第34話 彼の怒り

 翌日、朝のミーティングにラディウが現れなかった。


 撃墜されたレオンの抜けた穴を、エルヴィラの小隊にいるCグループのトルキー・”ティオ”・オーダバーシ中尉が埋めることになり、ラディウの機体の修理が完了した今日は、トルキーを加えた連携訓練の予定だった。


 ラディウが不在のまま、イーガンが「では、始めよう」と言った時、トムが手を挙げた。


「隊長! ラディウがまだ来ていないです」

「彼女、どうかしたんですか?」


 ヴァロージャも上官たちに尋ねる。昨日の午後、この部屋で一緒に動画を見た後から今朝まで、彼女の姿を見ていない。


「あぁラディウだが、例の”ウィリーズ”に対応するため、一時的にリミッター上限を上げる調整を行うことになった。そのため現在はDr.ウィオラの管理下に置いている」


 淡々と告げるティーズの説明に、トムが表情を強張らせたのに、隣に座るスコットが気付いた。


「調整が終わり次第、任務に復帰するが、復帰後もドクターたちの管理下だ。任務中以外での、許可のない本人との面会は禁止だ」

「それは……彼女の意思なんですか?」


 ヴァロージャの問いかけにティーズが肯く。


「そうだ。そのために昨日、Dr.シュミットもこちらに来ている」

「スミス先生が?」


 ヴァロージャが眉根をひそめ、口を真一文字に引き締めた。

 

 突然、バン!とトムが机を殴った。硬く握った拳が震えている。


「あいつ! また一人で何かを決めたんだ!」


 まるで爆発するようにトムは声を荒げた。


「この間、相談しろって言ったのに! また俺の言うこと無視かよ!」

「トムやめろ」


 スコットが制するが、頭に血が上っているトムに、彼の言葉は届かない。


「調整って、今以上にどうするんだよ! 俺、あいつを止めてくる」


 立ち上がって今にも部屋から飛び出そうとするトムの腕を、スコットが強く掴んで静止させた。


「やめるんだ、行ってもどうせ会えやしない」

「行かなきゃわかんないだろう! 離せよ兄貴!」


 トムはスコットの手を振り払おうとするが、大人の握力でしっかり腕を掴まれて振りほどけず、もがくように暴れる。


 それを見たイーガンはやれやれと首を振り、良く響く低い声で「トーマス・ヘンウッド少尉! 静かにしろ。今は仕事中だ」と叱った。


「だって隊長! あいつ――!」

「黙れ。2度も言わせるな。命令だ。


 有無を言わさないイーガンの声に、トーマスは抵抗するのをやめて悔しそうに顔を歪めた。そして小さく「すみません」と言って椅子を手繰り寄せて座る。


 ――おそらく、彼女と最後に会ったのは自分だ。


 ヴァロージャは大きくため息をつくと、机の上で組んだ両手に額を乗せてうなだれた。


 昨日、ラディウがそんな事をする素振りはなにもなかった。いつも通りの彼女だった。ただ抱えていた荷物の理由はこれで合点がいき、ヴァロージャは気づかなかった自分に腹を立てた。


「……どうして気づけなかったんだ。あの荷物は不自然だっただろう」


 悔しげに呟くヴァロージャの声に気づいたトルキーが、慰めるように彼の肩を軽く叩く。


 パンパン! と場を鎮めるようティーズが手を叩いた。


「この話はここまでだ。全員気持ちを切り替えろ。イーガン少佐に傾注!」


 ヴァロージャはノロノロと居住まいを正し、トムは膨れっ面を隠すことなく正面を向く。


「よろしい。では始める」


 正面のスクリーンにロージレイザァを中心にした宙域図が表示された。






 ミーティング後、フライトのブリーフィングまで時間があったトムは、ルゥリシアの本を手に医療部へ行くと、病棟のナースステーションで、ラディウとウィオラの居場所を聞きだした。


 ラボと違いここの看護師は、簡単に目的の部屋番号を教えてくれる。


 トムは教えられた部屋の前に行き、ノックをしようとしたが、直前でやめると上げた手を下ろし、そっとドアを開けて中の様子を伺った。


 もし咎められたら、ルゥリシアから預かった本を渡しに来たと言えばいいし、まだ始まってなければラディウを説得するつもりだった。そうでなくてもウィオラに直談判したい事もある。


 室内には白衣を着た3人の大人たちと見慣れた機器類、中央のベッドに背中を預け、糸が切れた人形のように身動き一つしない少女――トムはそこにいる彼女を見て、思わず小さく息を呑んだ。


 彼は他の子が何らかの処置を受けている姿を見るのは、これが初めてだった。ウィオラはどんなに予定が詰まっていても、複数人を同じ場所で処置をするという事はしない。


 処置を受けているときに、被験者自身は自分がどのような状態に置かれているのか知っている事は少ない。情報管理もあるが他の被験者に見せない事で、彼らの尊厳やプライバシーを守る意味もあった。


 それからすると今、トムのしている事はプライバシーの侵害だったが、そんな大人たちの配慮や事情を、当事者の彼は知る由もない。頭を振って気を取り直し、そっと声をかけようとした時、最もドア近くにいた白衣の男性――ジェド・ウィオラが振り返えり、「トーマス!」と声を顰めて咎めた。


 背中を向けていたポートマンとスミスも驚いて振り返り、闖入者である黒髪の少年を見つめる。


 ただ重たげな装置を目深に被ったラディウだけが、何の反応も示さなかった。


「先生!――」と言いかけたトムに、大人たちは怖い顔で人差し指を口に当てて「静かに」とサインを送り、トムは慌てて口を継ぐんだ。


 ウィオラはスミスと目を合わせると、スミスは大きく頷いて、トムに背を向けた。


 ポートマンも厳しい表情でトムを一睨みした後、自分の作業に戻る。


 それを見てウィオラはその場で凍りついたように固まっているトムの腕を取り、部屋から連れ出してそっと静かにドアを閉めると、そのままラボの医官たちが使っている診察室に彼を連れて行った。

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