#9 注意事項




「あっ、そうだ!俺、昼休みは図書委員の仕事あるんだったわ!すまんッ!」


「あっ、皐月くん!」




言うや否や皐月くんは逃げるように教室から走り去って行ってしまいました。



「……まぁ、仕事ならしゃーないか」



皐月くんが去った方を見ながら誰に言うでもなくクラスメイトで皐月くんの幼なじみの矢田美春さんが呟きます。



「兄さん、あぁ見えて真面目ですからね。もう……仕事なんてサボればいいのに」


「そういうアンタは見た目に反して不真面目よね」


「矢田先輩は見た目通り不真面目ですよね」


「あぁ?私の何処が不真面目だって言うのよ」


「普段の自分の行いを振り返って見ては?それにテストだって毎回赤点ギリギリじゃないですか。テスト期間中に兄さんを拘束するのいい加減辞めてもらえません?いい迷惑ですよ」


「うっさいわね。私の面倒を見るのが幼なじみである皐月の役目なんだから、そんなの当然じゃない」


「はぁ……まったくなんで兄さんはこんな女と幼なじみやってるんでしょうかね……さっさとやめればいいのに」


「幼なじみやめるってなによ。やめられるもんじゃないじゃない」



皐月くんの事で言い争い合う2人を前に、私は僅かばかりの疎外感を感じていました。


私よりも皐月くんと付き合いが長い2人。当然、私が知らない皐月くんをいっぱい知っていて、その事に嫉妬しないと言えば嘘でした。



まぁ、でも皐月くんの1番は私なんですけどね!



催眠アプリを使い皐月くん本人から聞き出していますので間違いありません。


それにもう皐月くんと私は深い所で結ばれてしまっている訳ですし。


お2人には悪いですが、先程の1件も皐月くんに仕事が無ければ、まず間違いなく私が選ばれていたでしょう。そう考えると何も焦る必要も無ければ、慌てる心配もありません。


付き合いが長いだけのお2人。確かに私より皐月くんと多くの時間を過ごして思い出は沢山あるでしょう。ですが、これからは私と皐月くんで素敵な思い出を沢山作っていけばいいだけの話です。


いまから楽しみで仕方ないですね!


しかし、それにしてもお2人は皐月くんと私にとって少し邪魔に感じてしまいます。こういった感情は非常によろしくないですが、そう思わずにはいられません。


いくら皐月くんが1番に私の事を思っていてくれても、お2人は幼なじみに義妹という立場。それを優しい皐月くんが無碍に出来るはずもありません。


縁を切れなどとは思いませんが、もう少し距離をとってもらいたいものです。



いっその事お2人に私と皐月くんの関係を話してしまいましょうか……。



いえ、それは少し危険を伴いますね。話す過程で私が皐月くんに催眠アプリを使用した事が露見したならば、お2人に責め立てられるのは間違いありません。


あくまで催眠アプリは皐月くんの気持ちを引き出す為に使用しただけで、彼そのものの意志を捻じ曲げて行動させた訳ではありませんが、それでも体面が非常に悪いです。


やはりここは何とかして皐月くん本人の口から私への想いをお2人に語って貰う必要があります。


私の事を襲ってしまうぐらいに私の事を愛している皐月くんですから、それをお2人に告げるのは時間の問題でしょう。


私がしなくてはならない事は皐月くんが告白しやすい状況を仕立て上げる事。いっぱい好き好きアピールをしていれば、いずれ皐月くんは我慢出来ずにみんなの前で私に対する愛を叫んでくれるに違いありません。


そうして私と皐月くんは皆さんに祝福されて結ばれるのです。あぁ、それを想うと気持ちが昂りますね!



もういっその事それも催眠アプリを使って……。



私の中から湧き上がる邪な感情。しかし、私はそれをなんとか打ち払います。


催眠アプリの効果は絶大で、これで皐月くんを思い通りする事が出来ますが、やはりこの催眠アプリは気軽に使うにはあまりに危険なものです。



思い返すのは催眠アプリを使い皐月くんと結ばれた翌日の放課後の事でした。




◇◇◇




「そうかいそうかい。無事に結ばれたようで何よりだよ。ボクもコレをキミに渡した甲斐があったというものさ」



「話がしたい」と何処からとも無く現れたのは、私に催眠アプリを授けてくださったあの胡散臭い……――は失礼ですね。素敵な女の人。


何やら催眠アプリを使用した感想を聞きたいとの事でした。


催眠アプリを使用した事は誰にも話していませんでしたが、何故、この人は知っていたのでしょうか?僅かに訝しむ気持ちが湧きましたが、彼女には催眠アプリを授けてくださった恩があったので、それは口にしませんでした。



「催眠アプリを使った感想は何となく分かったよ。ありがとう。さて、ここで少しキミにこの催眠アプリの注意点を話しておこうか、これを使用し催眠状態となった相手の催眠中の記憶は消えるとは言ったが、実はこれは不完全なものでね。少しのきっかけで催眠中の記憶が蘇ってしまう場合があるんだ」


「…………え?」



それは不味い、と思った。もし、皐月くんの記憶が蘇り、私が皐月くんに対して催眠アプリを使ったのが露見したならば、皐月くんに軽蔑され最悪嫌われてしまう可能性があります。


それはイヤだ。



「大丈夫。注意点を守ってくれさえいれば記憶が蘇ることはないよ」


「そ、そうですか……その注意点と言うのは?」


「キミが催眠アプリを使い知り得た、本来ならばキミが知るはずのない事を知っている事を相手に知られてはいけない」


「えーっと……それはつまり?」


「端的に言えば「なんで俺しか知らない事をキミが知ってるんだ?」と相手に疑問を抱かせる。これをトリガーにして記憶が蘇ってしまう可能性があるんだ。現実との齟齬が生まれた時に脳が勝手に記憶を引っ張り出してしまうってところかな。逆を言えばそれで催眠中の記憶を蘇らせることも出来るわけだね。もし催眠中の記憶を思い出させたいのなら、そう言った事を相手に話せばいい」


「な、なるほど……」


「それと催眠中にあった事を話しても記憶は蘇る可能性があるよ。催眠中に私とアナタはこんなことしました!なんて話すと危険だね」


「…………ッ!」



冷りと私の背筋に冷たいものが流れる。



――もう!皐月くんったら白井さんだなんて他人行儀な呼び方……私のことは名前で呼んでくださいって言ったじゃないですか……。



あの時、皐月くんは私の言葉に少し疑問を抱いていた。



大丈夫……だよね?記憶、戻ってないよね?



今日の朝の話だ。私は自分の記憶を巡る。あの後、皐月くんにはこれといって変わった様子は見られなかった。だからきっと記憶は戻っていないはず。


でも、もし。記憶が戻っていたなら……。



「あれ?これはもしや既に何か思い当たることをしてしまったのかな?はははっ、これは悪いことをしてしまったね。注意事項を伝え忘れたボクのミスだ。すまないすまない。まぁ安心しなよ。早々に思い出す可能性は低いし多分大丈夫だろうさ」



悪びれもせずに愉快に笑う姿が私の脳裏に焼き付いた。



「これからは充分に気をつけるといいよ」









[補足]

月曜日放課後 聖女様と

火曜日放課後 義妹と 聖女様と胡散臭い女

水曜日放課後 幼なじみと

木曜日昼休み 現在

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