った。その顔は涙でぐじゃぐじゃになっていた。


「さ゛よ゛な゛ら゛!!」


 そう言って、アンは振り返って走り出した。




 ……ああ。止めてくれよ、こっちだって泣きたくなる。お前と離れたくなんてないんだから。色んな思いが溢れてくる。整理なんかつくもんか。届かなくても、言葉にしたい。


「ありがとな! お前はこんな風になるな! 強盗に気を付けろ! えと、それで、……きっと辿り着けよ、楽園に! 大きくなって、幸せになっ――」


 ずぼっ。


 耳から何かが侵入した。鋭い爪が胴に食い込み、身体が『ソイツ』に持ち上げられる。

 キーンという音の中に、二メートルを超える巨体でのっぺりとしたビニールのような質感の灰色の肌を持ち、フック状の爪で獲物を捕らえ、蝶々のような口を耳に侵入させる『何か』が存在する。


 こいつが、怪音波、『何か』の正体――


 耳から侵入した口が脳に到達した。


「――⁉」


 今までの自分が記憶してきた全てが吸われていゆく。

 事件前の記憶も、命の恩人の記憶も、自分の記憶も、――アンの記憶も吸い取られた。

 記憶データを吸い取られた獲物は脳が負荷に耐えられず、熱を帯びて脳が溶けてしまう。そして、穴から溶けた脳を噴き出す。

 食事を終えた『ソイツ』は抜け殻を投げ捨てた。そして、次の獲物を求めて怪音波と共に、ラジオを通じて別のラジオへと伝播してゆく。

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ホラー短篇2022 桃山ほんま @82ki-aguri

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