第36話 彼女の復帰と黒いシミ
ラディウの復帰フライトは、午後に予定されているその日最後の哨戒任務だった。
「リハビリにちょうどいいでしょう? そのかわり明日からまたよろしくね」と言うのが、小隊長のエルヴィラの弁だ。
コッペリアシステムに繋がれないのなら自機のリウォード・エインセルではなく、ロージレイザァにある予備機のメテルキシィを借りて、それに乗り換えかと思っていたが、そのままエインセルを使用するようにと通達された。
だから今、午前中のうちにシステムが使えないなりのセッティングを済ませてしまうことにして、こうしてメリナと一緒にコクピットに張り付いている。
「一時的にスコット君と同じシステムをセカンダリで積めるけど、どうする? あれなら使えるわよ?」
「このままでいいです。リンクできないならできないなりの飛び方をするから」
ラディウはメリナから渡された、セッティング項目のリストを確認する。
「繋がってないと、操作系BMIの感度が遅れ気味だったから、それを調整して欲しい」
「わかった。あなたが録ったデータを下敷きにして、調整するわ」
To-Doリストに項目が追加される。
「それと、〈ディジニ〉の会話モードの復活はできない? 話しかけても反応がないからやりにくくて……」
「これはね、私もアクセスを試みてるのだけど、彼女も
誰に似ているのかと思いながら、メリナは肩をすくめて苦笑する。
「リンクしてこそのコッペリアシステムと〈ディジニ〉って言うことか……うん。わかった大丈夫」
仕方ないねとラディウは苦笑する。恐らくアーストルダムに戻らないと、なんともならないのだろうと判断し、そこはもう考えないことにした。
「落ち着いてきたわね。いつもと変わらないレベルまで戻ってきてる」
メリナはラディウの精神状態を表す波形データを確認してそういうと、それは良かったとラディウは笑顔を見せる。
「コンテイジョン現象のこと、帰ったらちゃんと彼に謝るって決めたの。もちろん
Dr.ウィオラともちゃんと話しをしてからだけど。それと……」
憑物が落ちたかのように穏やかな表情でラディウはメリナを見つめた。
「もう今は評価のことより、飛びたいの。今はみんなと最後まで飛びたいの」
メリナも久しぶりに、目に生気が戻ったラディウを見て微笑む。
「そう、あなたがそう決めたなら、それでいいと思うわ」
「うん」
ラディウは嬉しそうな笑顔を向ける。そして、それは予兆なく起きた。
「う…ンッ…!」
突然の機圧に顔をしかめる。
「ラディウ?」
驚いたメリナが声をかけるが、突然の事にラディウは返事ができない。
『コッペリアシステム リンクシークエンス スタート』
グッと意識を引き込まれるような独特の感覚と、背骨から全身にピリっともゾワっとも言い難い何かが走り、次いで周囲の情報が矢継ぎ早に頭の中に入ってくる。身構えた途端に突如、それらが消えて静かになった。
「は?」
「え!?」
嵐のような感覚は一瞬で終わり、ラディウは驚いてチェックリストが流れるインフォメーションモニターを、メリナは手元のタブレットを見つめる。
やがてシステムと繋がっている感覚を維持したまま、頭も心も普段と変わらない平穏さを取り戻す。
『リンク完了。バイタル正常。スタンバイ完了』
「うそ……繋がった……」
予期せぬ突然の出来事に、2人で顔を見合わせた。
――数時間後。
発進待機デッキでプリフライトチェックを行い、機体に乗り込んでシステムとのリンクを確認。生命維持装置、各システム関係のケーブルを繋ぎ、最後にハーネス類を装着していく。
コツンとヘルメットが当たり、ラディウは顔を上げた。
オレンジ色のラインが入った、メカニック用のスーツを着たメリナと目が合う。
「復帰したばかりだから、EEG誘導ミサイルは非搭載。それでもリンクレベルを上げすぎないように気をつけて。今日は様子見程度に留めるのよ」
「ん、了解。でもね頭の霧が晴れたようにスッキリしてる。すごく調子いいよ」
「顔を見ればわかるわ。じゃあまた後で」
「はい、行ってきます」
軽く敬礼を交わしてハッチクローズ。
画面越しに退避エリアに向かうメリナの後ろ姿を見送る。
『”アグーダ”小隊、各機状況知らせ』
CDCのオペレーターの声を聞きながら、ラディウはハーネスのストラップを引き絞ると、身体がシートに固定される。
『”アグーダ”
『”ルックス”
『”ティオ”
仲間の声を聞き、ラディウは大きく息を吸い気合を入れた。
「”エルアー”
数分後、カタパルトから叩き出される時の強烈なGもすらも心地よく、ラディウは管制から指示される既定の離艦コースに機体をのせ、フォーメーションを組んで担当セクターへ向かう。
いつものように、トルキー機の右後ろを飛びながら、周囲に気を配る。久しぶりの心の平穏さは、静かな湖面のようだとラディウは感じた。
普段ティーズ達から求められているのは、この状態なのだろうなとラディウは思う。
突如その静かな湖面に、小石が投げ込まれたような違和感が、小さな黒いシミとなって現れた。
せっかくの静穏を乱されたと感じて少し不愉快だったが、ラディウはそのシミに意識をフォーカスさせる。
捕まえる。
「速い……」
青白い航跡が4つ。IFFの応答を確認するのは、もう少し距離が近くないと拾えない。
軍用機か民間機か?
軍用機なら事前にブリーフィングで通達がある。
では民間機か?
ここはムーンセクションの管理宙域内だが、軍の訓練宙域でもある。民間航路からは外れている。
「〈ディジニ〉、民間機がこのエリアに入る予定はある?」
《Negative》
「わかった。小隊各機、こちら”エルアー”。機首方位
『”アグーダ”了解。 ”エルアー”、CDCに通報及び情報共有』
「”エルアー” 了解。母艦と情報共有を開始。<ディジニ>、私は継続して
《Copy. I have》
そっとスロットルレバーとスティックから手を離す。
操縦権が〈ディジニ〉に移行されたことを確認。
ラディウは意識を集中させて、黒いシミを追い続ける。
動きが速い。恐らく航宙戦闘機と思われる。
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