第22話

 思い付きとはいえ喜ばせたいが一心で決めたプレゼント作戦はそわそわさせた。帰路につく足取りは軽やかである。反対されるかもしれない。いや間違いなく反対されるだろう。それでも必ず説得させてみせる。

普段なら開いているガレージのシャッターが壁になって立ち塞がった。腕時計を見ると夜の七時半。門限より一時間も経っていた。


 ガレージの奥が父の職場である。いつもならそこを通り抜けて夕飯に呼ばれるまで仕事をしている父親に挨拶をして家に入る。仕事を終えた父がシャッターを閉めて家族そろって食卓につく。それが渡邊家のルールである。

 傍にあるインターホンを鳴らす。「待っていなさい」怒りを含んだ声に全身が凍り付く。一発のゲンコツは覚悟した。半分ほどシャッターが開き体をかがめて中に入る。


「遅い!」


 シャッターを閉めるのと同時に一括した声がガレージに響いた。


「ごめんなさい」

「どうしたの。酷い顔してるし、え、制服汚れてるじゃない」


 母さんは背中に残った土をバンバンと乱暴に叩いて掃う。


「ちょっと、何があったの?喧嘩でもしたの?」

「なんでもないよ」

「なんでもないってことはないでしょう」


 女の子の前で泣きじゃくって公園に寝ころんだ、なんて恥ずかしくて口に出来ない。


「本当になんでもないから。心配するようなことなんてないよ」

「本当に?」

「本当だって」


 母さんの愛情は十分に判ってはいたが理解までは及んでいないのだろう。心配は過干渉として受け取るしかなかった。


「とりあえず着替えてきなさい。上着とズボンは洗濯籠にいれるのよ」

「分かってるよ」

「あとお父さんにちゃんと謝りなさいね」


 返事はせずに奥へ行った。広い職場は白熱電球がちかちかと音をたてている。床には骨組みだけの和傘が置いてある。晩御飯を食べ終えた後にこれから紙を貼っていく作業をするのだろう。じっと見てひとつ息をする。

 職場を抜け引き戸を開ける。ちゃぶ台が置かれた部屋を更に抜けると食卓で黙々と夕飯を食べる父さんの猫背がある。


「ただいま。遅くなってごめん」

「用があるなら一度帰ってからでかけなさい。お母さんも心配している」

「はい」


 父さんは多くを語らない。必要なことだけをシンプルな言葉で伝えてくる。物足りないこともあるが、口うるさくはないので気は楽だった。


「話があるんだ。きいてくれる?」

「夕飯を先に済ませなさい」

「うん」


 聞こえるか聞こえないかの返事をして、幅も奥行きも狭く一段一段高い急な階段をゆっくりあがった。上るたびにギシギシと音がする。階段をあがると襖のしきりがあるだけの部屋がふたつある。手前の六畳が両親の部屋、そして奥の四畳分が俺の部屋だ。無造作に脱ぎ捨てていたはずのジーンズと七分袖の服は丁寧に畳まれていた。学校に行ってる間に母さんがぶちぶちと文句を言いながら畳む姿が容易に想像できた。それらを乱暴に掴み慎重に音を立てて階段を下りる。すでに父さんは食事を終えていなくなっていた。ガラス戸からぼんやりとした白い光と父さんと思われる影が見えた。俺の席に温め直したおかずや味噌汁、そして固めに炊かれたごはんが置いてある。


「早く着替えてらっしゃい」


 突っ立ってる俺を急かすように言った。軽く頷いて風呂場に入った。洗面所のくすんだ鏡に顔を近づけると、真っ赤とはいわないもののうっすら赤みがさしている。頬骨の周りの皮膚もこすったせいか赤い。これでは母さんが心配するのも無理はない。さっさと制服を脱いで、手とうがいをしてから、下着が濡れることもおかまいなしに顔をばしゃばしゃと冷やすように洗う。これからのお風呂のために準備をしてあるバスタオルで顔をこすった。


「制服どうしたの?」

「言われた通り洗濯籠にいれた」


 そう言うと母さんはすぐに風呂場に行った。

 俺は食事の前にちゃぶ台が置いてある部屋の仏壇に手を合わせた。死んだじいちゃんやばあちゃん、そのまた上のじいちゃんばあちゃん、そのまた…どれくらい続いているかはわからない傘職人の先祖に、父さんが話を聞いてくれるようにと心の中でお願いをする。

 散々願った後に誰もいなくなった食卓に座って味噌汁に口をつけた。かぼちゃとお揚げの甘い香りと共に食道を通り胃に流れ込む。


「あっつ」


 美味しいが温めすぎた味噌汁は怒りのように感じられた。座って向かい側からは時折父の咳払いが聞こえるくらいの静けさと背中から母さんの「もう!もう!」と怒りをぶつける声とドライヤーの轟音をバックミュージックにして一定の速さを保ちながら咀嚼を続けた。


 シンクに重なって置かれた家族分の食器を洗っておく。制服を任せていることの後ろめたさと、これから父さんに頭を下げる代償のひとつとして点稼ぎをするつもりだ。エプロンをせずに勢いよく出る水が食器の角度によっては自分にびしゃっとかかる。慣れない手つきでもたもたと、しかし出来る限り丁寧に泡立ったスポンジでこすり、食器がきゅっとなるまで流していく。三角コーナーのごみ捨てと掃除は躊躇いがありそのままにした。放っておいたら母さんがやってくれる。己の甘さは簡単にはぬぐえない。


 手を丁寧に拭って父さんの職場に向かう。きっと断られる。それは重々に承知しているから緊張で体がすっかり固くなっていた。


「父さん」


 振り向くことなく、和傘と向き合ったままだった。


「和傘を作らせてほしい」


 手が一瞬止まった。しかしこちらを見ることもなく再び手を動かす。長い沈黙は息を詰まらせる。


「今やることはないだろう。勉学に集中しなさい」

「どうしても今作りたいんだ。材料費は払う」

「お金の問題ではない。なんの技術ももたないお前に何ができる?」

「教えてくれよ。いや教えてください」


 頭頂部をみせるように頭をさげる。父さんは傘を貼る糊の筆を置いた。


「うちは代々続く老舗の店だ。そう簡単にわかったとは言えん」

「簡単なつもりなんてない。ううん。そうとられても仕方がないけど、初めて人に作りたいって思ったんだ」


 散々泣きはらした目にまた涙が溜まる。流れないように眉間にぐっと力をいれてこらえる。今日の俺は本当に格好悪い。


「父さんの仕事が簡単なものとか、そんなこと考えてないよ。仕事にひたむきな姿は尊敬してる」

「世辞はいらん」


 ぴしゃりと言われひるむ。自分なりに本気のつもりだったが父さんには軽い言葉だったのだと気付けなかった。

 父さんはまた筆をとり和傘に向かった。


「何色がいいんだ」

「え?」

「人に贈るなら好みの色がいいだろう」

「あ、赤!赤が良い。でもどうして贈り物だって?」

「なんとなくだ。それより学業を怠るな。それが守れるならこの時間に指導する。いいな」

「わかった!」


 父さんは全てを任しはしなかった。紙を貼る作業だけと約束をされた。曰く、代々続く店の評判を落としたくないからだ。一から作りたい気持ちはあったが、傘を作ることが容易でないことは承知している。もし出来たとしても使えない代物では意味がない。残念なような安心したような複雑な思いである。


 父さんは手を抜かなかった。仕事に対しては熱心だと日頃から思っていたが、想像以上に厳しい。手取り足取り教えてもらえるかと思いきや、見て覚えろと言う。失敗を咎めることはなかったが、やり直しを何度も言い渡された。竹で作られた傘の骨に糊を付けて紙を貼る。たったこれだけの作業は、物足りないとタカを括っていたことが今更恥ずかしく思う。しかし後悔はない。これだけでもやらせてもらえる。それでも充分やりごたえがあった。

 父さんは夜に時間をとると約束してくれたので、放課後は比較的自由に過ごせた。変らず公園に足しげく通い、雨宮さんと話たり幼女と遊んだりと変わらず時間を共有した。この頃は幼女も俺に懐いてくれて、自分は「風花」だと教えてくれた。

彼女はプレゼントのことを特に訊ねなかった。俺だけが早く完成させて渡したいとそわそわしていた。


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