初恋/盲目(改訂版)

貴音真

【初恋/盲目】

 恋は人を盲目にすると誰かが言った………


「わたし、あなたを心から愛しています」

 そう言うと女は右手に持っていたステンレス製のティースプーンを自身の右目の上瞼と眼球の間に滑り込ませた。女は苦痛に全身を震わせながらも一言も声を発することなく自らの右手に込める力をより強くし、まるで眼球を撫でるようにティースプーンを眼球に沿って何周もさせた。女の右目からは血と涙が入り混じった液体が飛び散り、肉を抉る湿った音が辺りに響いた。その行為を何度も何度も繰り返した女は失禁しながら全身を痙攣けいれんさせたが、それでも女は決して手に込めた力を弛めようとはしなかった。

 数分後、女はティースプーンを右目の眉弓骨びきゅうこつの辺りで止めると、そのままテコの原理の様にしてティースプーンの持ち手を額に向けて傾けた。その瞬間、女の眼球は眼窩から飛び出した。

 しかし、女が何度も繰り返しティースプーンで抉ったにも拘わらず女の眼球の周囲にある六つの外眼筋がいがんきんを完全に断ち切ることは出来ず、眼球は眼窩から飛び出した状態で尚も女と繋がったままで空中にぶら下がり、女が身体を痙攣させる振動に合わせて振り子のようにゆらゆらと揺れ動いていた。女はティースプーンを捨てて痙攣している右手で眼球を掴むと力一杯引っ張ったが、それでも女の腕力では筋肉を引きちぎることは出来なかった。渾身の力を込めて何度も何度も繰り返し引っぱったが、眼窩から飛び出した女の眼球は頑なに女の肉体の一部であり続けた。眼球を引っ張る度に狂いそうになるほどの痛みを感じながら、女は右手に左手を重ねて両手でそれを繰り返した。

 だが、それでも眼球は女の肉体から離れなかった。

 不意に女は両手を眼球から離して何かを探るように自らの衣服のポケットを漁り始め、スカートの左ポケットからライターとタバコを取り出した。女は取り出したタバコを投げ捨てると左手で眼球を掴み、右手でライターを握った。そして女は一切躊躇ためらうことなくライターの火で眼球と身体を繋げている筋肉を焼き始めた。

 その瞬間、肉の焼ける匂いが辺りに立ち込めた。

 それは、ライターの点火スイッチを押さえる女の親指と女の眼球の筋肉が焼ける匂いだった。やがて、眼球の筋肉は焦げ付き、女は改めて両手で眼球を掴むと焦げ付いた眼球の筋肉を一気に引きちぎると、そうして抉り出した自らの眼球を目の前の男の右手の掌に優しく握らせて消え入りそうなか細い声で言った。

「はははいいいい…………ここここれれれれれれれれ……ががが…………わたわたわたわたわたわたししししししののの……あああああ……いいいいののののののの……ああかかか……ししでで……すすすすす…………」

 女は言い終わるとその場に倒れ、二度と目を覚ますことはなかった。眼球を手渡された男は眼球を握り締め、女を抱き締めた。男は女を強く抱き締めながら自らの言葉を後悔していた。

 それは、女がこの行為を始める前に男が女に伝えた愛の証となる悲しい言葉だった。

「もし君が、目の見えない俺を本当に愛しているならば君の目を俺にくれ。それが出来るなら俺は君の愛を受け入れよう……」

 男はこの言葉を放つ前に女から結婚を申し込まれていた。

 しかし、盲目である自分と結婚した女が幸せになれるとは思えなかった男は女を自分から遠ざけるためにその言葉を放った。

 盲目の男は愛ゆえに女を突き放すことで愛を示そうとしたが、女は愛ゆえにその男の示した愛を拒んで自らの愛を貫いた。

 二人にとってこれが初恋だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初恋/盲目(改訂版) 貴音真 @ukas-uyK_noemuY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ