極寒世界少女生存記

@yaminabe4

出現

ヒューヒューと、前方から吹き荒ぶ風が頰を刺す。ここに来てから数時間経つが、太陽はずっと、私の頭上に固定されたように動かない。雲一つない青空の下、私はたった一人で、この白い大地に立ち尽くしていた。


(寒い…)


気がつくと、私はここにいた。人っ子一人いない寒空の下、着ていたのは学校のジャージのみ。不運なことに、学生鞄もリュックも、初めから持ってはいないようだった。ここがどこかはわからない。だが、自分が先ほどまでいただろう場所とは根本的に法則の異なる世界であることは、なんとなく察した。


六本足のリスが、視界の端をちょこちょこと歩いていた。私に気づくと、三つの目玉をギョロッと動かして、どこかへ逃げて行った。


前後の記憶が曖昧で、ぼやけている。友達、生まれた環境、いたであろう両親の顔すら、全く思い出せない。ただ、私が先ほどまで存在していたはずの世界の常識、それだけは頭にこびりついている。後思い出せたのは、この孤独な環境下では毛程の役にも立たない、自分の名前だけ…。


そこまで考えて、いつのまにか自分の足が止まっていたことに気がつく。震える体を両手で抱きしめながら、何とか雪を掻き分けて足を前へ踏み込む。


手足の感覚は、すでに皆無だった。


おそらくは丘の、ようなところにたどり着いた。少し盛り上がった崖に立って、私は辺りを見下ろした。


「うっわぁ…」


口から、自然と感嘆が漏れた。


見渡す限りの、白景色だった。日光にあたって、大地がガラス細工のように光っている。こんもりと雪を被った針葉樹林が、所々に緑色をのぞかせて、あちこちに林立していた。鹿に似た、雪に紛れてしまいそうな白い体毛を持った動物の群れが、雪面を流れ星のように駆けていた。


美しく、しかし私にとっては無慈悲な光景だった。


雪に覆われた地表には人っ子一人もおらず、人工物はおろかその痕跡すらも見受けられない。絶望的なまでに、私は一人ぼっちだった。


「おーーい!!だれかーー!!」


叫んではみたが、雪が音を吸っているのかこだますら聞こえず、私の救難信号は何にも届くことなく雪に埋もれて消えた。


孤独感と不安で胸が締め付けられるようだった。気づくと、あたりでは雪が降り始めていた。


ザクッ、ザクッ。


とりあえず、手近に思えた林を目指して再び進み始めた。雪のせいで速度は遅く、動くたびに体温を奪われる。


「はぁ、ひぁ」


いつからか、視界は端からぼんやりと霞み始めていた。まぶたは段々と重みを増して、脳にのしかかってくる。


「う、うぅ…」


すでに体は限界に近づいていた。眠気は頬をつねり、唇を噛んでも着実に這い寄ってくる。


冬場の山中で寝たら死ぬと、昔誰かに教わった。


体が脳の奥まで凍りつき、眠るように最後を迎えるのだと。


なんとか林まで辿り着き、近場の木に体を下ろす。


「はぁ、はぁ」


寒い。体から出た汗が外気に冷やされて固まり、より一層私の体を冷やした。


寒さより、眠気が今は混ざっていた。その事実が、寒気とは別の意味で、私の背中を震わせていた。足を引き寄せ、体を丸めるが、体の震えは止まらない。


ハッハッ


もう、意識が途切れ途切れになっている。立ち上がることすら、出来そうもない。視界が狭まり、体の重心が傾いていく。


ハッハッ、ハッハッ


ふと、違和感を感じて視線を上げた。思考がゆっくりと回り出し、私の体に鞭を打つ。

先程から、自身のに加えて吐息が増えている?

かなり大きな音だ。何処かから、何かが私をみているのだ。


自分以外の何者かが、この近くにいる。


嬉しいはずの事実に、なぜか私は強張り、声を発することができなくなっていた。


生存のために全てを総動員して、木々の間へ目を凝らす。眠気は、いつのまにか恐怖に上書きされていた。


自分から数メートル離れた一本の木から、ひょっこりとなにかの顔がこちらを覗いているのに私は気づいた。


犬のような動物。だが、彼女の知っている犬とは大分様子が異なっていた。


木に同化するような茶色の毛を纏い、オオカミに似た鋭い顔に、目玉が四つ付いていた。


「ひっ」


小さく悲鳴を上げて、私は後ずさった。あの動物がどういったものであれ、関係ないと私は思った。おそらく人間である以上、彼らには餌以外の認識をされないだろうと本能が察していた。


怯える彼女をみて、謎の動物がゆっくりと、木の影から姿を表した。


おおむね、外見はオオカミと同じだろう。しかし大きい。距離があるので正確には分からないが、おそらく二メートル弱。かなり、大きい。


ザク、ザク。


そんな化け物が、雪を踏みしめゆっくりとこちらへ迫っていた。


「いや、いやいや!」


叫びながら、もと来た道を引き返す。だが、雪道に慣れない私と、その環境で今まで生き抜いてきたであろう野生生物とでは、差は歴然だった。雪をかき分けながら前か進んでいた足の感覚が消え、息が切れ、手をつく。体の方も、どうやら限界らしい。雪はいつのまにか吹雪へと変わり、もはやまともな移動すらままならなくなっていた。

ふと、一つの大きな影が自身に覆いかぶさっているのがわかった。顔を上げるとやはり、奴がいた。

あっという間に追いつかれ、私はいつのまにか。化け物は一体だけではなかった。三匹。一匹でも敵うはずのない異形の生き物が、三匹。大きさは、最初に見たのが一番大きかった。残り二匹はまだ一メートルもない。オオカミに少し似ていたが、それでも絶体絶命の危機に変わりはなかった。


小さめの二匹は、自分を囲むばかりで動こうとしない。おそらく一番大きいのが狩りのリーダーなのだろう。こちらへゆっくりと歩いて、黙って私を睥睨していた。


食われる。と、私は本能的に悟った。あと瞬き数回の間に、自身の頭蓋は粉々に砕かれ、身体を無惨に食い散らかされるのだ、と。


彼が口を開く前に一瞬見えた瞳は、真っ赤で、不思議と静かだった。


私は自然と目をつむった。


生きたいと、ただそれだけを願う。


寒さと恐れですくみ、放っておいても野垂れ死ぬ体ではあったけれど、心はまだ死を受け入れる準備はできていなかった。


しかし、その時。




パアァァァァアンッ!!


凄まじい破裂音がして、私は再び目を開いた。

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