第35話 彼の望み

 トムは連れて行かれた診察室でウィオラと向かい合った時、彼が非常に険しい顔で自分を睨んでいるのを見て、思わず身体がすくんだ。


「トーマス・ヘンウッド! 彼女の件をイーガン少佐は何と言っていた?」


 厳しいウィオラの声音に、トムはビクリと肩を振るわせた。普段、怒っても声を荒げる事なく静かに叱るウィオラが、いつになく怒りをあらわにしている。その感情に触れて、トムは怯えた。


「た、隊長たちは……ラディウは面会禁止って……」

「なら、どうして部屋に入って来た!」


 こんなに声を荒げるウィオラをトムは知らない。びっくりして、両手で本を握ったまま、さらに身体をこわばらせる。


「それはっ……ラ、ラドに渡すものと、その……せ、先生に相談したい事があって……」


 トムは言葉をつかえながら答え、ウィオラは額を抑えて大きなため息をついた。それから彼に椅子へ座るよう促すと、トムはそのまま崩れるように腰を下ろした。


「人に用事がある時はアポイントを取る。僕らはラボで君たちにそう教えてきたが、ツクヨミではそうじゃないのか?」


 自分の迂闊な行動が、尊敬するイーガンの指導不足を指摘されているようで、トムは居た堪れなくなる。


「いえ、まずアポイントを取る……です。ごめんなさい……」


 トムは肩を落とし、しょんぼりとうなだれた。


「わかったならもう良い。今後はやらないように。それで? 彼女への用件と、僕への相談は何?」


 ラディウを止めるのは、もう無理だとわかった。だからトムは、ルゥリシアから預かっている本を、おずおずと差し出した。


「バーリトゥ少尉が、これをラディウに貸す約束をしているから、渡して欲しいって……」


 ウィオラはトムから本を受け取り、机の上に置く。


「わかった。それは預かる。それで君は?」


 話しを振られたトムは、自分の事をどう切り出すか思案し、落ち着きなく目を泳がせる。


 ウィオラは例によってかす事なく、彼の言葉を辛抱強く待ち、やがてトムがキッと顔をあげた。


「先生、俺も強くしてください」


 決意を込めた黒い瞳がウィオラを見つめ、ウィオラは困ったように眉をひそめた。


「俺の方がラディウより安定してるんでしょう?」


 トムはそう声に出して思いを口にしたら、もう止まらなかった。


「薬だろうと調整だろうと俺、平気です! 俺はラディウみたいに我儘も言わない! だから、ラディウじゃなく俺を使ってください!」


 縋るような勢いで懇願するトムを、ウィオラは困ったように見つめた。


「見ただろう? もう彼女を始めてしまっている」


 宥めるようにそう言うが、トムは膝の上の両手を握りしめ「それなら!」と身を乗り出した。


「じゃあその後に! 8月の検査データがある、普段アーストルダムにはいないけど、ツクヨミでちゃんと訓練も受けてる、だから――!」


 ウィオラは首を横に振ると、大きくため息をついた。


「まったく……君までどうしたんだ? 何があった?」


 トムはスイッチが切れたように身体を引いてがっくりとうなだれた。


「俺も、自分が戦った相手が、誰だか分かったんです」


 ヴァロージャから教わった戦闘記録のノートを作るために、あの戦闘の映像を見返していて気づいた。何かの間違いかと思ったが、飛び方のクセのようなものが透けて見えた時、トムは確信した。


 ウィオラはトムの膝の上に置いた両手の拳が小刻みに震えているのに気づき、そっと覗き込むように、「トーマス?」と声をかけた。


「あのボギー1はフレド、フレデリク・ケロール。間違いない。フレドだったんだ」


 トムは苦しげにそう言うと、震える両手で顔を覆った。


「フレド……生きて……でも、どうして……」


 くぐもった声でそう呟いた後、深く重たいため息を一つ、ついた。


 ラディウがシルヴィアと仲が良かったように、トムも同期のフレドリクと親しく交流していた。


 大人たちの目を盗み、三階の廻廊で、屋上庭園で、月に一度催されたレクリエーションの時間で、楽しく過ごしたフレドリクとの思い出を、トムは時々鼻を啜りながら、ポツリポツリとウィオラに打ち明ける。


「フレドとは仲良くしてたけど、グループの研究の事とかは話してない。それは信じて欲しい」


 同じ年頃の子供たちが集まれば、どんなに規則で縛っても、大人の目を盗んで楽しみと喜びを見つけ出す。


 ウィオラも彼らの密かな交流を知らなかったわけではない。言って良い事と悪い事の区別や規則はしっかり教えていたし、何より彼らは縛れば縛るほど反発して、思いもよらない行動をする。だから彼らを信じ、あえて気づいていないフリをしていた。


「俺もみんなを守りたいし、フレドを止めたい。でも、ラディウがかなわなかったなら多分、俺も同じです。だから、俺も強くなりたい」


 ウィオラは黙って彼の話を聞き「なるほどね……」と相槌を打ち、トムはあともうひと押しとばかりに身を乗り出すが、先にウィオラが制するように口を開いた。


「君の気持ちはよくわかった。だけど、願いは叶えてやれない」

「どうして――!」


 潤んだ黒い瞳が見開かれる。


「機材は1人分しか用意していない。それ以上に、一時的にとはいえ2人も飛行任務から外せない。既にレオンが離脱している。これ以上戦力は削れない」


 ウィオラは片肘を机に預け、静かにそうトムに告げた。それを聞いたトムは、悔しげな表情を浮かべて天井を仰ぎ見る。


 ティーズの小隊は、レオンが墜とされた欠員を、この艦にいるHES強化兵パイロットのトルキーで補っている。現在3人しかいないティーズの小隊は、ラディウが戻るまで機能しない。


 その間、前に出るのはイーガンの小隊だ。自分が抜けると、慣れたコッペリア使いが全員いなくなってしまう。


 充分に理解できる現実が、トムの望みを断ち切り、なおのこと彼女に届かなかった言葉と怒りがこみ上がる。


「また、あいつに置いていかれて、俺――」


 トムは悔しげに膝の握り拳で自身の膝を殴った。

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