第30話 彼らの部屋
トムがシャワーを浴びて部屋に戻ると、ヴァロージャがデスクの前に座り、難しい顔をしてタブレットの画面を見ていた。
彼はトムに気づいて顔をあげ「おかえり」と言うと、傍に広げたノートへ何事か書きつけている。
「まだ<ブルギッド>やシステムに慣れてないんだろ? できるだけ身体を休めた方がいい」
トムは自分のクローゼットを開けてシャワーセットを片付ける。
「ん、ありがとう。戻ってからDr.ウィオラのところで少し寝たし、もうすぐ終わる」
「検査?」
「あぁ、アイオーンで初めての実戦だったから。向こうで2時間ぐらい寝てたよ」
ヴァロージャはそう言って暫くノートにペンを走らせると「終わり」と呟いてペンを置いた。
「何してるんだ?」
トムはクローゼットからパジャマを取り出し、着替えながら尋ねる。
「今日の戦闘の分析。できるだけその日のを、覚えているうちにやるようにしてるんだ」
「ふーん。そう言うのも学校で習うの?」
パジャマのズボンを履き、上着に袖を通しながらトムが近づいてくる。
「俺の同期がやってたんだ」
「ステファン?」
ヴァロージャは「違う」と首を振った。
「首席とった奴。ツイビニーンで同じ戦隊にいたんだ」
トムは自分の机の椅子を引いて、持ってきた水を飲む。
「ヴァロージャは次席だったの?」
ヴァロージャはトムに向き直り「俺は3番目」と言って背もたれに身体を預けた。
「ステファンが94期の次席。あぁ見えて凄いんだぞ、あいつ」
普段、鬱陶しい絡み方をしてくるステファンを思い出し、トムは意外そうな顔をするが、すぐに関心が机上のノートに向かった。
「……ノート、見てもいい?」
「どうぞ」
ヴァロージャが手渡したノートをトムはペラリ、ペラリと捲っていく。
几帳面な字と記号で過去の戦闘や訓練の内容が記されたノートは読みやすく、トムは自分も参考にしたいと思い、書き方を教えて欲しいとヴァロージャに教えを請うた。
「いまやる?」
「うん、やる」
彼は快諾して持っていた新品のノートをトムに渡し、その場で書き方を教えた。
トムも疲れていたので、映像を確認しながら書くことはできなかったが、ヴァロージャに教えてもらいながら記憶の中の要点をまとめて書いていく。
「俺たち、12の頃からずっとあそこだから、普通の学校とか行けなくて、こういうの新鮮だ」
書き終えたページをトムは満足そうに見ると、「これ、ラディウは知っている?」と尋ねた。
ヴァロージャは「教えてないよ」と首を振る。
「俺もこれは部屋でしか書かないし」
「それなら、明日の訓練の後も書き方教えてよ」
「いいよ」
トムは嬉しそうにニンマリと笑う。
ロージレイザァにいるうちに、これをマスターしてラディウに見せる。
ラディウの事だから、知れば絶対に「教えろ」と食いついてくる。そこでこのやり方をラディウに教える。昔のように二人で向かい合ってノートの見せ合いもしよう。
そんなことを考えるだけで、トムは楽しくなってきた。
そう、ラディウだ。
「……あいつ、ロージレイザァに来て雰囲気が変わった」
トムはノートを見つめながらポツリと呟いた。
「そうなのか?」
ヴァロージャがノートと文具を収めたキャビネットを閉める。
トムもノートを閉じて自分の筆記具を片付けはじめる。そして、ルゥリシアたちと一緒にいるラディウの姿を思い浮かべた。
「飛んでない時も、ここだとすごく楽しそうに過ごしてる。そりゃあ『艦隊に行きたい』って言い出すよな。俺たち以外にあんなに表情豊かなラディウ、初めて見た」
ここで見るラディウは屈託なく笑い、ラウンジでも楽しそうに人と交わり過ごしている。
「それにあいつさ、自分だけ飛んでいれば良いってタイプなんだ。ここにくる前の事前訓練で久しぶりにラディウと飛んで、あんなに苦手だった連携とか上手くなっていてびっくりした」
ヴァロージャは今のラディウしか知らない。むしろ事前訓練で初めて、飛行士としての彼女と組んで飛んだ。
こちらに合わせようとしているのか、リープカインドとしてシステムに繋がっているからなのか、欲しいタイミングに合わせてフォローが入るので非常にやりやすかった。だから、トムに「連携が苦手」と言われても今ひとつ実感がわかない。
「なにより……ティーズ大尉にべったりじゃなくなった」
そうトムが続けるのをヴァロージャは黙って聞いていた。トムの語るラディウはヴァロージャの知らないラディウだ。自然と興味を惹かれる。
「あいつ怖がりなところがあるから、昔から新しい環境とかすごく苦手で、すぐに不安がるんだ。そうなると大尉のところに逃げ込むんだけど、ここに来てからそんな事がない」
ティーズとラディウの関係――ヴァロージャはラス・エステラルの情報部のフラットで、彼女がティーズと再会した時の様子を思い出す。あの時、初めて彼女の安心しきった顔を見た。その後の彼女は、歳相応の少女らしい振る舞いをしていた。
それにアーストルダムでも、ラディウはよくティーズと一緒にいる。
それは彼が彼女の直接の上司であり、後見人でもあることは本人からも聞いているが、公私共に頼っている姿は、実のところほんの少しヤキモキする。
「まぁ俺も彼女も、そういうマイナス面はだいぶ矯正されたけど、俺たち以外にあんなに自然に振る舞えるの初めて見た」
ヴァロージャの思案を他所に、トムはいつになく饒舌だった。しかしふと何かに気がついたように話しを止めてヴァロージャを見つめた。
「飛ぶことしか頭になかったラディウが変わったの、もしかしたら、あんたに会ってからかもしれない。俺の知らないラドが、いつの間にかここにはいっぱいいる」
そう口にしてから、ちょっと悔しいなとトムは思う。
今、ラディウの心の中にいるのは、間違いなくヴァロージャだ。
今日、彼女と話をして悔しいぐらいにそれがわかった。それでもトムはラディウに振り向いてもらいたいと願っている。
その揺れる彼の黒い瞳を、ヴァロージャのヘーゼルの瞳が真っ直ぐに受け止めていた。
ヴァロージャから落ち着きと余裕を感じるのは、自分がまだ子供で、彼が大人だからだろうか。
急に気恥ずかしくなって、トムはフイと横を向いた。
「なんで部屋割り、ヴァロージャと相部屋なんだよ……」
トムは立ち上がり、床に脱ぎ散らかしたままの部屋着を片付けはじめた。
「少尉のうちは二人部屋。そういう艦隊規則なんだよ」
「ラディウは一人部屋だ」
「少尉は3人だし、ダニエラさんとは階級もグループも違うだろう? 多分、ラボのルールも反映されてる」
ヴァロージャの言うことはいちいち正論だった。言い返せないトムはプゥっと頬を膨らませ、少し乱暴にクローゼットを閉めた。
「もう寝る。おやすみ! ヴァロージャも早く寝ろ!」
トムの苛立ちをヴァロージャは気づいたのか、彼は苦笑しながら「あぁ、おやすみ」と返す。
――次の訓練で当たったら、ステファンの次にコテンパンにしてやる!
トムはそう決意しながら2段ベッドをよじ登り、布団に潜り込んだ。
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