第35話 彼女のResolution 2

 少し顎を上げて真っ直ぐ前を見たまま、ラディウは肩幅ぐらいに両足を開いた休めの姿勢でよどみなく言葉を連ねた。


 もう、迷いはない。


「軍とラボが必要とするのは、リープカインドのパイロットである事は十分承知しています。ですが私は宇宙軍の飛行士Aviatorです。飛行士としての能力に問題がないのに、飛行任務に就けないのは納得ができません」


 ポートマンは渡された資料をめくりながら、ラディウの話しを聞く。


「それともラボとしては、コッペリアに繋がれない私は、パイロットとしても使えないと言うお考えですか?」


 ポートマンは質問に答えない。ラディウは気にせず続ける。


「私の能力判定に必要なら、検査だろうと何だろうと大人しく受けます。ですから飛ばせてください」


 そう言って左の手の中に忍ばせた、パウエルのラッキーコインをギュッと握った。


 これは賭けだ。


 自身の飛行能力に問題がない事を示すデータは添えた。


 客観的な資料を添えても、Dr.ポートマンが断固としてラディウが飛ぶ事を拒否をするなら、帰港まで彼女を医療区画で監視下に置くだろう。


 それこそ、検査だとか調整だなんだと理由をつけてしまえば良い。その権限をポートマンは持っているし、ラボの研究者達がそれぐらい平気でやる事を、ラディウは充分知っている。


 ポートマンもまた、飛ぶ事にこだわった時の、彼女の頑固さと扱いにくさを良く知っている。


 彼女はファイルを机の上に置くと、眉間をもみほぐしながら、ふぅと大きなため息をついた。


「ここまで医官の命令を無視されるのは、正直に言うと不愉快よ。なんのために私がここに出向してきているかわかってる?」


 怒りと不快感を露わに、ポートマンは厳しい口調でラディウを睨む。


「私たちリープカインドの生命と精神を守るためです。Ma'am」


 それに動じることなく、ラディウは常に言い聞かされている事を悪びれもせず誦じてみせる。


「シミュレーターの使用も許可した覚えはない……でもあなたはこうしてデータを揃えてくる。なぜこうまでして指示に従わず、飛ぶことにこだわるの?」


 ラディウは姿勢を崩さず、一瞬だけポートマンと視線を合わせた。


 軍人の表情と態度から力が抜け、年相応の心細げな少女の顔が覗く。


「……私には、これしかありませんから」


 ポートマンは再びため息をついた。


 この娘はいつもそうだ。


 FAの操縦や、飛ぶこと以外の楽しみを持つよう誘導しても、たいして興味を示さない。休みの日でもシミュレーターを使わせろと言いに来る。何度「あれはゲーム機じゃない」と注意したことか。


 とはいえ、彼女の飛ぶ意欲やその執着を、上手く利用してきたのも事実だ。その結果、今のラディウ・リプレーというパイロットがいる。


「あなたの考えはよくわかりました。この件はウォーニル中尉、ティーズ大尉、アスターナ大尉と相談して判断します」


 ラディウはポートマンがそう言って時間稼ぎをするのでは? と警戒する。このまま引き下がらずに先手を打つ。


「いつまでにお返事をいただけますか?」

「3人の予定もあるわ。今日中に話し合いをして、遅くとも明日の朝には知らせます……最終的には戦隊長の決裁を仰ぐことになるわ。これでいいかしら?」


 ポートマンは椅子の背もたれにもたれかかって、彼女を見上げる。


「了解。ご配慮感謝します。Ma’am」


 彼女は目を合わせず謝意を述べる。


「話しは以上?」

「はい」

「では、これは担当医官としての命令。すぐに着替えて明日まで病室で寝てなさい。明日の朝の状態も、判断材料にします」


 こちらの要求は伝えた。どうなるかわからないが、逆らうのは得策ではないと思い、素直にポートマンが呼んだ看護師の後についていった。


 もう評価とかスコアとかどうでもよかった。


 ただ、飛びたかった。別にシステムと繋がっていなくても構わない。リープカインドとかもどうでも良い。信頼できる仲間と宇宙を飛びたかった。


 そのために私は――






 人の気配で目が覚めた。


 ぼんやりとした頭を巡らせると、看護師が血圧を測ろうとしていた。いつもの機械が、いつものように繋がっている。検査でもなんでも受けると言ったのは自分だ。仕方がない。


「起こしちゃった? まだ寝ていて大丈夫よ?」


 囁くような声に「今何時?」と尋ねると、彼女は「朝の6時半」と教えてくれた。


 起床時間を過ぎている。寝坊だと思っても眠い。昨夜、ここで寝る前に渡された薬の影響が残っている。


 もしかして賭けは失敗だったのかもしれない。覚悟はしていたが、もしそうだとしたら少し悲しかった。つうっと涙が一筋流れ、ラディウは再び眠りに落ちた。






 カタカタとキーボードの音と人の気配で再び目覚めた時は、先ほどより頭がクリアになっている感じがした。


「おはよう、気分はどう?」


 作業の手を止めたポートマンが声をかける。


「いいですよ。とても……」


 つい投げやりな口調になったが、このままではダメだと、気持ちを落ち着かせるために数回深呼吸をする。


「今、何時ですか?」

「ん? 8時45分ぐらいかしら?」

「そう……」


 ぼんやりと天井を見つめる。


 エルヴィラの小隊は、そろそろ今日最初の訓練フライトの準備をする頃だ。


 ポートマンは端末のケーブルを抜き、ラディウの頭につけていたセンサー類を外した。


 それだけでもいくらか気分が楽になる。


「さぁ、もう起きて良いわよ」


 のそのそと起き上がり、手櫛で寝乱れた髪を整える。


 昨日の結果を聞くのが怖くて、彼女は自分から話を切り出すことはできなかった。


「コッペリアシステムのパイロットエラーによる強制接続解除はね、パイロットの精神状態が不安定になると発生する、一種のセーフティシステムなの。別に能力が落ちたという事ではないの」


 空中に投影された画面をスクロールさせながら、ポートマンが告げた。


「それとは別に、精神状態が不安定なパイロットも飛ばす事はできない。これは基本的な軍の飛行規則。常識ね」


 ラディウもそれは承知しているので、黙って頷く。


「この前よりは安定してる。まぁこれなら良いでしょう。飛行許可を出すわ」


 ラディウはホッとした。


「ありがとうございます」


 平静を装いつつも、心の中でガッツポーズをつくる。


「それでもコッペリアと繋がるのは、多分まだ難しいわよ? それでも良いのね?」


 それは承知の上だ。仲間と飛びたい気持ちの方が優先される。


「単方向型のBMI搭載機は、普段から訓練しているので問題ありません」

「……そうでしょうね」


 彼女が持ち込んだ自身の能力評価がそれを証明している。


「今日から飛んで良いのですか?」

「いいえ。明日の朝からよ。今日はここに居てもらいます。もう少し休んでなさい。朝ごはんを用意させるわ。それと昨日私に見せたファイルのデータを、明日でいいからこちらに送ってちょうだい」


 そう言って、モニターを消す。


「時々様子を見に来る。いいわね? 勝手に抜け出すのも禁止!」


 そう言って部屋を出て行った。


 それぐらいは仕方がない。大人しくしていようと決めてポートマンの背中を見送り、部屋のドアが閉まるのを見てから、ラディウはそっと枕の下に手を伸ばした。


 ゴソゴソと探って、小さなコインを取り出す。


「”アーレア”、これ本物のラッキーコインだよ」


 そう呟くと、両手で包みこんだパウエルのラッキーコインに、そっと額を重ねた。

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