第28話 彼と彼女の約束

 邪魔にならない程度のビープ音がラディウの耳を打ち、左腕にバイブレーションを感じた。


 彼女はゆっくり目を開けて、左腕のディスプレイを見る。


 消したはずのエラーの文字が、再び赤く点滅している。確認すると自分側のリンクシステムに、再びエラー表示が出ていた。


 リミッターを解除した事で想定外の負荷をかけたのかもしれない。さっき再起動をしてもレーダーが反応しなかったのも納得する。いずれにせよ、急造のユニットだったから仕方がない。


 さらに操作して調べると、リミッター解除もキャンセルされて、再度ロックがかかっていた。どおりで頭の中が静かな筈だ。原因はこれかもしれない。


 リミッターが解除されれば、自力でもう少し広い範囲を把握することができるかもしれない。


 ラディウはそう考え、やれやれと呟きながら例の紙を取り出して、同じコードを入力するが拒否された。打ち間違えたかと思い数度繰り返すが結果は変わらない。


「まさか……あれはワンタイムってこと!? 抜かりないなぁ……」


 ため息をついて紙を左腕のポケットに戻す。


 ぼんやりと壊れたスクリーンを眺めながら、病室でスミスに言われた言葉を思い出した。


「……迷子紐か」


 気を取り直して、ピッピと左腕の端末を操作する。


「ん? どうかした?」

「試しにね、迷子紐を引っ張ってみようかと思うの。パーソナル・シグナルなら、たぶん敵に見つからない」


 そう言ってシグナルマーカーを起動させた。友軍が拾ってくれることを信じて……






 ラディウがマーカーを発信して2時間以上が経過した。


 モニターパネルは半分以上がその役割を放棄し、暗く沈黙している。非常用電源は生命維持装置と必要最低限の計器類にしか電力を供給しない。機能している計器モニターの僅かな明かりが、狭いコクピットにいる2人の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。


 そんな薄闇の中、2人は他愛のないお喋りをした。


 酸素の不安があるのに会話をするのは、自分で自分の命の時間を削っているようなものだ。


 そう解っていても、お互い何かしら話をしていないと、ゆっくりと確実に迫る死の不安に押しつぶされそうだった。


 ヴァロージャはラグナスで飛んでいた頃や、士官学校や所属している艦隊の話をし、ラディウは子供の頃の話を少しだけした。


「私、フォルルで育ったの。親は軍の技術者」

「へぇ〜。フォルルのどのあたり?」

「基地の中に住宅街があったでしょう? そこのD地区」


 基地の住宅街の中でも、家族連れの将校が多く住んでいる、閑静で自然が多い住宅街だ。


「良いところじゃん。帰っているの?」


 ラディウは寂しげに首を振る。


「12の頃にアーストルダムに行ってからは一度も無いわ。リープカインドに登録されると、ラボの管理下に置かれるの。そうなると、機密の関係であまり自由に動けないんだ」

「そうか……悪いこと聞いちゃったな」

「気にしないで、仕方がないし。でもショッピングモールに行ったり、地下鉄に乗ったり、普段できないことを体験できたから、とても楽しかった」


 ラディウはラス・エステラルで過ごした短い日々を思い出す。今となれば、地下鉄から謎の男たちに追いかけられたことも貴重な体験だ。彼女は満足げに微笑む。


「あぁそうだ、アーストルダム基地のショッピングセンターに、美味しいジェラート屋があるんだ。今度一緒に行かないか?」

「そんなお店があるんだ。いいね。いきたい!」


 ラディウはジェラートの味を想像して嬉しそうに微笑む。他にもヴァロージャは基地敷地内の穴場のような場所を、色々と教えてくれた。


「在学中に見つけたんだ。面白いところがいっぱいある。君を案内したいよ」


 戻れるか戻れないかは全くわからない。この会話だって不安を慰めるただの気休めだとお互いわかっている。


 それでも、最悪な結末を想像するよりも、楽観的な未来を想像する方が、今は楽しかった。


「まずはジェラートが食べたいな。口の中がジェラートの気分になってきた」

「よし! お勧めの味がいっぱいあるんだ。それじゃあ、まず最初に……ん?」


 ザザッと言う今まで聞こえなかった音が、ヘルメットの骨伝導イヤフォンから聞こえてきた。


 ラディウがじっと耳をそば立てていると、やがて無線から雑音と共に聞き覚えのある声が呼びかけてきた。


『……か?……エ……ア……きこ……』


 ラディウとヴァロージャは顔を見合わせる。ラディウは自席の無線パネルに飛びついた。


 震える指でチューニングダイヤルを回す。


「き、聞こえます! こちら"エルアー"! ラディウです! 大尉! 聞こえます!」


 ティーズの声を聞き、目頭に熱いものが込み上げてくるのを感じながら、ラディウは周波数を調整し呼びかけた。


『捕捉……した』


 ティーズの声がはっきり聞こえた。ヴァロージャは辛うじて生きている、通常レーダー画面を確認して指し示す。


「正面11時だ」


 その方向に目をやっても、壊れた薄暗いモニターが見えるだけだ。


「ハハッ、壊れてた」

「アハハ……」


 安堵感から思わず笑ってしまう。ヘルメットの中を水玉が泳ぐ。


 生きて……還れる。






 濃紺の機体が静かに近づいて、適度な距離をとって停止する。


『二人とも無事か? 機体の状況は?』


「無事です。全エンジン、ロスト。自力航行不能。キャビン内エア漏出。残存酸素量約4時間です」


『了解した。私の機体で牽引する』


 ティーズ機が一端離れて向きを変えるのが見えた。なんとなく天井を見るが、こちらのモニターも沈黙しているか、ノイズが走っているかで鮮明な画像は得られなかった。


『これより、メテルキシィのマニピュレーターで掴むぞ』


「了解。お願いします」


 暫くして、ゴンと衝撃が加わり、更にスクリーンモニターが死んで視界が狭まる。


『巡航速度で、ディビリニーンまで30分の距離だが、保つか?』


「はい。生命維持装置に問題ありません」


『了解した。何か異常が発生したら知らせろ。戻るぞ中尉』

『了解!』


 ラディウとヴァロージャはふぅっと息をついた。


 ジワリジワリと、ゆっくりと加速していくのを感じる。損傷が激しいドラゴンランサーを気遣ってくれているのだろう。


 戻れるという安心感は大きく、同時にラディウは強い疲労感を覚えた。


「ねぇヴァロージャ…」

「なんだ?」

「少し眠いの。艦が見えたら起こして?」


 作戦中にあり得ないと思いつつも、眠気に抗えなかった。


「ん……わかった」


 ラディウはそっと目を閉じた。


「今度は、ちゃんと起こすよ…」


 ヴァロージャの声に、ラディウは安心して微笑んだ。

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