第23話 彼らのナインボール

 カンっとボールがぶつかり合う小気味良い音の後に、カタンとポケットに落ちる音がする。


 ステファンが「どうだ」と言わんばかりの表情でトムを見下ろして、悔しげに口をへの字に曲げる少年を横目に、キューの先端にチョークをつけて構える。


 一呼吸おいて再び球と球が触れ合う音がしたが、今回はポケットには入らなかったようだ。対するトムは負けん気の強そうな双眸を輝かせ、「すぐ巻き返してやる」とキューを構える。


「隣、座ってもいい?」

「どうぞ」


 ラウンジでビリヤードに興じる友人たちから離れたラディウは、オレンジジュースを手にして、カウンター席から彼らを眺めているヴァロージャの隣に座った。


「ねぇ、前から聞きたかったの」


 彼女はオレンジジュースのグラスをカウンターの上に置き、肘をついてヴァロージャを仰ぎ見る。


「ヴァロージャのコールサインの、”ラルス”ってどう言う意味?」


 ヴァロージャは、ん? という表情をすると、クルリとスツールを回して彼女に向き合った。


「ラテン語の「カモメ」っていう意味。カモメっていう鳥知ってる?」


「んー」ラディウは小首を傾げてしばらく考えると横に首を振った。


「見たことないな」

「俺も見た事ない。海洋コロニーにいるそうだけどね。地球の海にいる鳥で、海と航海を象徴する鳥なんだって」


 海洋コロニーは文字通り地球の海を再現し、マリンリゾートなどの海洋アクティビティを提供するほか、海産物の生産も行っている、観光と生産のコロニーだ。


「最初の配属先。ツイビニーンの戦隊長がつけてくれたんだ」


 彼はかつて所属していた艦隊の戦隊長を思い出し、懐かしそうに目を細めて笑う。


「船乗りらしい、いいコールサインだね」

「だろ? ラディウは? エルアーの意味」

「私は……私はそんな素敵な由来じゃないよ」


 ラディウがそう言って苦笑すると、ヴァロージャは優しげな笑顔のまま「教えてよ」と促す。


「私は、コールサインを決めるよう言われた時に何も思いつかなくて、よくDr.ウィオラたちに、気持ちが振り子みたいに左右にブレ過ぎって言われてて、なんか反発しちゃって、じゃあ左右って」


 ラディウは苦笑いを浮かべながら、オレンジジュースのグラスに手を伸ばす。


「でもLRって二文字じゃカッコつかないから、大尉が綴りを考えてくれて。今思うと、もう少しちゃんと考えればよかった」


 彼女は恥ずかしげに目を伏せて、ストローでグラスの氷をかき混ぜる。


「意味を聞かれる度に、失敗したって思うの」と苦笑しながらストローを咥えてジュースを一口飲む。


「俺はラディウのコールサイン好きだな。エルアーの響き、きれいだと思う」


 何気ない彼の言葉に、ラディウはドクンっと自分の心臓が大きく脈打って同時に顔がカァっと熱くなったのを自覚した。


 照れたその顔を見られたくなくて、もう一度ストローを咥えると、オレンジジュースのグラスを両手で持って俯く。


「あ……あの、そういえば、その……ヴァロージャと、こういうところに来たの……初めて……かも?」


 落ち着いた雰囲気のラウンジで、こうして並んで座っていると、なんだか大人っぽいデートをしているような気持ちになって、彼女はさらに恥ずかしくなる。


「言われてみればそうだな。そういえば、あのコインを返してなかった」


 ヴァロージャはそう言って制服のポケットに手を入れる。それをラディウが「待って」と声をかけて制した。思わず彼に触れて止めようとした手をサッと引っ込めて、そのまま握る。


「まだ持っていて。月に行く前にした約束の、メテルキシィのシミューレーター、まだ相手をしてもらってないもの」


 月から帰ってきても、ヴァロージャは新しい機体の習熟訓練を、ラディウは自身が指名されている実験や訓練で手いっぱいで、お互いの都合がつかないまま、今回の演習に参加している。


ヴァロージャは首を傾げた。


「シミュレーターなら、何度かやったろう?」と尋ねると、ラディウは首を横に振る。


「訓練じゃない。純粋に一緒に飛びたいの」


 ヴァロージャは「わかった」と頷く。


「この仕事が終わったら、やろうな」

「うん。楽しみにしてる」


 ひとゲーム終えたトムが、ラディウを探して室内を見渡すと、奥のカウンター席で、彼女がヴァロージャと楽しそうに会話をしているのが見えた。


 ここからでは何を話しているのかわからないが、彼女の瞳が柔らかい優しげな眼差しでヴァロージャを見つめ、微笑んでいる。


「ラド……」


 自分に向けられたことのない彼女の表情に、トムの心がチクリと痛む。


「あの二人、仲良いのか?」

「さぁ、同じ小隊なだけさ」


 次のゲームのためにラックを組んだステファンが尋ねるが、トムは関心なさそうなそぶりで答える。


 それを見てステファンはニヤリと笑みを浮かべると「ふーん」と言った後にトムの耳元で「エルアーのこと、好きなんだ」と囁いた。


 するとその瞬間、トムの顔がボッっと赤くなったのと同時に、驚いた猫のように身を翻してステファンから離れた。


「な、そ、そんなんじゃ、ラディウとは! 同期な……だけだし」

「そんなんで動揺すんな。まだお子様だな」


 トムのわかり易さに、ステファンはニヤニヤと面白そうに笑う。


「さっさとしないと”ラルス”に獲られるぜ」


 そう言って右手を鳥のくちばしのような形にすると、トムの目の前で、魚を捕まえる鳥のようにパクッと動かして見せる。


 トムは鬱陶しそうに顔をしかめて、ステファンの手を払う。


「そんなんじゃないって。くそ! 今度の演習でギッタギタにしたやる!」

「その前に俺様が、9ボールで沈めてやるよ。ほら、やるぞ!」


 そう言ってステファンはトムを促して台に向かうと、キューを構えた。

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