第31話 彼女のRebellion 2

 艦内時間の消灯時刻を少し過ぎた頃、ラディウは目を覚まして起き上がり、辺りを見回した。


 そこは殺風景な医療部の病室だ。眠っている間に着替えさせられたらしく、薄い水色の病衣を着せられていた。


 サイドテーブルの上にグラスと水のボトルが置いてあったので、それを一気に飲んで乾いた喉を潤す。


 裸足のままベッドから降り、備え付けのロッカーを開けると、着ていた自分の制服が丁寧にハンガーにかけられていた。


 まだ少しぼんやりするが、彼女は眠気を払うように頭を振ると、手早く着替えてそっと廊下に出た。そして医療区画から抜け出した。






 夜間の照度に落とされた通路を進み、ラディウは誰かに見咎められることなく格納庫に入ると、そのままエインセルのコクピットに潜り込んだ。


 今日の夜間訓練は休みのようで、下部気密格納庫にメカニックの姿は無く、照明もいつもの半分ぐらいになっている。


 シートに身を沈め、身体が流れ出ないように、緩くハーネスだけをつける。


 スロットルレバーに引っ掛けてあった作業用のヘッドセットを着けてから、コクピットの主電源を入れた。


 コンソールが順次点灯していく。


「<ディジニ>、コッペリアシステムリンク開始」


 宣言をしてコッペリアとのリンクに備えるが、あの独特の繋がる感覚は起きず、<ディジニ>は未だ黙して語らず。インフォメーションパネルは初期画面のままだった。


「やっぱりダメか……」


 せめて何か、ウェルカムメッセージでも良いから、何か言うなり表示をして欲しいと彼女は思う。それだけで「まだ自分は大丈夫」という安心感を得られる。それなのに現実は――


「システムに繋がれないと私、いる意味なんてない。ただの役立たずじゃない」


 ガックリと肩を落とし大きなため息をついて、ラディウは格納庫の天井をみつめた。


 ラボに帰りたくない。


 ルゥリシアのいる部屋にも帰りたくない。


 さっきまでの病室にも帰りたくない。


 でも、<ディジニ>のところに帰ってきても、受け入れてもらえない。


 帰るところがない…


 考えは何もまとまらない。


 悪いのは私。


 何も知らなかった私。


 安易にリミッター解除なんて、持ち出してはいけなかった。


 コンテイジョンなんて現象を起こさなければ、きっと彼がこの艦に居た。


 レーンやウィオラに怒られようと、あの時死んでいればよかった。なんで反射的に射出レバーを引いたんだろう。


 生きていたから、ヴァロージャに出会ってしまった。あのまま漂流していれば、彼を知らないままでいられた。


 出会わなければよかった。


 柔らかい光をたたえるヘーゼル色の瞳。


 前向きな明るさと、ふと見せる凛々しい横顔。


 諦めない気持ちと、あの見事な操縦技術。


 今になって、そんな彼に無意識に惹かれていた自分を自覚する。


――だからあんなに彼を巻き込むことを、ラボに関わる事を私は恐れていたんだ。


 何より彼に嫌われたくなくて。


 鼻の奥がツンとして、ジワリと涙が浮かぶ。


 彼に出会わなければ、ラボが求めるパイロットでいられた。彼を思って不安になり、苦しくなることもなかった。こんな感情も知らずにいられた。


 気持ちはたかぶるが、動き回ったせいか眩暈と共に再び強い眠気が襲ってきた。抗えなくて、深いため息と共に彼女は目を閉じた。






 どれくらい眠ったのだろう。長いのかそれとも一瞬なのかわからない。


 ラディウは誰かに揺り動かされて目が覚めた。


 重たい瞼を持ち上げて焦点を合わせると、少し怒ったような、困惑したような深いブルーの瞳が彼女を見つめていた。


「……大尉?」

「医療部から、君が姿を消したと連絡があって探していた。戻ろう」


 ハーネスを外そうとバックルに伸ばされたティーズの手を、ラディウは払い退けて拒否をする。


「……もう少しここに居ます。ここの方が落ち着くので」

「ここに居ても、飛行許可はおりないぞ?」

「わかってます。でも、あそこに戻りたくない」


 ラディウは身体を固くして拒み、ティーズはダメだと首を振る。


「ラディウ……いつまでも子供みたいな我儘を言うな」

「私、まだ子供です……」


 グッと感情を押し殺すように、低く吐き出すように言う。


「ラディウ……?」

「大尉も先生達も……私が子供だから何も教えてくれないのですか? コンテイジョン現象なんて、知っていればあんな選択しなかった!」


 堪えていた不満が弾ける。もう限界だった。


「あの時! 大尉も何が起こるか知っていたから、私の提案を受け入れたのですか!」


 ティーズは困ったように息を吐く。


「可能性程度だ。あの結果は想定外だ。それよりも君を回収する事が最優先だった」

「私が回収できるなら、ヴァロージャはどうでも良かったっていうことですか!」

「そうは言っていない。彼の事も含めて、あの判断が最善だと判断した。それだけだ」


 ラディウは信じられないと呟き首を振る。


「もう、なんなの……<ディジニ>は私を拒否するし、メリナは脅すし、もうなんなのよ……」

「あまり感情的になるんじゃないと、普段から教えているだろう?」


 ティーズはたしなめるように言うが、今のラディウには火に油を注ぐようなものだった。


「いつもいつも……! 冷静であれ。感情的になるな。自分を抑えろって! リープカインドに感情は要らない、マシンになれば良いって言うんですか! 嫌です! 私、これでも人間です! 怒りもするし、泣きもします!」


 心の奥底から、今まで堪えていた感情を、頭を振りながら吐き出す。


「そういう事を言ってるんじゃない。一時の激情に振り回されるなと言っている」

「なら、そういうふうに私を調整するなり、なんだってすればいいじゃないですか!」


 湧き上がる感情のままに彼女は叫ぶ。


「どうせ今までだって色々弄られてるのだもの、もういっそ何もわからなくさせた方が、人形のようにしたほうが、ラボも情報部も都合がいいでしょうに!」


 緩く締められているハーネスが、彼女の動きに合わせてカチャカチャと音を立てる。


「バカを言うな! 私もジェド・ウィオラもそんな事望んではいない」

「そんなの信じられない!」


 ラディウは激しく頭を振る。


「話しを聞きなさい! ラディウ!」


 ティーズはコクピット内に身を乗り出し、ラディウの両肩を掴んだ。 


「確かに我々も君に対して説明が足りていない事は認めよう。君の気持ちは戻り次第ジェドにも伝える。だから、今は落ち着きなさい」


 ラディウは興奮で胸を大きく上下させ、呼吸も荒く、肩で息をする。


「大佐から命令を受けた時、君にとって善かれと思ったが、この任務は負担だったか?」


 努めて優しく尋ねるティーズに、ラディウはふるふると頭を横に振る。


「いいえ。すごく楽しかった。たくさん飛ぶ事ができて今までで一番、飛ぶことに集中できて、ずっとここで働きたいって思った。でも今は、私のした事で、みんなに申し訳なくて……」


 堪えていた涙がポロポロと水玉になって宙に浮く。ティーズがハーネスを外してラディウを抱きしめると、彼女は彼に縋りつき、幼い子供のように声を上げて泣いた。

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