第24話

「恋人だったんですか?」


 学校の前で露子さんが浮かべていた悲哀の表情の理由が漸くわかった。ある程度想像はしていた。それでも彼女の心境を思うと胸が苦しい。渡邊さんと出会って、二人の仲睦まじい姿は唯一救いのある話だった。せめてそういう関係でいてくれたら生前の露子さんは幸せだったはずだと、希望を手繰り寄せるように訊ねた。


「そうなれると思ってはいたよ。雨宮さんが和傘をさした時に君が言ったことが叶うんじゃないかって」

「私が?なんて言ったんですか?」

「お嫁さんみたいだね」


 渡邊さんは恥ずかしそうに笑った。そして後ろにいる露子さんもその声に重なった。露子さんの声は震えている。


「ずっと彼女の傍にいたいって思った。子供だったけど真剣だったよ。でもすぐに打ち砕かれたんだ」


 渡邊さんはぐっと息を止めるように黙った。これから話される彼女の死、この場にいる誰もが息を飲む。彼は泣き出しそうになるのをぐっと抑えてひとつ呼吸をする。


「次の日はちょうど雨の予報がされてたから傘を使うのが楽しみだと言ってた。人の目を避け続けた雨宮さんが初めて目立つ傘を持つことを喜んでくれたのが嬉しかった。俺も楽しみで早めに学校に行って窓から校舎をずっと見ていた。でも彼女は学校に来なかったんだ。始業のベルと共に慌てて担任が入ってきて、教室をきょろきょろ見渡したら、一時間目の準備をしなさいとだけ言って出て行った。何かがあったと思った。嫌な予感はずっとしていたけど、何も情報が入ってこなかった。彼女が交通事故にあって亡くなったと知ったのは次の日の朝だった」

「交通事故?」


 そう聞いて少し拍子抜けした。露子さんが記憶を蘇らせると決めた時不安に思った。もし彼女の死が非業のものだとしたら?渡邊さんの話を聞いて不安は増幅していた。交通事故は露子さんも残された人たちもショックには違いないが、自殺でも虐待死でもなかったことは不謹慎でもつかの間安堵を覚える。


「それで…」

「俺のクラスは学校の代表として葬儀に参列した。末席に座らされた。どこか気怠い雰囲気が漂っているのが嫌で嫌でたまらなかった。俺は風花ちゃんもいるかと思って会場を見渡した。焼香の時にお母さんに手を引かれていた君をみた」


 渡邊さんは言い淀んだ。葬式会場で何かがあったと言ってるも同然だった。


「なにかあったんですね?」

「それは…」

「教えてください」


 後ろで露子さんがやめてと呟いているのに気づいていたけど、気付かないふりをした。


「君のお母さんが焼香をして君も見様見真似で拝んでいた。そんな二人に彼女の母親は…」

「やめて!」


 一瞬何が起こったかわからなかった。意識ははっきりしていた。目は渡邊さんをまっすぐ見ていた。鼻はお香でくすぐられてる。耳は渡邊さんの声を聴いていた。はっきり叫んだ声は私の声だった。でも口は私の口ではなかった。


「やめて、言わないで、お願い」


 此処にいる誰もが立ち上がった私を驚きの眼差しで見た。私は部屋を走り出た。足も私の足ではなかった。後ろから聞こえる渡邊さんの声は確かに言った。「雨宮さん?」と。




「細井!」

「は、はい!」


 北条君の声により脳を直撃するような感覚で現実に引き戻された。あ、と小さな声をあげ口に手をやる。

いつの間にか店の外に出ていた。店の中を見ると河西さんが私たちの様子を伺っている。軽く頭をさげると会釈が返された。四肢も自分の意思で動かせることを確認した。北条君の背後に罰が悪そうにいた露子さんが浮いていた。


「大丈夫?」

「うん…大丈夫」


 掌を握ったり開いたりを繰り返した。自分の感覚で間違いないはずだが何度も確認する。


「何が起こったの?」

「多分、露子さんが体に取り憑いたんだと思う。感覚はあっても体の自由が利かなかった」

「それって大丈夫なの?」


 露子さんを見ると今にも泣きだしそうな顔でそっぽを向いている。


「うん。特に悪い影響はないみたい」


 笑ってみせたが北条君はまだ不安そうにこちらをみていた。きっと私も同じ顔をしていたのだろう。


「そういえば白川さんと渡邊さんは?」

「まだ店の中にいるよ」

「絶対変に思われたよね」

「驚いてはいたけど何か察したみたいだよ。少なくとも渡邊さんは露子さんの影を感じたようだし」


 去り際に聞こえた声は露子さんの苗字を呼んでいたのは間違いなかった。


「ねえ露子さん」


 露子さんは私と目があうとすぐに視線を外し地面に落とす。


「大丈夫?」

「ええ…」

「なにか思い出したんでしょう?渡邊さんのこと止めてたよね。私のこと?」

 答えなかった。眉間を寄せている。

「もういい」

「え?」

「約束はもういいわ。私は思い出したし十分よ。早く帰りましょう」

「どうして?」

「どうしてもよ。私がいいならいいでしょう」

「露子さん!」


 露子さんの言葉を遮る大きな声は道行く人の視線を一身に集めた。しかし構わず声を張り上げた。


「露子さんが良くても私はよくないよ!勝手に決めないで!」


 露子さんはぐっと黙り込んだ。


「細井、一旦落ちつこう?露子さんも思い出して混乱してるんだよ。君も同じに見える」


 人々は私たちを見てはいるが足を止めることなく過ぎ去る。すぐに興味を失せ自分たちの道へと戻っていく。


「露子さんも、今は結論を急がない。それでいいよね」


 沈黙が流れた。肯定も否定も出来なかった。


「二人ともどうしたの?中にまで声が響いてるわ」


 白川さんと渡邊さんが心配そうに外に出てきた。大人に声をかけられて急激に恥ずかしさが増す。


「すみません。お騒がせしました」


 渡邊さんは首を横に振って笑った。


「一気に話して戸惑うこともあるだろう?今日はいったん帰りなさい。ね」


 頭に手を置いてなでる。この手には覚えがある。


「また来てもいいですか?」

「勿論だよ。その時は雨宮さんのことも聴かせて」


 見えないはずの露子さんをその目に映しているように空を見つめていた。

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