第36話 彼の願いと彼女の願い
雑音と刺激の少ない静かな環境に身を置いていれば、この状態で自分の能力に振り回されて暴走気味にならない。それはラディウも自身の経験でよく理解している。
ここでは寝ているか本を読むことぐらいしかできず、退屈ではあったが自分で決めた事だからと、彼女は大人しく過ごしていた。
オーバーテーブルの上にはお気に入りの文庫本と、ルゥリシアから借りた本がある。会話ログが残るが<ディジニ>と雑談――気の利いた会話にはならないが――のような事もできるので、多少の退屈しのぎにはなる。
ラディウはヴァロージャのコールサインの由来である、カモメについて調べていた。今は<ディジニ>に艦の蔵書ネットワークから探し出して貰った「鳥言葉」と言う本を、タブレットで読んでいる。
「花言葉」の鳥バージョンらしく、彼女は索引を追い、目的の項目をみつけた。
カモメの種類によって意味が複数あり、ヴァロージャのコールサインがどのカモメを意味するかわからないが、「夢見る新たな道を切り開く開拓者」というのは彼らしいと思い、そっとその文字を撫でた時だった。
コンコンとドアをノックされ、ラディウは顔をあげた。
看護師かウィオラ達――誰か関係者が来るものだろうと思って、返事もせず再び手元に視線を戻す。どうせ彼らは返事をしなくても入ってくる。
もう一度ドアがノックされた。
ラディウは訝しげにドアを見つめ、今度は小さな声で「誰?」と呟いた。
「ラディウ、起きてる?」
その声にラディウは驚いて手にしているタブレットを落としかけたが、上手く掴み直してオーバーテーブルの上にそれを置くと、そっとベッドから滑り降り素足のままドアに近づく。
そして恐る恐る「ヴァロージャなの?」とドアに向かって問いかけた。
ドアに鍵はかかっていないが、限られた人としか接触しないようにするため、ラディウは自分の意思で今、ここにいる。だから彼女は確認のために、自分からドアを開けることはしなかった。
それは彼にもわかっているようで、向こうから開くこともなかった。
「ここにいるのを見つかると、注意されるよ?」
ラディウはドア越しに彼へ声をかける。
「うん。だから今、ドアに背中向けてる」
「うん……」
ラディウはそっとドアに両手を当て額をつけた。
そうしていると、ドア越しにヴァロージャを感じていられるような、そんな気がした。
「今朝、ティーズ大尉から聞いた」
「うん……」
「大丈夫なのか? そんなことして」
心配そうな彼の声に、ラディウはちょっとだけ罪悪感を覚える。
「前に実験でやってるし、慣れてるから大丈夫。ここにいるのは、万が一の事があるから……」
「万が一って、コンテイジョン現象?」
「それもだけど……ここは人が多いから、強い刺激も多くて余計に疲れちゃうの……だからベストの状態で、戦えるようにしてるだけ」
「そうか……」とため息まじりの呟きが聞こえた。
「トムが怒ってた。行動する前に相談して欲しかったって」
しつこいぐらいに1人で決めるな、相談しろと言い続けたトムの心配する気持ちを、ラディウはわかっていながら無視をしてきた。
罪悪感で心が重くなる。
「うん……ごめんって言っておいて」
「実を言うと俺も……ちょっと怒ってる」
ラディウの心が更にチクリと痛んだ。
「……そう」
彼女は顔を上げ、ドアに背中を預けてもたれかかり、そのままズルズルと床に座り込んだ。
「1人で何でもやろうとするなよ。俺たちはチームだろう?」
「うん……ごめん」
同じように、ヴァロージャが背を向けたまま座った気配がした。
「ラディウは強い。俺はまだ君に追いつけない。だから、君を不安にさせちゃったのだろうって思う」
訓練で何度か一緒に飛んだ時の事だろうか? それとも先日の戦闘の事だろうか。別にラディウはヴァロージャと飛びにくいとか、足手纏いとは思っていない。
「そんな事……ないよ……」
ヴァロージャは短時間でコッペリアシステムに適応し、その機能の全てを扱えているとはまだ言い難いが、新しい機体を乗りこなしている。
安定した精神状態も含めて、完全に使いこなすようになったら、彼こそがラボが求める実戦で使えるリープカインドになるのだろうと、彼女は思う。
ただ、そのきっかけが自分だと思うと、ラディウはまだ後悔で心苦しくなり、
「ラディウの方が経験を積んでいるのはわかってる。でもな、好きな女の子に守られっぱなしなのは、俺としては屈辱だぞ?」
「え!?」
ラディウは驚いて振り返り、勢い余ってゴンっと頭をドアにぶつけた。
いい音がした。
「痛っ……」
「大丈夫か?」
「……うん、大丈夫」
気遣うヴァロージャの声を聞き、ラディウは頭をぶつけた事より、思いもよらない彼の言葉を聞いて、両手で頬を抑えた。
――いま、彼は何て言ったの!? す、すき??
突然のことに心臓が早鐘を打ち、顔はカァっと熱くなる。
「あの……私……」
そこまで言いかけて、ラディウはハッと口をつぐんだ。
素直に自分の気持ちを打ち明けたい。でも、そんな事を言って良いのだろうか? 彼との未来を願って良いのだろうか。
自分の生い立ちが、好意を向けてくれる異性に対してブレーキをかける。
ラディウはヴァロージャと違う。彼女はラボで作られて生まれた、軍の所有物だ。
「一緒に飛ぶんだ。もっと俺を信じてくれよ。頼ってくれ!」
声を殺したヴァロージャの叫びに、ラディウは
使えるうちは大切に扱われるが、一度壊れて使い物にならなくなれば、処分される。
ヴァロージャは市民権を持っているが、ラディウたちはFAと同じ軍の所有物のため、市民権もない。ラボ生まれはそんな存在だ。それに、壊れるその時がいつかなんて、わからない。
それでもいいなら、悔いなく今を生きられるのなら――
「私……私も……」
鼻の奥がツンとする。
――本当は、マシンと繋がるより、もっと人と触れ合っていたい。
大きく息を吸って、彼に伝える言葉を紡ごうとしたその時だった。
「そこで何をしているの? ヴァロージャ?」
「やばい。Dr.ポートマンに見つかった」
ヴァロージャが慌てて立ち上がる音がして、それにつられるようにラディウも立ち上がった。
「何をしているの? だめよ、今すぐそこから離れなさい」
近づくポートマンの、咎めるような声が聞こえる。
「いや、あの……その、すみません」
「あなたたちでも、今はダメよ」
彼女の声と靴音が近づいてき、やがてドアを開けて室内に入ってきた。
開いたドアから、ヴァロージャは薄い水色の検査着と、首や頭に白いセンサーユニットを身につけて、瞳を潤わせて立っているラディウを見た。
彼女は離れ難さから、ポートマンが入ってきてもその場に立ったままだった。
ポートマンはラディウを促してドアの近くから奥にやり、ヴァロージャは彼女との間に割り込むポートマンの背後から、ラディウをもうひと目みようとしている。
「波形がおかしいと思って様子を見にきてみれば……どうして裸足なの? さぁ、ベッドに戻りなさい」
ラディウはポートマンに促されるが、彼女も閉じかけたドアからヴァロージャを見ようと背伸びをする。
一瞬だけ心配そうにこちらを伺うヘーゼルの瞳と目線が絡んだ。
「じゃあ、ラディウ……また復帰して訓練かシフトの時」
「うん……ありがとう、ヴァロージャ」
ドアが閉まるその瞬間、やっと顔を見て言葉を交わすことができた。
振り返ったまま閉まるドアを見つめていると、再びポートマンに背中を押された。
「あなたが自分で決めたことよ?」
わかってる? と念を押すポートマンに、ラディウは「わかってます」と答えて、ベッドに戻った。
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