長与専斎からの推挙

 治療技術を習得した後藤新平の関心は、医療から予防(衛生行政へと向かう。


 ときの愛知県令安場保和に対し『健康警察医官設置の建白書』を提出した。


 この建白書に目をとめたのが、内務省衛生局長の長与専斎である。


 そこには近代衛生行政の基本が説かれており、後藤の名古屋における業績もすばらしいことがわかる。


「内務省に勤務しないか」と後藤を誘った。


 これもタラレバの話だが、長与の推挙がなければ臨床医のままであったろうし、内務省からのドイツ留学なども実現しなかったであろう。


 留学中のことだが、貪欲に知識を吸収して歩きまわるのだから、留学資金は足りるはずがない。


「手当てを増額してもらいたい」という手紙を何度も日本に出したらしい。

「友人は皆、私のような性急な人間がよく今まで内務省を辞職せずに勤めてきたと感心しています。たしかに、仕事をせずに俸給だけ得ている老朽官吏や治療もできない廃物医師の溜まり場である衛生局には何度も失望しました。 しかし、閣下がいるからこそ今まで我慢してきたのです。わが国の衛生制度はまだまだ拡張と改正が必要です。そのための勉強をするに最低限の研究費を送って下さい」と、長与衛生局長に対して書いている。


「手当て増額の要求はもっともだが、議会からは官費留学全廃の要求を突きつけられている状況では不可能だ」という返事が届いた。


「命による留学成果が資金不足のため挙げられないので、辞職します」 と、後藤は書いてやった。


「後藤は見かけによらず正直者だが、ちょっと待て。官制改革があって、衛生局長の地位が格下げになった。私は、この冷遇に耐えられないから、辞職するかもしれない。後任には後藤を推薦することになるかもしれない」と、思いがけない返事が届く。


 この部下にしてこの上司あり、というべきか……。


上司と部下の信頼があっての往復書簡に感服。

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