児玉源太郎の大英断
帰国して数か月した明治二十五年十一月、後藤新平は満36歳で内務省衛生局長となった。
そのわずか一年後のことである。
「科学的な精神鑑定も行わずに監禁して人の自由を奪うような野蛮な行為は、 とうてい容認し難い」と主張し、いわゆる相馬事件の被告側に連座してしまうのだ。
そのころ、陸軍次官の児玉源太郎は悩んでいた。
「大陸に送った百万の兵を帰還させる際の検疫をどうするか」
いろいろな方面に相談した結果、後藤新平に行きついた。
「君しかこれをやれる人間はいない。頼む」
「私は出獄するとき、二度と官途にはつくまいと心に決めました。せっかくですがお断りします」
児玉は話題を変えた。
「経費はいくらくらいかかるのか」
「まず百万円はかかるでしょう」と、後藤は適当に答えた。
「日本全国に悪疫が蔓延する事態を防ぐためなら安いものだ。百万円と言わ ず、念のために百五十万円くらいは用意しておこう。それで君、やってくれるか」と、児玉のほうが数段も上手だ。
「私は軍人になる気持ちはありません」と固辞する後藤に、児玉はとどめを刺した。
「いいよ。陸軍検疫部の部長は軍人とするが、次官を事務官長とする官制を新たにつくり、一切の事務を事務官長に一任しよう。君は軍人ではなく事務官長だ」
またまたタラレバの話だが、児玉の機転のきいた説得がなければ、後藤新平が検疫をすることはなく『陸軍検疫部報告書』も幻に終わっただろう。
さらに後日談として、台湾総督を辞任した乃木大将の後任に児玉源太郎総督、その下の民政長官には後藤新平という人事が発表され、台湾へと活動の舞台が移るのである。
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