第29話 彼女の決断

「ファイルを読んで、Aグループの研究は私たちの感情もコントロールして、純粋にFAの生体ユニットとして機能させることだって知った。それは、兵器として私たちを運用するのに理に適ってるって思った。でもBグループの先生たちはそうしない。どうして? 比較のため?」


 平静を装っているが、緊張と不安で口元が微かに震えている。そんな彼女にウィオラは一言「違うよ」と答えた。


「君たち個人の感情は、君たちに許されている数少ない自由だ」


 彼女らはラボの規則と様々な制限に縛られている。許されている自由と課せられている制限の数を比べたら、制限の方が多いだろうとウィオラは思っている。


「感情があるから、他者とコミュニケーションが取れる。自分で考えることができる。仲間を大切に思ったり、信じたり、守ろうって思うんじゃないかな?」


 ラディウはじっと膝の上で組んだ両手をみつめた。何も考えず、ただ与えられた命令に従うだけなら、あんなに悩んで、自分からこんな相談を持ちかけることはしない。


「人は感情の生き物だ。無理に抑えつけても歪みが出る」


 ウィオラはそっと彼女の組んだ手に片手を置いて、ラディウと目を合わせた。


「ただし仕事の時は、君の能力を遺憾なく発揮して欲しいし、僕らはそれを求めている。君たちはそのための存在だ」


 繰り返し言い聞かされているその言葉は、頭で理解をしていても自分はヒトでは無いと言われているようで、ラディウいつも心が痛くなる。思考と気持ちを一つにしようと試みるが、重ねられたウィオラの手の重みと暖かさが、それ以上の思考を妨げ、意識をウィオラへと向けさせた。


「ただ、オフの時はいつものラディウでいい。規則から逸脱しなければ、好きにさせているつもりだ。でも仕事の時は冷静さが必要。感情的な行動をしないようにと、大尉が君に注意するのはそういうことだよ」


「わかるね?」とウィオラはラディウに尋ねると彼女は小さく頷き、彼は彼女の膝をポンポンと2回叩くと身体を起こした。


「僕らは、Dr.ヤロシェンコ――Aグループの研究内容とは異なる考え方と方針で、研究開発を行っている。そこに君たちの“人格”や“個性”を損なうような事は含まれていない。それは信じて欲しい」


 ラディウはしばらく黙ってウィオラを見つめると、コクンと頷いてはにかむように微笑した。


「Bグループの先生たちは、まだ私たちを人として扱ってくれてるってわかった。だから、怖くて嫌なこともいっぱいあるけど、信じようって思う」


 ウィオラは「そうか……」とうなずき、一度自分の端末の画面に向き合い、画面をスクロールさせながら暫く思案すると、椅子を回して彼女に向き直った。


「……それで、ラディウの言ったさっきの話なのだけど」


 ラディウは背筋を伸ばして椅子に座り直した。


「君が提案したL-PSD。使った後の反動は限界検査の比じゃない。もし使ったとしても1回だけ。使用後は体から薬が抜けるまでは飛行停止」


 飛行停止の一言に、ラディウは眉を顰めた。


「それなら、低容量のタイプは?」と尋ねると、ウィオラは「意味がない」と一蹴する。


「アレは主に訓練導入時期やシーカーに使うもので、パイロットが戦闘時に使うものじゃない」


 なら辛かろうが何だろうが、勝算があるなら使えば良いとラディウは即決した。


「じゃあ、L-PSDを――」


 前のめりで薬を求めるラディウの様子に、ウィオラは困ったように息をつき、ギシッと椅子の背もたれを軋ませた。


「実のところ、L-PSDやそれに類似する強化薬を使っても、制限をかけている君やトムには大きな効果は期待できないと思う。だから僕が提案するのは――リミッター上限を、君がコンテイジョン現象を起こさないギリギリのところまで引き上げること」


 ラディウはポカンとした表情でウィオラを見つめる。


「上限を……上げる?  解除ではなく?」


 そんな事ができるなんて、彼女は思いもしなかった。


「解除すると、コンテイジョン現象を発生させるリスクが上がる。実際にラディウはそれを引き起こしている。それは君も望まないだろう?」


「それは勿論」と、ラディウはうなずく。自分だけならともかく他に影響を与えるような事はもう二度としたくない。


「上限を上げることも問題点がある。こうして日常生活を送るにしても、コッペリアシステムとリンクするにしても、今が1番バランスが取れてベストな状態だと言う事。リミッターの上限を上げると言うことは、そのバランスを崩すことになる。でもそのままだと君はとても不安定になり、今度はシステムに繋げなくなる」


 ラディウはすぐに今年の夏の出来事を思い出した。あの時は本当に酷い精神状態で、まさか訓練中にシステムとのリンクが切れるとは思わなかったし、酷く落ち込んだ。コンテイジョン現象もそうだが、その状況もできれば回避したいと彼女は思った。

 

「そこで安定状態を維持するため、常時コッペリアシステムとリンクさせて、非戦闘時はシステム側を使ってバランスを取ろうと思う」


 それを聞いたラディウは「そんな事できるんだ!」とパッと顔を輝かせた。


 彼女は以前、ラボの居住棟フロアで常時接続状態のまま一週間、生活をする実験を経験している。「それなら――」と言いかけた時、ウィオラが静かに首を横に振り、ラディウは怪訝そうに首を傾げた。


「残念ながら、ここはラボとは環境が違う。接触する人が多い。以前やった実験のように、日常生活が問題なく送れるとは思ってはいけない」


 ラディウはすぐにピンと来た。ある意味いつもの事とも言える。


「……ここで先生たちの管理下に置くということですか?」

「そのとおり。君が一番嫌いな”管理と監視される”状況だ。その指示に従える? 僕は外の環境で、無理強いはさせたくないと思っている」


「どうする?」と、ウィオラは彼女に選択肢を示した。


 現在の安定した状態で予定通り演習を進めるか、それともここで管理下に置かれ、リミッター上限を上げけて彼女らの襲来に備えるか――。


 ラディウは斜め先の淡いクリーム色の床を見つめながらじっと考える。


 ヴァロージャとスコットはまだシステムに慣れてない。ヴァロージャのEEGの精度はまだ甘い。


 敵は格上、何らかの手段は必要。


 薬を使ってその場を凌いでも1回限り。次はない。その後、管理下に置かれるのも変わらない。むしろ飛行制限を受ける。


 いずれにせよ、自分とトムだけでは限界があるのは明らかだ。


 自分に許されている自由――感情に従うのなら、仲間を守りたい。それは変わらない。


 ラディウは大きく息を吸ってゆっくり吐くと、顔を上げて真っ直ぐウィオラを見つめた。


「薬以外で、演習中に仕掛けてくるであろうウィリーズに対応するには、先生の提案しかないのでしょう? ならやります。私、大切な人たちをなくしたくないし、それにまだ死にたくないもの」


 強い意志と覚悟が、深い緑色の瞳の奥で輝いている。


「わかった。大尉たちとも相談して、最善の方法を整えるから少し時間をくれ。何よりここには必要な機材が足りない。もしやるにしても準備が必要だ」


 彼女は「はい」と頷いた。検査を嫌がってグズっていたり、 FAに関する事以外はどこか関心の薄かった少女が、ここ数ヶ月で別人のようになったとウィオラは思う。


 きっかけがラス・エステラルの経験なのか、夏にロージレイザァに乗った経験なのかはわからないが、彼女が着実に成長しているのを実感できるのは、これまで育ててきたウィオラとしては嬉しい事だった。


 だからこそ彼もまた、彼女を失いたく無いと思っている。


 Aグループの失踪――Dr.ヤロシェンコの造反を止められなかったのは、ラボの落ち度だ。


 ウィオラの表情が曇る。


 結果的にその後始末を、彼女らに押し付ける事になってしまった。

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