第33話 彼と彼女のひとりごと

 翌日の午後、ラディウは展望デッキのバーにつかまって、飽きる事なく外を見つめていた。


 ここは彼女のお気に入りの場所だ。立ち寄る人が少なく静かで、何より宇宙とそこを飛ぶFAを見ることができて好きだった。


 着艦軌道を通るFAの航跡と着艦灯がみえる。


 彼女がコクピットでの着艦手順を思い出すのは自然なことだった。小さな声でファイナルアプローチの手順を暗唱する。


「宇宙を飛びたくてこの仕事してるのに、飛べないの嫌だな……」


 身を乗り出すようにして、着艦デッキへ向かう機体を見送ると、ふぅと大きなため息をついた。


「こんなハズじゃなかったのに……」


バーに捕まったまま項垂れて、また深いため息を一つ。


「リプレー? ここにいていいのか?」


 不意に呼びかけられて声の主を探すと、奥の通路からデシーカ中佐が流れてきた。


「中佐……はい。昨日退院しました」


 彼女は慌てて脚を床に下ろし、居住まいを正す。


「そうか。私はいま休憩中だ。楽にしていい」


 そう言って彼女のすぐ隣のバーに捕まる。


「申し訳ありません中佐。せっかく呼んでいただいたのに、結果を残すことができず……」


だんだん言葉が小さく尻窄みになり、最後に彼女は肩を落とした。


「これが君の全てだとは思っていない。前半は実に良かった。それだけに君の離脱は残念だ」

「離脱……はい……」


 上の判断は離脱……


 終わった――


ラディウはバーを掴みガックリと頭を垂れた。


「本質を見失って、評価を求めることにこだわると、どこかで足を掬われるものだ」


 デシーカの言葉に、彼女はギクりとして顔を上げる。


「目に見えるデータは判断しやすいのは事実だが、スコアや評価にこだわりすぎるな。君は腕の良い飛行士Aviatorだ。チャンスは今回だけじゃない。君が望めばいくらでもある」


 ラディウはそっと窓越しにデシーカの顔を見る。仕事中の鋭い眼光は伺えず、彼は穏やかな表情で宇宙をみつめていた。


 その表情にラディウはなんとなく、自分の抱えていた思いを打ち明けたくなった。


「……このミッションで認めてもらえたら、艦隊に転属できるんじゃないかって思ったんです。転属が無理でも、出向枠で呼んでもらえればと」


 独り言のようにぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。


 また別の小隊が横切っていく。青白い航跡は、いつか映像で見た彗星のようだ。


「初めてだったんです。対等の飛行士Aviatorとして扱ってもらえたのが。それがとても嬉しくて、楽しくて」


 本当に何も知らないうちは楽しかった。だからと言って、コンテイジョン現象を教えたスコットを恨むつもりは毛頭ない。自分のコンディションは自分で整えるものだ。それができなかったのも悔しかった。


「自分をコントロールできずに、チャンスをダメにしたのは私自身の弱さです」


 起きてしまった事は変わらない。どんなに悔やんでも過去は戻せない。


 ラディウは項垂うなだれてギュッと唇を噛み締める。


「二人の中隊長も他の小隊長も、君の事を高く評価していた。それは誇っていい。君の努力と才能もそうだが、きちんと仕事ができる飛行士として、君を育てたラベル・ティーズにも感謝しなさい」

「……はい」


 ラディウは頭を少し上げて、暗い宇宙空間を見つめる。


「戦隊長というポストでなければ、私が君と飛んで鍛えてやりたかった。今回は無理だが、またいつか機会が巡ってくる。私はそれを楽しみにしているよ」


 デシーカは穏やかな表情でラディウと同じように宇宙を眺める。 


「ありがとうございます。せめてシミュレーターでご指導いただければと思いましたが、今はそれすら触らせてもらえなくて……」


 ラディウは窓に反射するデシーカの表情を伺うと、彼は相槌を打ち話を続けるよう促した。


「……飛びたいのに飛べないのが辛いです。システムに繋がれないだけで、私自身の飛ぶ能力に影響はないと信じてます。でも軍が求めているのはシステムを使える、生体ユニットとしての私でしょう。その役目すら果たせない。素晴らしい機会を与えてくれたのに、それが心残りです」


 デシーカはフンフンと頷きながら、くるりと身を翻してバーを背面で抱え、足を投げ出して浮かぶ。そして穏やかな笑みを彼女に向けた。


「なるほどな……今、私は休憩中だ。休憩中なので”グリフォン”でもデシーカ中佐でもない。ただのジャン=ルイジおじさんだ」


 ――ジャン=ルイジおじさん……? 


 突然のおじさん宣言に、ラディウは呆気に取られて身体を起こす。


「ここからはジャン=ルイジの独り言だ……前半の君は実に良い顔をして飛んでいた。同じ飛行士として見ていて気持ちが良かったよ」

「ありがとうございます……」


 そう思ってくれていたのに、期待に応えられなかった現実が辛い。ラディウは目を伏せる。


「ジャン=ルイジ個人は、また君を飛ばせたいと考えているが……規則には『医師の診断で発せられた飛行禁止を解除する場合、飛行能力に問題ない事を示すデータと、任務復帰を認める診断書が必要。最終決裁は戦隊長にある』と定められている。君の望みを聞いても、私1人では叶えてやれん」

「……はい」

「一度の失敗で怖気付くな。その気になりさえすれば、チャンスはいくらでもある」

「はい。ありがとうございます」


 デシーカの左腕の端末がアラームを発し、彼はそれを確認すると「休憩終わりだな」と言って笑った。


「病み上がりだ。無理はするな」


 そう言って、バーから離れた時、彼の顔はいつもの厳しく威厳あふれる中佐の顔になっていた。


「はい。お時間ありがとうございます」


 ラディウは姿勢を正して敬礼をした。


 デシーカは返礼をすると、踵を返して通路の奥へ消えていった。


 その後ろ姿を見送り、ラディウは再びバーに掴まって宇宙を見つめた。


 帰ったら、コンテイジョン現象についてDr.ウィオラと話をしよう。落ち着いて話をして、情報を理解してからヴァロージャにも自分がした事を話して謝ろう。


 彼が許してくれるかはわからない。ひょっとしたら嫌われるかもしれない。でも、このままでは自分の気持ちがおさまらない。


 それと……


 残りの時間は少ないけど、最後まで飛びたい。ちゃんと飛んでからロージレイザァを降りたい。


 ポケットからパウエルのコインを取り出してかざすと、裏面に掘られたメッセージを、声を出して読み上げた。


「”自分の可能性を信じる者はそれを実現できるHe can who believes he can.” か……」

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