対面
先ほどまで開かれていた化け物の口が今は閉じられ、その目は音のした方向へ向けられていた。
…なに?一体何が…?
周囲をゆっくりと見渡すと、私を取り巻いていた化け物の一匹の体が血を噴き出しながら倒れ込むところだった。
ドサリ。
頭があったはずの部分が残らず空気に置き換わっており、倒れ伏した首からは、絶え間なく血が流れ出ていた。
もう一匹の取り巻きは事態を把握できていないのか、漠然としながら辺りをキョロキョロと見回している。するとそこに…
ッッパァァァァアン!!!
再び破裂音がしたかと思うと、取り巻きが立っていた地面のすぐ横の雪が弾けて、大きく舞った。
取り巻きはそれに驚いたのか、小さく跳ね、唸った。
途方に暮れていた私を置いて、一番大きな化け物は、おそらく『それ』が放たれたであろう前方を見つめながらじっと動かない。
破裂音は先程の二発以降は聞こえず、激しい吹雪の中、ただゴーゴーという風の音が聞こえていた。私にできることは、ただ息を潜めて、化け物の視界から薄れようとすることだけだった。永遠にも感じられた時間だった。やがて化け物は小さく吠えると、生きていた取り巻きを連れて吹雪の中へと小走りで消えた。
まだ事態を飲み込めていなかった私は、自身の手を開いたり握ったりして、自分の四肢がまだくっついていることを確認していた。そのうちに、頬に冷たい雪が当たって、はっと我に帰った。
生きて、いる。
そう考えた瞬間、思い出したように胸が激しく動悸を打ち始め、口から荒い息が漏れる。どうやら圧倒されて、呼吸を忘れていたらしい。
なんとか脈を整えていると、吹雪に混じり、こちらへ近づいてくる一つの足音に気がついた。
ザッ、ザッ、ザッ。
まさか、あれがまた戻ってきたのか。
そう思い身を固くしたが、どうやら足音は、化け物たちが去った方の反対から聞こえているようだった。
こちらが身構えていると、やがて雪の中から、ひとつの人影が姿を現した。
人がいたという安心感とともに、その奇妙な出立に一抹の不安を感じた。
控えめに言っても、かなりの重装備だった。肩からは自身と同じくらいのリュックサックを背負い、右半身には中身の詰まった重そうな鞄を二つ肩から下げていた。
背中には私を二人縦にしても足りなそうな長い猟銃が携帯されており、長細い先端は腫れたように赤く熱を帯びて、小さく煙を上げていた。
顔から下を獣と鳥の羽ようなものですっぽりと覆っており、体格からははっきりしないが、おそらく背は私と同じぐらいだろう。厚い口当てが今外されたことでようやく、女性であるとわかった。赤い髪に、整った顔立ち。瞳は周囲の雪をかき集めたかのように白く澄んでいた。普段は目元にあてがっているのであろう分厚そうなゴーグルが今は持ち上げられ、真っ赤な両目が、今は品定めするように細められていた。
「あ、あの!」
先に言葉を発したのは私の方だった。突然の大声に不意を突かれたのか、彼女の目が少し開かれたように見えたが、次の瞬間には元の無表情に戻っていた。雪を踏みしめながら、少女がゆっくりとこちらへ向かってくる。
「さ、先程は、助けてくれてありがとうございました。あの、それでええっと…、ここってどこだかわかったりします?」
「…」
少女はこちらの質問には答えずにこちらの側まで歩くと、つけていた手袋を外して、力強く私の顔を掴み、自身の顔に近づけた。
「ひゃっ?!」
「ら□xなゔ◯ーぷ?」
何を言われているのかさっぱり分からず、頭が真っ白になった。
その可能性が、すっかり頭から抜け落ちていた。生物や環境も違うどこがで、言葉だけが運良く通じるなど都合がいいにも程がある。
「ああ、えっとぉ…」
しどろもどろになんとか言葉を返そうとするが、あたふたして何も言えずにいると、突然少女が興味を失ったように私を離して、来た方向へと戻り始めた。
突然のことにはっとして、また私は呆然とした。
まさか、このまま見捨てられる?
そんな可能性がふと頭をよぎる。私の体が、再び寒さを思い出したかのように震え出した。蘇る新鮮な
「ま、まって!!」
声を振り絞るが、少女は振り返らず進んでいく。追いかけたいのは山々だが、足が震えてうまく立つことすらままならない。
まずい、このままだと本当に…。
再び突きつけられた、孤独と死という絶望感に、私の頭は真っ白だった。
「いやだ!まってください!お願いします!」
死にたくない、死にたくない、死にたくない!
そんな思いが頂点に達して、私は最後の力を振り絞る気で、張り裂けんばかりに叫んだ。
「お願い!!置いていかないで!!」
少女が立ち止まり、振り返った。私は暗闇の中に一筋の光を見た気分になった。だが、どこか少女の様子が変だった。
冷静沈着そうに見えた顔が今ははっきりと驚きに染まり、その口は今にも何か言葉を発しそうに見えた。
まるで信じられないもの見たかのようにその目は見開かれており、小さく開かれた口元からは、ときどき白い息が吐き出されていた。
だが結局のところ、少女は再び踵を返して、雪の中に消えて行った。
そんな…と、私は絶望に染まるが、しばらくすると、少女は小さな何かを持って再び戻ってきた。少女がこちらへ駆け寄ってきて、その持ってきた小さな箱を私の前に置くと、箱の中央にあったボタンを少女踏んづける。
ポンッ。
すると、小さかったはずの箱が音とともに膨れ上がり、一気にコンテナのように組み上がった。
少女がその中からタオルを取り出すと、私に投げてきた。
どういうわけかそのタオルは暖かく、まるで先程まで熱されていたかのように薄く湯気を発していた。
「あ、ありがとうございます」
「…」
私の言葉には相変わらず反応を示さずに、少女はコンテナの中をまさぐっている。それでも構わずに、私は言葉を続けた。
「何を言っているか分からないかもしれませんが、それでも、ありがとうございます。あなたは命の恩人です」
少女はお目当てのものを見つけたようで、両手に分厚そうな布の束のようなものを持ってきて、私に差し出すと…
「別にいい。立てるか」
言葉を発した。
私はあんぐりと口を開けていた。
「え…ええ、あ、あっと、えっと…」
思いがけずに私がしどろもどろするのも構わずに、少女は話を続ける。
「これは防寒具だ。ここで濡れた服は命に関わる。それ脱いでこっちによこせ。目分だが多分サイズは合ってる」
「ああ…えっと、わかりました…」
もはや、そうと言うしか出来なかった。
ジャージを脱ぎながら、少女が渡してくれた服を広げる。宇宙服をしぼめて着ぐるみにしたかのようなデザインで、顔の部分には大きく穴が開いていた。服、と言うよりも何かの装備に近かった。
私が着替えている間、少女は気を使ったのか、小走りでどこかへ消えていった。吹雪の勢いは弱くなったとはいえ、まだまだ雪は降り続けている。
肌にあたる雪に震えながら、いそいそと着替えていると、消えていた少女がこちらへ戻ってくるのが見えた。それも、大きな荷物に乗って。
まるでラクダと馬を足したような見た目だった。長い首につぶろな瞳。全身を白い体毛で覆われて、後ろには小さな家のような、かなり大きなソリ型の荷台を引いていた。恐ろしさはない。だが、これはこれで異様だった。
少女が持っていた手綱を下ろすと、ラクダ馬(?)はそれに従ってゆっくりと腰を下ろした。少女はラクダ馬からは降りずに、こちらへ手を差し出して顎をくいっと引いた。乗れ、と言うことらしい。あわてて服をかき集めて、少女の手を取ると、少女は勢いに任せて私の体をヒョイっと持ち上げて、そのままラクダ馬の背の、彼女の後ろに乗せた。少女が再び手綱を引くと、視界が急に持ち上がり、ゆっくりと景色が横へ流れていく。
「…あの」
「なんだ」
私のボソボソとした声に、少女は前を向きながら答えた。
落ち着いて聞いてみると、少女の声は柔らかいもので、その表情とは違い、気遣いに満ちていることに私は気づいた。拒絶は感じないし、どこか懐かしさを感じさせるような、そんな声だった。
それに身を任せるように、私はずっと前から気になっていた疑問を彼女にぶつけた。
「ここは、どこですか」
「ふむ…どこ、どこね…」
私の質問に、少女は唸りながら首をひねる。
「どこ、と言われると、何というか迷うな。たがおそらく『あんたのもといた世界』とは違う場所だ、ということは言える」
少女の答えに、目の前が暗くなったように錯覚して、私はなすがままに自分の頭を少女の背にもたれかけた。
「大丈夫か?」
「はい。…少し、驚いただけです」
どんどんスピードを上げるラクダ馬の上で、私はこれまでの数時間に思考を巡らせていた。自分の手足がなくなったような感覚、顔に打ち付ける雪、血を失っていく体…。
その全てが、紛れもない現実だった。
「お前は、おそらく『来訪人』だ」
顔を前に向けたまま、少女がつぶやくように言った。
「『来訪人』?」
「ああ。数年に一度、世界のどこかで現れると聞いたことがある。原因は不明だが、いづれも未知の知識を持ち、私たちとは異なる肌に、知らない言葉を話すそうだ」
私は黙ったまま、眼前の少女の髪を見つめる。燃えるような緋、肩まで届きそうな美しい髪が、今は無造作に後ろで結ばれていた。
ふと疑問を覚え、私は少女に言った。
「でも、喋ってるじゃないですか、私たち。最初は分かりませんでしたけど。今は、はっきりと日本語を」
「…」
私の質問に、少女はしばらく答えなかった。先程と同じように唸りながら、今度は呟くように私に言った。
「そうか、やっぱりあんたにはそう聞こえるのか」
「え?」
少女は私の方を振り返って、思い出したかのように尋ねた。
「あんた、名前は?」
「ああ、えっと…」
「…」
少女は黙ったまま、こちらを見つめる。
「
少女の目が、ほんの少し見開かれたような気がした。だが、それは気のせいだったのかもしれない。
「そうか、カナエ…いい名前だな。私はシフだ。よろしくな」
シフ、が、顔を前に戻しながら、手綱を握り直す。
「それでだな、キョウコ。先程の話に戻るが…」
シフは視線を前に落としながら、ゆっくりと話し始めた。
「私はずっと、ニホンゴ、とやらではなく、自分の言葉を話している」
「え?それってどういう…?」
「いや、『来訪人』はいつも特別な力を持って現れると聞く。おそらく、これもその一つなのだろう」
私を遮って、思案をめぐらしながらシフは言葉を続ける。
「お前は、先程私達の言葉を話せるようになったんだよ、カナエ」
極寒世界少女生存記 @yaminabe4
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