第7話 彼の休日と彼女の羨望
外の空気を吸いながら、開放的な雰囲気の中でする食事はいつぶりだろうかと、ラディウは奥に行くにつれて上昇する弧を描く、スタンフォードトーラス型コロニーの、特徴的な空を見上げながら思う。
Dr.スウェンが前日から仕込み、自らの手で丁寧に焼いた肉は、本当に美味しかった。
スウェン家のバーベキューは、トムが”隊長”と慕う上官兼保護者のニコラス・イーガン少佐夫妻のほか、彼が率いる小隊の飛行士が二人、Dr.スウェンの同僚や、Dr.ナタリアの友人が数人。オサダとアザリ、それに彼の同僚もいた。
それなりに人が多くて賑やかだ。幼い子供も何人かいて、キャッキャと庭を走り回っている。
トムはここから歩いて5分ほどの距離にある、イーガン少佐の家に下宿しているとラディウに話した。
彼に紹介された少佐はとても豪快な人でよく笑い、トムがラディウを紹介すると、ビール片手に重力下で飛ぶポイントを彼女に教えてくれた。
料理を頬張りながら、トムと彼のホストファミリーのイーガン夫妻を見ていると、基地の中という囲いはあるが、トムの生活はアーストルダムにいる時よりずっと自由そうに見える。
とはいえ、トムがここで月周辺防衛任務以外に、自身や機体の運用試験を行なっているのと、ラボや協力企業の依頼で、主に月面での実験に参加しているのを、ラディウは知っている。
彼なりに忙しく過ごしているようだが、それでもこういう形で息抜きできる環境はやはり羨ましい。
「アーストルダムにいるより、こっちの方が全然いいじゃん」
ラディウの素直な感想だった。
いま2人は、料理を載せた皿を片手に、木陰に置いた折りたたみベンチに並んで座っている。
「ラディウもこっちに異動する?」
「無理無理。月面飛行資格の取得は、ラボじゃなくて3課の命令だもん。これ取ったら、次はコロニー内飛行資格を取れって言われてる」
そう言って少し炭酸が抜けた、ぬるいジンジャーエールをクィッと煽る。
「コロニー内飛行だと、月重力下での飛行時間が必要だろう? ツクヨミに配置転換じゃないの?」
「そこは協力企業の研究支援とかで、飛行時間を稼ぐんじゃないかな? 私とトムの比較データとか取れるんじゃない?」
ラディウはどこか他人事のように言いながら、肉を焼き終えてひと段落したDr.スウェンが、ビールを手に客たちと談笑しているのを眺める。
「まぁ、月を飛べるメンバーが増えると有り難い。俺もこれ以上案件が増えるとパンクしそうだ。ジャックはまだこれからだし、新しく入ってきたロバーツ少尉が、どこまで使えるかわからないしな」
トムは山盛りで持ってきた肉を口に入れる。
「私たちのグループもさ、毎年何人か入ってくるけど、ここ2年は残らないよね」
「うん……合う合わないがあるんだろうね。やってる事、キツいし」
ラディウたちもどういう選抜基準か知らないが、毎年12歳から14歳ぐらいが数人入っては、だいたい半年から1年ぐらいになると、いつの間にか姿を消す。
所属先が変わって教室で会う事もあれば、二度と会わないこともある。長く過ごせば何となく事情を察するようになり、あまり気にしないよう仲間内で慰め合いもした。
「昔は……<イフリーティ>と組むまでは、呼び出されるたびに、怖かった」
「最初の頃は私たち、よく泣きながら建物中を逃げ回ってたね……すぐ捕まっちゃったけど」
そう言ってラディウも肉を口に運ぶ。Dr.スウェンがこだわりのバーベキューソースに一晩漬け込んで、じっくり焼き上げた牛肉はホロホロして美味しい。
「そんな事もあったな。いつの間にか慣れちゃった」
トムは隣に座っているラディウの横顔を見た。芝生に映った木漏れ日を見つめる彼女に、不安そうな陰が走ったのをトムは敏感に捉える。
「彼……ヴァロージャは今日、接続実験2日目の予定。うまくいっていればの話だけど……」
「早っ! 来たの7月の下旬だろ?」
自分はここで、呑気に美味しい肉を食べているけど、彼は昼においしくない検査食のゼリーを食べて、午後の実験に挑んでいることを思うと、ラディウは罪悪感で胸が痛くなる。
「びっくりだよね……大人でそれだけ安定してるってことだろうね」
ラディウは顔をあげ、ツクヨミの空を見上げて呟く。
「私たちのやってきたことってさ、後から入ってきた人たちの役に立ってるかな? 少しでもあの苦しさも辛さも怖さも、軽くなってるかな?」
不安がないとは言えない。今残っているジャックの同期の女の子は、接続実験の後から見ていない。2年一緒に過ごしてきただけに、あのタイミングでの離脱は、アニーの事故の次にショックだった。
彼女たちの事を思い出すと、ヴァロージャの事が心配になってくる。
「……責任を感じすぎて、自分を追い込むなよ。ラディウの悪いところだ」
トムが前を向いたまま、ポツリとこぼす。
――あぁそうだ。
ラディウはトムの特性を思い出した。彼は人の心の波に敏感なタイプだった。
「あぁ、近いとバレちゃう?」
「当たり前だろう? お互いリープカインドだぞ?」
「そうだね」
ラディウは苦笑しながら残りのジンジャーエールを飲み切った。
集まった資料や調査報告に目を通し、オルブレイは眉根を押さえ深いため息をついた。
彼の原隊との調整は済んでいる。実のところもう内定済みで、後はオルブレイが最後の手続きをするだけだ。
ラボからは、彼がフルスペックのシステムが扱える即戦力型のリープカインドであることと、使用機材の連絡もきた。
そのタイミングで、この報告書だ。
そこにはユモミリーの諜報員が、彼を追っていた理由が記されていた。
この件は部隊内の機密だ。既にリープカインドとしてラボに登録された彼を守るには、自分の所に置くしかないとオルブレイは判断した。恐らくそれが一番確実で安全だろう。
彼は決断を下し自身の端末に向かうと、ヴァロージャの辞令を発行する手続きを始めた。
ツクヨミの訓練センターでの最初の1週間は、座学とシミュレーターの訓練がみっちり組まれていて忙しかった。
毎日のように筆記と実技の小テストがあり、帰ってからも予習と復習が欠かせない。体力維持のためのトレーニングの時間も捻り出す必要もあるし、Dr.スウェンからは遅くとも23時には寝るように言われていたので、毎日の時間のやりくりが大変だった。
22時少し前にキリをつけ、集中するために電源を切っていたセルフォンを起動させる。
ベッドにダイブして画面を見ると、ヴァロージャからメッセージが入っていた。
『アドバイスありがとう。上手くいった。使う機体が決まった』
『10月1日から同じ3課所属になった』
たったそれだけの短いメッセージだったが、それで大体把握した。
「良かった……」
ラディウはゴロゴロと笑顔でベッドの上を転げ、声を殺してひとしきり喜ぶと、横になったまま返信を打ち込んだ。
『おめでとう。これからもよろしく』
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