ひみつ

飛烏龍Fei Oolong

ひみつ


 まゆかはよく失恋する。

 失恋して泣きじゃくるまゆかを優しく慰めるのは、いつも私の役目だ。

 学校の中庭の隅にある大きな桜の木、そのそばにひっそりと置き去りにされた古い木のペンチで、私はまゆかの頭をそっと抱きしめる。

 まゆかは涙でぐちゃぐちゃの顔を私の胸に押し当てて、声もなく泣きじゃくる。私の制服をその小さな両手でぎゅっと掴みながら、時折肩を震わせしゃくりあげる姿が、痛ましかった。


「まゆか」


私は彼女の名をささやく。気づかわし気に、優しく。

 胸の中でさらに強く私の制服を握りしめ、言葉にならない声が上がる。

「エリぃ……まゆ、まゆね……」涙に濡れた声で、まゆかは必死に何かを伝えようとしている。そんなまゆかの事を、私はより一層強く抱きしめる。


「なんにも言わなくていいよ、好きなだけ泣きな」

「まゆね、あのね……」

「悲しいね、あんなに好きだったんだもんね」


 ふわふわの柔らかい髪をそっと撫でながら、私は続けた。

 今回はうまくいっていたはずだった。まゆかもよく彼の話を私に話してくれていたし、仲良く並んで帰る姿をよく見かけた。

楽しそうに笑うまゆかを見ると、私まで嬉しくなった。それなのに——。



「彼と遊園地に行ったの! ずっと行きたいって言ってたの覚えててくれてね。会いたかったマスコットと一緒に写真も撮って、かわいいねって言ったら、楽しんでる君の方が可愛いよって!」


 知ってるよ。まゆかは何かに夢中になると、目をキラキラさせてそれしか見えなくなる。そんなまゆかの横顔が私は大好きだった。


「この前のデート、どんな格好で行こうか迷っちゃって……。気がついたら待ち合わせの時間で、まゆね、大慌てで向かったの。でも、彼は全然怒ってなくて、今来たところだよって言ってくれて。彼、すっごく優しいんだよ」


 知ってる。まゆかはおしゃれだから、どんな服を着ていこうかすぐに迷っちゃうんだよね。どんな洋服も、きっとまゆかに似合うから気にしなくて良いのに。


「彼、サッカー部なんだけど、試合してる時の彼ってめちゃくちゃかっこいいの! いつもの優しい雰囲気じゃなくて、なんていうか、男の子って感じで。まゆには見せないそんな顔見てると、なんだかドキドキしちゃう」


 まゆかだって、私には見せない顔、すごく素敵だし魅力的だよ。好きな誰かの事を話すまゆかは、本当に輝いてるし、時々どきっとするほど色っぽくもなる。


 そんな話を、私はいつも楽しく聞いている。彼の話をするまゆかは本当に幸せそうな顔をしていた。それを見るのが好きだった。

 彼も彼女も、お互いに好き合っていた。今までにないくらいうまくいっていたと思う。私はそんな二人を心から祝福した。

 彼女の幸せを、二人の前途を、心から願っていた。



 でも、二人は別れた。

 ついさっき、この場所で。


「なんで?なんでいっつもこうなっちゃうの……?」


 まゆかはくぐもった声で、いつも同じ質問を私にする。


「まゆ、何がダメだったのかな……?」


 まゆかはとても可愛らしい。女子の私から見ても、とても魅力的だ。

 ちょっと色素の薄いふわふわの髪も、涙に濡れるちょっと幼さの残る顔も、私の手にすっぽりと収まる小さな体も……どれも、本当に愛らしい。

 私はといえば、人からはモデル体型なんて言われるけど、女らしさなんてかけらもない、武骨な身体をしている。背は無駄に高いし、凹凸もない。髪だって重苦しく伸びるだけだから、面倒のない短髪にしている。

 この身体で良かったことと言えば、まゆかを抱きしめるのにちょうど良い身長だってことくらいだ。

 こんな可愛らしいまゆかを振るなんて、あいつ本当にゆるせない。


「まゆかはなんにも悪くないよ。あいつが馬鹿なだけ」


 私は一層優しく彼女を抱きしめる。


「エリ」


真赤になった大きな瞳が私を見上げる。

 弱弱しい呼吸が、火照って熱くなった体温が、私の顔に伝わってくる。

 私は彼女の目に残った涙をそっと指で拭ってあげる。指先が涙の熱に濡れた。


「エリ、王子様みたい」

「そうだよ、私はまゆかの王子様だよ」


 ちょっと芝居っぽく返すと、まゆかはくすくす笑ってくれた。

 彼女の笑顔に、私も思わず顔がほころぶ。


「ほら、もっと笑って。私、まゆかの笑顔がこの世で一番大好きなんだから」


 彼女は「なにそれ」と呆れながらも、まんざらでもないように笑った。

 もう大丈夫みたい。私はそっと彼女から離れた。

 まゆかはのろのろとハンカチで涙を拭い、そのままスカートのポケットにくしゃくしゃとねじ込んだ。

そして鞄からキャラ物の手鏡を出し、自分の顔を恐る恐る覗き込む。


「わあ、ぶすの顔だー」


 漫画のようにがっくりとうなだれてしまうまゆかの姿に思わず吹き出してしまう。

私は立ち上がってスカートを軽くはたいた。同じく立ち上がったまゆかのスカートを丁寧にはたき、くしゃくしゃに入れられたハンカチを、これまた丁寧に畳んでからポケットに入れなおした。


「エリ、お母さんみたい」

「王子様になったりお母さんになったり、忙しいったらないよ」


そして、まゆかに手を差し出す。


「帰る前にトイレに寄っていこうか」


 まゆかは小さくうなづくと、私の手をぎゅっと握り返した。片手越しに彼女の体温が伝わってくる。

 私はまゆかを導くようにゆっくり歩き出した。この悲しい記憶が残る場所から、彼女を遠ざけるために。

 帰るころには、まゆかは私に、いつもの素敵な笑顔で向けてくれていた。



 一つだけ、まゆかに言えない秘密がある。

 私は彼女の幸せそうな顔は大好きだし、彼女の笑顔も本当に大好きなんだけど。

 私がこの世で一番大好きなのは、彼女が悲しみに暮れ、絶望に落ち込んでいる姿。

 泣きじゃくる彼女の、そのどうしようもなく愛らしい姿。

 そう——

いつもまゆかと彼が別れるように仕向けているのは、他でもない私なのだ。

 今、隣で可愛らしく笑う彼女を見ながら思う。

私だけが愛でられる、まゆかの悲しみが——

どうかどうかいつまでも、私だけのものでありますように、と。


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