第8話 彼と彼女の月面飛行
段階的に高度を下げて、地面の存在と低重力下での離陸と着陸、戦闘機動を学ぶ。
繰り返し教えられたのは、天と地の存在。即ち高度を意識して飛ぶこと。
訓練の2週から3週目は、訓練機のメテルキシィを使った実地訓練が毎日行われた。
訓練生たちは日に何度もツクヨミと月を往復しながら模擬戦をし、ラディウもペアを組むサビーノ・”ピット”・ピアナ中尉との連携をうまくこなせるようになってきた。
4週目に入ると、月の地表近くが模擬戦のフィールドになる。
その日ラディウはピアナ中尉、そして指導教官のラファエロ・"レッドリッチ"・スリーク大佐と、月面で低空飛行訓練を行っていた。
月のレゴリスは厄介だ。弱い重力の影響で、舞い上がった砂埃はいつまでも漂い続ける。
地形と高度に注意を払いながら、先行するスリーク機が舞い上げるレゴリスの中を飛ぶ。
その時、補正された映像の中で、ふわりと浮き上がる人影のようなものにラディウは気がついた。
「なに? <ケリー>あの人影をマーク」
目で追い、<ケリー>に対象を拡大させる。
後ろ手に不自然に背中合わせになっている人影。民間用スーツを着用しているようだ。
それを見てラディウは嫌な感覚に襲われた。
直ちに彼女は機体を減速させ、これ以上レゴリスを撒き散らさないように高度を取る。そして先行する隊長機に呼びかけた。
「”
機体をその場にとどめながら、見失わないように無意識にそれをトレースしようとする。しかし、今彼女が乗っているのは訓練機のメテルキシィだ。リープカインドには対応していない。
やっている事が無駄だと気づいて頭を振り、気持ちを切り替えて月面の映像を見つめる。
「HQ、”レッドリッチ”。訓練を一時中断する。タワー、聞こえるか? 訓練エリアに民間人が紛れ込んでいる。座標を送った。
スリークはラディウから送られた座標を管制に送信し、ピアナ機を伴ってラディウと合流した。3機は高度を上げて旋回しながら待機する。
「教官、何かおかしいです」
「少尉もそう思うか。そうだな、生きていたら何か反応がある」
数十分後、月のアスワン基地から警備隊が出動し、民間用スペーススーツの2人を回収して行った。
「”レッドリッチ”隊、こちらHQ。月基地の管制に従って、アスワンに帰投してくれ」
「”レッドリッチ”了解。アスワン基地に帰投する。”
「”ピット”了解」
「”エルアー”了解」
ラディウは先行するピアナ機と教官機の後を追いながら、また第一発見者かも……と呟いた。
レゴリスを遮断するための4つのエアロックを通り抜け、アスワン基地の駐機エリアに機体を置く。
許可が出ればこの機でツクヨミに戻るため、ここのメカニックに機体の点検と推進剤の補給を依頼して、彼らは機体を離れた。
パイロットスーツのまま指定されたブリーフィングルームに待機する。
特にやる事がないため、自然と今日の訓練の反省会が始まり、随分待たされた後に基地警備隊の担当官が訪れた。
そこでFDRやコクピットモニターレコーダーなどのコピーを提出し、簡単な事情聴取を受ける。
「かなり時間が経過した遺体だった」
「遺体……」
ラディウはやっぱり、という顔をした。
「事故にしちゃ随分と不自然な姿勢に見えたが?」
スリークは椅子の背もたれに寄り掛かった姿勢で、担当官に尋ねると、彼は小さく頷く。
「他殺と自殺の線で捜査する……それにしても少尉、よく見つけてくれた」
「偶然です」
ラディウがそう言ってドリンクパックのお茶を飲む。
「いい目をしているんだな」
機外カメラとHMSを連携して補正されて見えるスクリーンの世界に、視力云々はあまり関係ないと思いながら、ラディウは小さく「いえ……」と答えた後に、
「メテルキシィのカメラ性能と支援AIが優秀なんです」と答えた。
照れているのか本気なのか判らない少女の物言いに、担当官は苦笑すると、机の上のタブレットとノートをまとめて立ち上がった。
「ご協力感謝します。今日はツクヨミに帰投してもらって構わない。何かあれば訓練期間終了後に連絡します。では」
そう言って敬礼をする彼に、3人で返礼する。
彼が出ていくと、スリークはツクヨミに帰還するために、アスワン基地の飛行スケジュール管理の担当官と話しをすべく、壁のインターカムを手にした。
数日後――
ひんやりと底冷えのする部屋の遺体保存用冷蔵庫から、ステンレスの台に乗った2体の黒いボディバッグが引き出された。
タイル張りの部屋にガシャガシャと金属の音が響く。
ここ、アスワン基地警備隊の遺体安置所で、ヴァロージャは今もまだこれは夢なのではないか? と思い、呆然と立ち尽くしたままその作業を見つめていた。
ラディウが発見した2体の民間スーツは半ミイラ化し、死後1年以上が経過したとみられる高齢男女の遺体だった。
DNAデータベースの身元検査で、遺体は行方不明のロバーツ夫妻と特定され、その連絡を受けた彼は、アーストルダムからの直行便でアスワンに入った。
「先に監察医からご説明があったように、死後相当な時間が経過しています。手続き上確認をして頂きたいところですが、無理にとは言いません」
暗に凄惨であるから心せよと、担当官が告げる。
「どうする? ヴァロージャ」
彼に付き添うスミスがそっと尋ねる。
「いえ……確認します。自分の……家族なので……」
自分でもわかるぐらい、声が震えていた。
心臓がドクン、ドクンと拍動する音がヴァロージャの頭の中で鳴り響く。口の中がカラカラに乾いて喉が張り付くようだった。
「先生、一緒に……」
最初の一歩踏み出そうとした時、不意にヴァロージャは縋るようにスミスを呼んだ。
「あぁ、一緒に確認しよう」
スミスは後ろから彼の肩に腕を回して共に歩を進め、引き出された二体の頭側に回る。
頭部の確認用ファスナーを担当官が下し、透明なカバー越しに顔を確認することができた。
ヴァロージャは中の顔をひと目見ると驚愕で目を見開いた。次に同じようにもう一体を確認すると、左手で口を押さえ、ギュッと目を閉じて天を仰いだ。
「間違いありません。自分の……祖父母……ジム……ジェームズ・ロバーツとアリス・ロバーツです……」
くぐもった震える声でそう告げると、彼は膝からゆっくりと崩れ落ちるように床に手をつき、人目を憚らず嗚咽した。
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