第13話 彼の報告書

 帰りのシャトルでは誰しも無言だった。


 アスワンの出来事は、誰に聞かれるともわからない状況で、安易に口に出せる話題でもない。必要最低限のやりとりだけが交わされる。


 行きのシャトルであんなにはしゃいでいたラディウは、今は黙ったまま窓の外を見つめていた。


 ヴァロージャも機内オーディオのイヤフォンを耳に挿して目を閉じているが、彼の座席のモニターは黒く沈黙し、機内プログラムは何も映し出されてはいない。


 目を閉じたまま、彼は考え続ける。もし自分の出自が明らかにされれば、まず3課を外され、艦隊に戻るチャンスも無くなるだろう。そうなるとラボでの軟禁状態が続くのだろうという事も容易に想像がつく。


 頭をゆっくり窓の方に向けると、目を開けてシャトルの小さな丸い窓越しに宇宙を見る。


 ガラスに映る、眉間にシワをよせるしかめ面の自分を見て、ヴァロージャは先の見えない状況に嘆息し、気持ちが落ち込み憂鬱になった。


 結局最後まで、彼らは会話らしい会話をすることなく、口を噤んだままアーストルダムに到着し、迎えにきた警備隊の隊員が運転するクルマでラボに戻っている。


 ここでようやく、三列シートの最後尾に座っていたラディウが、前席に座るスミスに話しかけた。


「先生、彼女……シルヴィアでしたよね?」


 ラディウは”ベレッタ”と呼ばれた彼女を思い出す。2年前はあんなに険のある表情をする少女ではなかっただけに、あの変わり様はショックだった。


「そうだな……おそらくそうだろう」


 少し沈んだで声のスミスの答えに、ラディウはぶるりと震えた。そして、シャトルの中で考えていたことを、思い切ってに尋ねてみることにした。


「……ラボの研究は、あそこまで人を変えてしまうのですか? それとも、Aグループが……ラボが目指しているのは、彼女のような状態なんですか?」


 ラディウはじっと前席のスミスのヘッドレストを見つめた。当事者でもある彼女にとっては他人事ではない。ラディウの隣に座るヴァロージャの頭が微かに動き、二人の会話に注意を向けているのがわかる。


 暫くの沈黙の後、スミスは大きく息をつくと一言だけ「この話は終わりだ」と言って、彼女の問いに答えることを拒否した。


 ラディウもそれ以上は聞かなかった。シートに深く座り直し、ヘッドレストに頭を預けて窓の外を眺める。


 やがてメディカルセンターと、その奥のラボの建物が見えてきた。


 帰ってきたのだと思うと、ラディウは胃の奥がどんよりと重たくなる感じがして嫌だった。


 間も無く敷地内に入るところで、2列目に座っていたオサダが振り向いた


「ヴァロージャ、あの件は上に報告させてもらうぞ」

「上? 警備部のか?」

「あぁ」


 墓地でのウィリアム・トルスタインとの件であることはわかっていた。ヴァロージャはふぅっと息をつくと、首を振って拒否する。


「それは、先に俺から情報部に報告をしたい。それからにしてくれ。これは俺の問題だ」


 オサダは「わかった」とだけ答えて、前に向き直った。


「ラングレー伍長も頼む」


 助手席に座るラングレーにヴァロージャはそう呼び掛けた。


 ラングレーもちらりとヴァロージャに振り返り「了解です。少尉」と返した。そんなラングレーを、ラディウはじっとヘッドレスト越しに見つめていた。






 二日後、ヴァロージャはオルブレイの部屋で彼と向き合っていた。


 祖父母の件での急な休みを含め、何かと気にかけ融通してくれたことの謝意を伝えてから、意を決して用意した報告書をオルブレイに提出した。


 アスワンでの事をわざわざ書面にする必要はなかったが、感情的にならずに伝えるには、この方法しか思いつかなかったのだ。


 オルブレイはデータで送られたそれを読み、その間ヴァロージャは背筋を正して、反対側の壁を見つめていた。


 暫くしてオルブレイはタブレットをテーブルに置くと、やおら立ち上がり自身のデスクのキャビネットから、一冊のファイルを取り出してソファに戻った。


「このファイルは、少尉を3課に加える前に調査した、君の身上書だ」


 ヴァロージャはビクッと微かに身体を震わせると、緊張した面持ちでオルブレイが掲げた薄黄色のファイルを見つめた。


「先に言っておく。そもそもこれを君に開示する予定は無かった」


 オルブレイはファイルをパラパラとページを捲ると、最後にパタンと音を立てて閉じる。


「なぜ少尉がラス・エステラルで追われていたか、いま見せてもらった報告書の内容の裏付け。これで全て説明がつくだろう」


 そう言って彼はヴァロージャの前にそれを置いた。スッと自分の前に差し出されたファイルを見て、ヴァロージャはゴクリと唾を飲み込む。


「私の素性、すべてご承知の上で転属命令を出されたと?」

「そういう事だ。そしてこれを今、君に開示する」


 ヴァロージャは膝の上で躊躇いがちに動いていた両手をグッと握りしめて、意を決してファイルを手にした。


 そして大きく深呼吸をしてページを繰った。






 微かな空調音と、隣室のオフィスから時々聞こえる電話のコール音。そして、ヴァロージャが捲る紙の音が部屋を支配する。


 十数分後、ヴァロージャは静かにファイルを閉じると、表紙を見つめてそのままじっと黙考していた。


 オルブレイがコーヒーカップをソーサーに戻し、膝の上で手を組んだ。


「少尉の父親はウィリアム・トルスタイン、セクション5の支配者インテグリッドのエドアルト・トルスタイン総帥は君の祖父。母親はレティーシア・オルソワ。元地球政府大統領の令嬢だ。少尉の本名はヴァージル・オルソワ。君の報告書と一致している。」


 ファイルにはあの日ウィリアムが彼に告げた事と同じ内容が、時系列を追ってまとめられていた。


 彼がこの身上書で初めて知ったのは、2歳の頃にオルソワ家は彼の養父母としてジェームス・ロバーツ夫妻を選び、ヴァロージャは名前を変えて夫妻の養子となったこと。


 ロバーツ家がラス・エステラルに転居するまでは、オルソワ家から多少の経済支援があったことなどが記されていた。


「祖父母……実際は私の養父母だったという事ですか……朧げですが母親の記憶があります。だから俺はジムもエリーも自分の祖父母だと思って……」


 ヴァロージャは膝に肘をついて頭を抱え、うなだれた。


「このファイルの内容は、部内――うちとラボBグループの機密として扱う。よって少尉個人の経歴に何ら影響はない」

「……はい」


 ヴァロージャはゆっくりと顔をあげて、机上に置いたファイルの管理場号だけが書かれた表紙を見つめた。


「ただし、ユモミリーが少尉の身柄を狙っている以上、当面はリプレー達に準じた行動制限をする事になる。理解して欲しい」

「今でも行動制限は受けていますが、それ以上に……ですか?」


 ヴァロージャは怪訝そうに尋ねる。今でも自由に外出ができない状況を、十分厳しいと彼は思っている。


「彼女たちは軍の所有物だ。少尉が思っている以上に厳格に管理されている。君のように簡単に外出許可などは下りない」

「なるほど……」


 夏に帰還した彼女を港に迎えに行った時、ラディウがひどく驚いていたのを思い出した。


「状況が変われば、窮屈な思いもしなくなるだろう。暫くは我慢してくれ」

「わかりました」


 拒否をする理由はない。このまま連合宇宙軍の一員として置いてもらえるのは、彼の本望だ。


「君は今も、これからもヴァロージャ・ロバーツだ。忘れるな」

「はい。ありがとうございます」


 オルブレイは机上のファイルを手元に引き寄せて回収した。






 同じ頃、ラディウはオフィスを抜け出してエレベーターホールに行くと、辺りを見回して重たい防火扉を開けて階段室に入り、コンコンとパンプスの音を響かせて、足早に階段を降りていった。

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