第30話 彼女のRebellion 1

 薄いクリーム色のカーテンに包まれた診察室のベッドの上で、検査機器に繋がれたラディウは憮然とした表情で、柔らかい間接照明の天井を睨みつけていた。


「時間がかかるから、眠ってもいいのよ?」


 Dr.スーザン・ポートマンからカーテン越しに声をかけられたが、返事をせずにフイと横を向く。


「最近、あまり眠れていないみたいだけど。お薬飲む?」

「いりません。あれを飲むと明日のフライトを飛ばしてもらえないの知ってます。だからいらない」


 このところの失敗を取り戻さないといけない。そうしないと、ロージレイザァに呼び戻してもらえない。気持ちばかりが焦る。


 しかし、溜まった睡眠不足と訓練後の疲労で、ラディウの意思に関わらず、睡魔はゆっくりと近づいて、彼女を眠りに引き込もうとする。


 適度な重さの暖かい毛布は、疲れた身体を心地よく包む。


 静かな室内にはDr.ポートマンの書類仕事をしている微かな気配や、規則的に鳴るモニタ機器の音を聞いているうちに、いつのまにかラディウは静かに寝息を立てていた。






「この状態では飛ばせられません。診断書を書きます」


 声を押さえたような話し声で、ふっと意識が戻った。


「そんなに良くないのですか?」


 ティーズの声が聞こえた気がした。まだ頭がはっきりしない。


「精神状態が不安定すぎて、とてもコッペリアシステムに繋げられる状態ではありません。今は休ませないと」


 ――休む?


 その単語に意識が急浮上して覚醒した。身動みじろぎせずに話し声に集中する。


「それで回復できないようでしたら、早めにラボに戻して……」


 ラディウはガバッと起き上がる。


 ぐらりと眩暈がしたが踏みとどまり、シャッとカーテンをあけた。


 Dr.ポートマンの前の椅子にティーズが座り、その隣にメリナが立っている。3人が驚いてラディウを見た。


「休むなんて嫌!! 後10日も無いのに休んだら、演習が終わってしまう!」

「ラディウ! そこで休んでいなさい」

「せめてベッドに座ってちょうだい」


 イヤイヤと小さな子供のように頭を振る。


「私を外さないで。ちゃんと飛ぶから。お願い先生、お願い大尉」


 目に涙を浮かべて懇願するラディウを見たポートマンは、静かに首を横に振って立ち上がると、そっとティーズに「眠らせます」と告げた。そしてラディウの前に立つと、座りなさいと促す。


 ラディウは素直にストンと座ると、手のひらで浮かぶ涙を拭う。


 そこにいるのは大人達と肩を並べて飛ぶ飛行士ではなく、ただの17歳の少女でしかなかった。


「わかったわ。でも今はもう少し休みましょう。検査もまだ終わってないわ」


 そう優しくなだめて、一旦ケーブル類を外す。


「ここじゃ落ち着かないわね。別のお部屋に行きましょう。メリナ、使って悪いけど当番看護師呼んでくれる?」

「はい」


 メリナは返事をして外にいる看護師を呼びに出た。


「ラディウ、飛びたいなら先生の指示に従いなさい」


 静かにたしめるティーズの声に、逆らうことはできなかった。


 ラディウは深い溜息をひとつつくと、「はい」と返事をし、呼び出された看護師に連れられて別室に移動した。別の看護師が機材を移動させる。


 ポートマンは手早く薬剤を用意すると、それを手に部屋を出ていった。


 少しして微かにラディウが騒ぐ声が聞こえたが、やがて静かになってポートマンが戻ってきた。


「久しぶりにあの子の悪い所が出ちゃったわね」


 ポートマンはそう言ってティーズたちに、同意を求めるように肩をすくめて見せると、ティーズは黙って苦笑した。


「昔から少し難しい子でしたけど、この状態は初めてです。技術部に居る時はいつも落ち着いて仕事をしている子ですから」

「信じられないでしょうけど、こっち研究室では本当に手のかかる子だったのよ。とにかく落ち着かないと原因も聞き出せないわ。当面こちらで預かります」

「了解です。よろしくお願いします」


 ティーズは頭を下げた。






 中隊のミーティングが終わった後、スコットはティーズを呼び止めた。


「リプレー少尉の件でお話しが…」


 他のパイロット達がチラチラと様子を伺いながら横を通り過ぎる。


 ティーズは頷くと「場所を変えよう」と促し、2人は別室に移動した。


 10名程度を収容できる小さなミーティングルームで、スコットは頭を下げた。


「申し訳ありません。リプレーの心の均衡きんこうを乱したのは自分です」


 突然の告白だった。


「どういうことだ?」


 ティーズは訝しむ。


「実は……」


 スコットはラディウとコンテイジョン現象の話しをしたこと、その際に様子がおかしくなった事を告げ、改めて謝罪した。


「私たちの代は、わりと早い時期にコンテイジョン現象についての説明を受けていたので、彼女もてっきり知っているものだと……ラボの外、それも任務中に迂闊でした」


 沈痛な面持ちのスコットに、座るよう促し、ティーズ自身も近くの席に座る。


「Dr.ウィオラも私も、どこかのタイミングで話さなくてはならないと思っていたが、何かと問題があって先延ばしにしていた結果だ。君の責任ではない」

「それだけではありません。過剰に評価を気にするのも……私のせいです」


 スコットは食堂で彼女に話した事も全てティーズに打ち明けた。


「なるほど、いつになく成績を気にしていると思ったら、結果を残したいと焦るあまりの空回りだったか……」


 数日前の食事の席で、笑顔で成績のことを話すラディウを思い出した。


 普段彼女が口にする内容でもなかったので、なんとなく引っかかっていたが、実に楽しそうに話すので見過ごしていた。


「フルスペックを扱える彼女を、ラボも情報部も手放さないとわかっていた上で、あのような発言をしました。少しでも彼女のプラスになるかと思ったのですが、却って逆の結果を引き起こしてしまい、申し訳ありません」


 見ていて気の毒になるほど、スコットは憔悴しきっていた。相当なストレスがかかっているのは容易に想像できた。


 ラボが研究開発を進めている、各種システムを扱うために育成されたリープカインド達は、その特性から来る繊細さから強度の心理的ストレスが、機体やシステムの扱い、また自分自身に悪影響を与えることがある。


 そのため、あらかじめ心理的トラウマやストレス等に対して、暗示や治療で抑える処置や対応するための訓練が施されている。


 本人たちもベストの状態で任務にあたれるよう教育され、それを心がけているが生身の人である限り、当然限界がある。


「君もリープカインドだ。この件を気に病んで、君まで調子を崩されては困る」

「いえ、私は落ちこぼれですから。そこまでのことは」


 スコットは弱々しく笑う。


「自分を卑下するな。らしくないぞ”ガルム”。君は十分戦隊に貢献している」


 スコットは唇を噛みしめて目線を落とす。


「報告をありがとう。ラディウをコントロールできなかったこちらの問題だ。中尉の責任ではない」

「はい……」

「君の状態も心配だ。この後Dr.ポートマンのところへ行け。連絡を入れておく」


 ティーズが立ち上がり、壁のインターカムをとる。スコットも立ち上がった。


「それと、飛行戦隊にいる先輩として、今後も彼女を気にかけてやって欲しい」

「……はい」

「私からは以上だ。医療部に行きなさい」


 スコットは一礼して退出し、ティーズはポートマンを呼び出した。

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