第32話 彼と迷子の彼女
ブリーフィングルームに入ったエルヴィラは、2日ぶりに姿を見せたラディウが、部屋の一番奥に立っているのを見て眉を顰めた。
彼女は医療部から退院はしたものの、現在飛行停止中だ。だから本来の彼女の場所には、別の小隊から応援できたパイロットがその穴を埋めている。
ラディウはタブレットを持ったまま、正面のスクリーンをまっすぐ見つめていた。
「リプレー少尉?」
コールサインではなく、名前で呼びかけられ彼女はエルヴィラと目を合わせた。
「何でしょう?」
「あなた、飛行許可が降りてないから、ここにいても飛べないのよ?」
わかっているの? と念を押すようにエルヴィラは尋ねる。
「承知しています。ですが、小隊の一員としてフライトを見学をさせてください」
戦隊オリエンテーションのあの日、初めてラディウと目を合わせた時のような、少し緊張した硬い表情で彼女は答える。
少し前までは生き生きと自在にFAを操り、飛んでいたあの少女が、今では別人のように表情を無くし、まるで人形のように見えた。
エルヴィラは左手を腰に当てて少し考える。
彼女を一旦任務から外すように言われているが、何でもかんでも禁じていては、気持ちは腐ってしまうものだ。艦内で見学なら差し障りはないだろうと判断した。
「わかった。許可します」
「感謝します」
表情を変えずに少女は謝意を述べると、再び正面のスクリーンに目線を戻す。
ルゥリシアもトルキーも、心配そうに後ろを振り返り様子を伺うが、ラディウは目線を合わせる事もしなければ、身動きひとつしなかった。
エルヴィラは気を取り直して、スクリーンの前に進むと、本日の予定フライトのブリーフィングを始めた。
ラディウは下部の気密デッキに取り残されたエインセルのコクピットに座って、観測ドローンなどから送られてくる訓練宙域の情報を、ぼんやりと眺めている。
パイロットの控室でも見る事ができる内容だが、人の出入りもあり落ち着かない。1人でコクピットに居る方が、周囲を気にする必要がないため、彼女はここに入り浸っていた。
飛行予定がなく整備が完了している機体周辺にメカニックはいない。時々様子を見にくるメリナの目を盗んでこっそり接続を試みるが、何度やっても<ディジニ>はなんの反応もなく、彼女を受け入れることはなかった。
――何がいけないのだろう。
コクピットの電源は入っているのだから何か反応して欲しいが、コミュニケーションパネルは初期画面から沈黙したままだ。
「なんか言ってよ<ディジニ>。私には飛ぶことしかないのに、これじゃなにもわからないし、飛べないよ……」
そう呟くが、何の反応もない。
ラディウは力なく
艦内時間で設定されている終業時間前に必ず医務室に行く事が、Dr.ポートマンがラディウに出した退院の条件だった。だからどんなに気がすすまなくても、行かなければならない。
できるだけ平静を装って彼女の医務室を訪れ、一通りの診察の後に今夜寝る前に服用するようにと薬を手渡された。
見ればどれも彼女にとって馴染みのあるもので、何がどの効果を目的とするかも概ね判断がつく。
だから、食堂に向かう途中でトイレに立ち寄って、1回分に個包装されたそれを破き、中身をトイレに流して捨てた。
「こんなの飲んでたら、いつまでも飛べない」
空の袋をポケットの中に突っ込んだとき、指先に温かい金属が触れた。
探って取り出すと、パウエルのラッキーコインが手のひらの中で光っていた。
気がつけばずっと持ち歩いているそれを、ラディウは一瞥して再びポケットに押し込んだ。
ザワザワと賑やかな夕食時の
どんよりとした、暗い雰囲気を漂わせる彼女の周りには、混み合っているにもかかわらず不思議と誰もいない。
当の彼女は、誰にも関心を持って欲しくない、誰にも話しかけられたくない……そんな気持ちと気配を周囲に放っていた。
ラディウは一人になりたくて、ルゥリシア達とわざと時間をずらしてここに来た。ルゥリシアもジェニファーも彼女をそっとしておいてくれた。彼女らの優しい気遣いをラディウは解っていたが、気づくほどに今の自分が情けなく、惨めになるような気がして、極力顔を合わせないようにしていた。
「ここ、いいかい?」
目の前に現れた人影に、ラディウはチラリと目をやると、答えずにそのまますぐに目線をトレイに戻した。
人を拒絶するようなラディウの態度に、スコットは気にする事なく自分のトレイを置いて、彼女の向かい側に座った。
「すまなかった、ラディウ」
突然の謝罪に、ラディウは訝しげに顔をあげた。
「どうしてスコットさんが謝るんです?」
「調子を崩したの俺のせいだろう」
「中尉のせいじゃないです。私が悪いんです」
ラディウはため息をつくと再び目線をトレイに移す。
「感情的になって、ちゃんと自分を立て直すことができなかった。結果<ディジニ>に拒否されて繋がれない」
ラディウは手にしていたフォークを置いた。
「使えない、役立たずの私が悪いんです」
「そういう言い方は良くない」
そう言った後に、彼はつい先日、ティーズに同じような事を言われたと思い出して、内心で苦笑する。
「中尉には感謝してるんです。
俯いている彼女の目の前のトレイは、まだ殆ど手付かずだった。
「……食べられないのか?」
「口に入れると気持ち悪くて……」
強いストレスから来る食欲不振だと、スコットはすぐに察した。
「そんな状態なのに、無理を通して退院してきたんだろう? ドクター達にバレて、
スコットの言う通りだった。今朝はポートマンと散々やり合って、あの条件と引き換えに出てきた。宇宙にいてまでラボの大人たちに管理されたくはない、彼女のささやかな抵抗だ。
ラディウは頷いてスプーンを手にすると、ノロノロと野菜スープを口に運ぶ。スコットは「それでいい」と頷く。
「食べたら、部屋に帰って少し休め。静かにして、眠って起きたらまた少し食べる。これを繰り返すだけでだいぶ楽になる」
ラディウはふと手を止めると、ピリッとした殺気にも似た緊張感を漂わせて、スコットをみつめた。
スコットはティーズの
「……ティーズ大尉の指示ですか?」
その警戒心をスコットもいち早く感じ取り、苦笑した。この少女はこんな調子でも嘘かホントかを見抜きに来る。
「違うよ。俺の経験。薬を盛られたくないだろうし、早く飛びたいんだろう?」
ラディウは黙って頷く。
「じゃあ騙されたと思ってやってみろ」
「騙されたって……スコットさん嘘言ってないじゃん」
フッと警戒を解いたラディウは微笑する。
「少し笑えたな。なら大丈夫。すぐ復帰できるよ」
「うん……」
スコットは自分のトレイの料理にとりかかり、ラディウはスプーンを置いてチーズに手を伸ばした。
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