第12話 彼女と彼女の……

 オルソワと聞いて、ラディウがピクリと反応した。


 対して興味のない一般教養の授業で、近年の地球政府大統領を3期12年勤めた元首であること、オルソワ家が地球政府中枢に深く関わる政治家の一族であることを彼女は学んでいる。


「……元地球政府大統領の?」

「君は黙っていろ!」


 すかさずオサダが彼女の腕を強く握って制する。握る手の強さにラディウは痛みを感じて微かに眉を顰めたが、声には出さなかった。


 オサダはラディウを一瞥することもなく、じっとウィリアムとギニアと呼ばれた女性を見据えていた。彼のピリピリとした緊張感が、ラディウに否応なく伝わってくる。


 ウィリアムは「そうだ」と頷いた。


「君の母親はレティーシア・オルソワ。24年前に私と彼女は駆け落ちしたんだ」


 ウィリアムはレティーシアとセクション3に逃げて、そこでヴァロージャが生まれた事、1年後にレティーシア母子はオルソワ家に連れ戻されたこと、ウィリアム自身もセクション5に戻らざるを得なかったことを話した。


「政治的な問題だ。お互いの家にとって私たちの結婚はスキャンダルだったんだ」


 そんな事知るか! と言わんばかりにヴァロージャはウィリアムを睨みつける。


「それと俺を追っていた連中とジムたちの死はどう関係するんだ」


 ヴァロージャの問いに、ウィリアムは苦しげに話し出した。


「君がコロニー連合でパイロットになった。それも上位の成績でだ。その事を知った父――総帥が、君を引き入れたいと言い出し、それを受けた諜報部が君を探し始めた」


 軍部のした事で詳細は把握できていないと、ウィリアムは前置きをした上で、彼らは旅行中のロバーツ夫妻を捕まえて、ヴァロージャの居場所を聞き出そうとしたことを話した。


「今のセクション5で総帥の命令は絶対だ。実行部隊は命令に忠実に行動したのだろう」


 どんなに脅されても、夫妻は頑なに答えることを拒んだと言う。彼らは最期までヴァロージャを守り続けたのだ。


「それで、情報が得られないからと、月に放置して殺したのか! あんたたちは――!!」


 ヴァロージャの握った拳がわなわなと震える。

 ウィリアムは沈痛な面持ちで空を仰いだ。


「私も、父とは別の目的で、君とロバーツ夫妻を探していた……」


 ラディウは目の前のオサダの緊張感がさらに高まったのを感じた。


「探し出してどうするつもりだったんだ」


 ヴァロージャは低く威嚇するような声でウィリアムに尋ね、ウィリアムは辛そうに言葉を続ける。


「君たちに警戒を促し、父から隠し、今度こそを守りたかったんだ」


 そう言って、再びロバーツ夫妻の墓石を見つめた。


 ラディウにはウィリアムの瞳が、僅かに潤んでいるように見えた。


 彼女は肩の力を抜き、自分の腕を掴むオサダの手に、そっと自分の手を重ねた。警戒しなくても大丈夫だと言うように。


 10月の風が、彼らの間を走った。


 彼の後悔をラディウは受け止めていたが、ヴァロージャはやり場のない怒りを、理性で抑え込んでいる。


「今さら、なんだって言うんだ。そもそも俺にあんたの記憶はない。母親の記憶ですら朧げなんだぞ」

「そうだろう。私も君に直接会うことは考えていなかった……」


 ヴァロージャはフンと鼻を鳴らした。


「それを、今さら……そっちの勝手な都合で俺たちを巻き込んで! あまつさえ二人を殺して――!」


 その時だった。


 入り口側の小道から、また別の人影が現れた。


 ヴァロージャは口をつぐみ、全員の注意が人影に向く。


 やがて石畳を叩く軽快な靴音を響かせて、木陰からラディウと同い年ぐらいの少女が現れた。


「ウィリアム様。そろそろお時間が――」


 その少女を見たラディウが、驚いて目を見開いた。


「シル……ヴィア・ボルマン?」


 かつて肩を超えるぐらいまであった彼女の豊かな髪はバッサリと短く整えられ、ギニアと同じデザインのタイトなパンツスーツは、少女を実際の年齢より大人びて見せる。


 2年経てばそれなりに背も伸びていたが、そこにいるのはラディウが知る優しい少女ではなかった。


 彼女は険のある眼差しでラディウをちらり一瞥すると、仮面のような表情に薄らと笑みを浮かべた。


「あぁ、やはりお前だったか。L1142419」


 シルヴィアに似た少女は、ラディウをラボの管理ナンバーで呼んだ。ラディウは答えずに不快感を露わにし、少女を凝視する。


「あの戦闘で私の<ズラトロク>を傷付けたのは」

「ズラトロク?」


 なんのことだろうかとラディウは眉根を寄せて思い巡らし、やがて8月のロージレイザァ勤務中に起きた、所属不明機の宙域侵犯を思い出した。


「まさか……あの時のボギー4?」


 少女は否定も肯定もせず、ゆったりと首を巡らしてヴァロージャを見ると、おや? と言う顔をした。


「こちらは総帥がお探しになられている、ヴァージル様ですね? 先にお連れいたしましょうか?」

「彼はヴァージルではない。人違いだベレッタ」

「ですが……」


 シルヴィアによく似た、ベレッタと呼ばれる少女は、戸惑うような素振りを見せた。


「貴様は今、誰の命令の下で動いている?」


 先ほどまでの穏やかな雰囲気とは真逆の、氷のような冷たい目線と言葉で、ウィリアムはベレッタを睨みつけた。


「申し訳ございません。ウィリアム様のご命令のままに」

「なら、彼らに手を出すな。下がっていろ」


 ベレッタは一礼すると、ラディウをギロりと睨みつけて元来た道を戻って行った。


「あんたは……」


 彼女の姿が見えなくなってから、ヴァロージャは訝しげな表情でウィリアムを見た。


「言っただろう。私は君を父から守りたいと。君を育てたロバーツ夫妻と同じ気持ちなんだ」


 先程の少女に向けたのとは全く違う穏やかさで、彼はヴァロージャに向き合った。


「君の前に父親として立つのはこれで最後だろう。父らしい事を何もしてやれなかった。レティーシアもロバーツ夫妻も守れなかったが……私の力の及ぶ限り、父の手から君を守りたいと思っている」


 ヴァロージャは訝しげにウィリアムを睨む。


「……何が言いたい」


 ウィリアムは寂しげな微笑を浮かべ、ふぅと一息つくと、表情を引き締めた。


 それを見たヴァロージャは身構えるかのように、彼の視線を真正面から受け止める。


「もう君に会うことはないだろうが……君の進む道を、選択を、私は尊重する。君は君の道を進みなさい。もし君の進む道に私たちが立ち塞がったとしても、君は君の信念を貫きなさい」


 それは暗に、敵として立ちはだかった時は討てと言っているようなものだった。


「君はレティーシアによく似ている。成人した君に会えてよかった。今後の活躍と健闘を願っているよ、ロバーツ少尉。さようなら」


 ウィリアムはそう言ってギニアを伴い彼らに背を向けて墓地を後にした。


 やがて彼らと入れ違うように、スミスとラングレーが半ば駆け足に近い速さでこちらに来た。

「ラディウ! さっきシルヴィアよく似た子が!」

「軍曹!今の男――!」


 ラディウはオサダから離れて、ヴァロージャの元へ駆け寄った。


「大丈夫? ヴァロージャ?」


 彼の制服の袖を引くが、ヴァロージャは内側に湧き上がる怒りと戸惑いを抑えるよう、深くゆっくりと深呼吸をしながら、ウィリアムたちが消えた小道を睨んでいた。


 ラディウはこの時、ヴァロージャのネームプレートの下にラボのピンがついていないことに気づいた。

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