第25話
帰りの電車は休日を満喫した人でごった返していた。乗り込むまでは白川さんと北条君の傍で並んで待っていたが、電車のドアが開いたと同時に車内に人が流れ込みはぐれてしまった。視界にそれぞれの姿が見えるのを確認はできたのでほっとする。ぎゅうぎゅうに詰められた車内は人の熱気や体臭で息苦しい。少しでも新鮮な空気を求める金魚のように気持ち顔をあげて踏ん張った。
三駅を過ぎる頃には場所にゆとりが出て離れていた三人は目線で合図して集まった。白川さんから「大丈夫?」と訊かれ「大丈夫です」と返した。
疲れが出てきているせいか誰も会話を振ろうとはしなかった。それぞれの視線の先にある景色や釣り広告をぼんやりと眺める。私は露子さんを見た。電車に乗る度にわが物顔で網棚に寝ころぶ露子さんも見慣れてきた。
そんな彼女を見ながら渡邊さんから聞いた話を思い出し反芻した。幽霊の露子さんとは想像もつかないくらい女の子の話は、同一人物とは思えなかった。私が知る露子さんは少し強引で勝手気ままな優しい女の子。渡邊さんの話す露子は学校でも家族でもうまくいかなかったせいか気弱な女の子。見た目のギャップも激しい。見た目も他人の目を惹く美少女とは全く違う。渡邊さんが公園でみる露子さんが本来の露子さんだと言うように、艶やかな髪を靡かせ、肌艶のよい健康的な姿も本来あるべき姿を模しているのかもしれない。
斜めがけの鞄がバイブレーションで震える。普段ならこれくらいの時間になると電池の残量は半分以下になるが一日碌に触っていない携帯の電池は十分残っている。画面を開くとお母さんからの静かな怒りが滲み出たメッセージが表示された。
「北条君」
「なに?」
「ごめん。迷惑かけるかも」
スマホを北条君に見せる。『今日のことで話があります。北条君のおうちに来なさい』
「俺の家?どうして?」
「嘘ついて出てきちゃったんだ。交通費が足りなくてお小遣いの前借をお願いする時に部活の遠征って嘘ついてお金貰ったんだ」
「でもどうして僕の家に?」
「今日雨が降ってないのに和傘を持って出たのがまずかったかな。お母さん、私が和傘を持って帰った日、なんか様子が変だったんだよね。執拗に和傘のこと訊いてきたし。ゲンさんから譲ってもらったって言ったせいかもしれない」
ため息をついて側頭部を掻き毟っていると白川さんは私の手に触れてそれを止める。
「私も一緒に謝りに行くわ」
「そんな」
「嘘をついたことを怒っていらっしゃるのかもしれないけど、黙って遠出したことは心配なさってるはずだから」
「すみません」と消え入る声で返事をした。
ロッカーに預けていたボストンバッグを取り出す。家を出るときにお母さんを騙すために来たジャージにもう一度着替えて帰る予定だったが、バレてしまった以上必要がない。ボストンバッグを開けることなく肩にかけて改札口で待ってる二人のもとに戻った。
喫茶店の出窓はロールカーテンが下げてある。すきまから明かりがもれていた。これから叱られると思うと足がすくんでしまう。白川さんは「大丈夫」と励ますように背中を優しく叩いた。
「ただいま」
北条君が先導して喫茶店に入る。ゲンさんはカウンターに、ゲンさんの前にお母さんが座っていた。北条君の声にお母さんがカウンターチェアを回転させてこちらを向き立ち上がる。
「あの…ごめんなさい」
「悪いことをした自覚があるのね」
「嘘ついてお金貰って、行先も言わないで出かけたこと」
「そうね」
「あの、細井さんのお母様」
お母さんはおずおずと声をかける白川さんを見た。
「あなたは?」
「学校司書の白川と申します。この度は申し訳ございませんでした。初めにお母様に共にでかけることをお伝えすべきだったと反省しております」
そう言うと深々と頭を下げた。私が横目で見ると白川さんの耳は赤く染まっている。白川さんも私と同じくらい緊張していたんだ。
「あなたが先導なさったの?」
「違うよ!白川さんは私がでかけるのを知って、心配してついてきてくれただけだよ」
勢い余って大きな声で否定した。私が持ち込んだ話で白川さんが責められるのはなんだか嫌な気持ちになる。
「いいわ。とにかく帰るわよ」
「え?」
「傘は古館さんに返しなさい。いいわね」
「どうして?」
「どうしてもよ。北条君とは遊ぶなとは言わないけど、これ以上このことには首を突っ込むのはやめなさい」
「嫌!」
和傘を無理やり取ろうとするお母さんの手を払うように胸に抱きかかえ体を背ける。
「駄々をこねないで頂戴」
「嫌ったら嫌!」
「風花…」
これまで小さな反抗をすることはあっても、はっきり意思表示をすることはなかった。お母さんもそういう子だと思っているのだろう。戸惑っている様子が見てわかる。
「どうして隠そうとするの?ねえ。私が関係してるんでしょう?私が露子さんの死に関わってるんじゃないの?」
お母さんを騙して遠出したことや露子さんの過去に触れたこと、一瞬でも体をのっとられたこと、色んな事が起こりすぎて頭が混乱している。疲れも相まってパニックになって、もやもやした気持ちを吐き出すように言った。
「露子ちゃんの親にあったのね?」
苦々しい口ぶりで不愉快をにじませた。
「ちゃん付け?お母さん露子さんを知ってるの?」
「そうよ」
お母さんはぶちぶち文句を言うことはあっても本気で私を叱る時にヒステリックにも苛烈にもなることは殆どなかった。彼女怒りは決して冷静さを失わせない。彼女の教育方針のひとつなのか怒鳴られたことなど一度もなかったが、その冷静さが私を追い詰めるには十分だった。
「露子さんの親のことなんて知らないわ。それに何度も言うけどこの傘はゲンさんから貰ったものよ」
お母さんの冷静さに必死に合わせようとするが声は震えてしまう。
「ならどうしてあの子の傘だとわかるの。ねえお願い。本当にこれ以上関わるのは辞めて。あなたのためよ」
言ってしまいたかった。露子さんはここにいるのよ。信じてくれないかもしれないけど今は幽霊になってその姿が見えるの。
彼女との約束を果たすために頑張ってるの。お母さんにはどうでもいいことかもしれない。私だって初めは乗り気じゃなかった。でも今は違う。露子さんの記憶に触れて同情を覚えてしまった。露子さんは同情なんて嫌がるかもしれないけどね。それでもここで引き返すなんて納得が出来ない。彼女がどれだけ嫌がっても必ず約束は果たしたい。
「ごめん。きけない」
心の底から出た素直な言葉にお母さんは耳を塞ぐ代わりに、額を指でこすりつけるようになでる。困った時や言い返せない時の癖である。
「古館さん」
「はい」
「今日はもう遅いですしこのまま帰らせていただきます。聞かせていただいたお話、正直まだ納得は出来ませんが考えてみます。コーヒーご馳走様でした。帰るわよ、風花」
ハンドバックから財布を取り出して、コーヒー代をカウンターに置いた。ゲンさんの断りも聴かず外に出た。ゲンさんや白川さんは出ていくお母さんの背中に向かって深々と礼をする。
「すみません…」
「風花ちゃんも疲れたでしょう。今日はおかえり」
「わかりました」
お辞儀をしてカウベルを鳴らした。
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