第2章:ルヴィツイラ

 馬車に乗るのは始めてがここまで酷い物だとは思わなかった−−悟は馬車が激しく揺れる度に尻に走る痛みに耐えていた。

 何が酷かったかというと乗り心地だ。馬車の座席は硬い木製で激しい揺れがダイレクトに臀部でんぶに伝わる。クッションでもあればよかったのだが生憎ユーノの分しかなく、悟は馬車が走っている間ずっと痛みに耐えなければならなかった。

 彼女の話によれば本来ならここまで酷い揺れではないらしい。悟がいた場所からルヴィツイラの街までの道程は整備が行き届いておらず、悪路続きで馬車が非常に揺れるのだという。

「あっちの方はあなたが彷徨っていた冥路の森が広がって、森の向こうにはさらに標高の高い山が聳えているだけだから人の行き来があまりないのよ。だから道の整備が後回しになってるの」

 クッションに優雅に座り、激しい揺れにも涼しい顔をしているユーノ。

「だとしても……せめて座先を埋める分のクッションを用意するか、この座り心地の悪いシートを改善した方がいいと思うぞ」

 恨み節を吐きながら馬車の窓枠を掴み揺れに耐える悟。御者ももっと穏や

かに馬車を走らせる人間に変えるべきだとも思う。


「考えておくわ。で、聞きたいことって何?」

 目的地までの時間を有効に使いたいと悟は考え、ユーノに幾つかの質問をしたいと言った。

「とにかくこの世界に来たばかりで情報が欲しい。まずはルヴィツイラのことに関して教えてくれ。歴史、文化、経済、政治、人々の一般的な暮らし何でもいい」

「随分と大雑把な質問ね……」

 苦情を入れながらもユーノは語り始める。

「そうね、ルヴィツイラは人口数千人の小さな都市よ。商業都市で多くの商人たちが街を出入りしているわ。商業の発展で街は基本的には裕福ね。生活様式もここ数十年の間に魔道具の急速な普及でだいぶ発展したと言われているわ」

「まどうぐ?」

 またしても胡乱な単語が飛び出してきた、と悟は顔を顰める。最も言葉の響きでどんなものかは何となく相応がついた。


「魔法で特殊な加工がされた道具のことよ。これで魔法を使えない人々もその恩恵を受けられるようになったわ」

「この世界の人間みんなが魔法を使えるわけじゃないのか?」

「もちろんよ。魔法を扱うには魔力が必要不可欠だけど、魔力を持っているかどうかは生まれつきで決まるわ。だから、魔力を持って生まれなかった人は一生魔法を使えないの。ちなみに悟は魔力は持ってないみたいね」

「まぁ、俺は別世界の人間だから持ってないだろうが……というかそいつが魔力を持っているか見ただけでわかるのか?」

 異世界転生ものにありがちなチート能力の付与は魔力、魔法という形で自分には与えられなかったことを少し残念に思いながらユーノに質問する。

「まぁね、魔法を扱える人間なら誰でもできるわ。相手対して魔力を発すると無意識に相手も魔力を発し返すの。だから相手から魔力が返ってこなければその人が魔力を持ってないってわかるの」

 

 ユーノの説明を聞きながら悟はふと疑問に思った。

「無意識でってことは相手から魔力を発せられても意識的に魔力を発さないようにはできないのか?」

「できないことはないだろうけど……それってかなり困難よ。無意識で魔力を発し返すってことは条件反射ってことだから……」

「ああ、そういうことか……」

 ユーノの解説を最後まで聞かずとも悟は察した。条件反射の行為を意識してしないようにするのはかなり難しい。例えば誰かが自分に向かって攻撃しようとすれば誰でも反射的に身を庇おうとするだろう。その瞬間にそれを意識的に止めようとするのが難しいのは容易に想像できる。

「話を本筋に戻すわね。政治に関しては街の最高責任者である首長と8人の評議員の合議制で行われているわ。首長は選挙で選出されて4年任期。最も今の首長はもう何回も連続で当選してるから任期も何もあったものじゃなくなってるんだけど」

 そう言いながら何故かユーノはどことなく苦々しい表情を浮かべる。

「評議員っていうのはどうやって選出されるんだ?」

 何故か苦々しげに歪んだユーノの表情に疑問を持ちながらも悟は話を先に

促す。


「評議員は主にルヴィツイラに住む貴族たちが歴任してるわ。評議員の誰かが退任するか亡くなった場合には他の評議員たちで話し合い、後任を選出するってことになっているけれど、選出されるのは前任者の子ども、いなければ血縁の近いものだから実質世襲性ね。最も彼らは元からの貴族ではなく、その昔商人だった先祖がルイド帝国の皇帝から爵位を授かって貴族になった子孫たちなんだけど」

「その貴族連中の商人だった祖先たちはどうして爵位を授かったんだ?」

 この世界の商人の地位がどれほどのものかは悟にはわからないが一介の商人が爵位を授かるというのはそれなりの理由があってのことのはずだ。ましてやユーノの話しぶりから爵位を授かったのが複数人だったことが窺える。

「そうね。ちょうどいいからその理由も含めて今度はルヴィツイラの成り立ちの歴史について話すわね。ルヴィツイラは今から120年ほど前にサミュエル・ブランド−−商人だったあたしの曽祖父が商人ギルドの仲間とともに商人たちの交流地点として興したのが始まりよ」

 

 悟は何でもないように話すユーノに驚愕の視線を向ける。

「おいおい、街の設立者のひ孫なのか? そういやユーノの親父さんは地位があるって言ってたな。8人いる貴族の評議員の1人か?」

「いいえ、父はルヴィツイラの政治の最高責任者−−首長よ」

「マジかよ……」

 思いがけない事実の連続に絶句する悟。ユーノは正真正銘のお嬢様ということになる。

「そんなに驚かないで。設立者の曽祖父の威を借りて、長い間権力の椅子に固執してるだけの人よ」

 流石にそれは言い過ぎだろうと思いつつ悟はユーノの表情に曇りが射したのを見逃さなかった。先ほども首長の説明をしている時に苦々しい表情を浮かべていたのを悟は思い出す。ひょっとしたら首長である父の存在をあまり心よく思っていないのかもしれない。


「話を戻すわね。サミュエルが商人の交流地点として興したルヴィツイラは他の商人たちに重宝されたの。自分達が使う場所だから彼らはルヴィツイラに多額の寄付をして、街はどんどん大きくなっていったわ。設立から20年ほど経つと商人以外の人たちの移住も受け入れ始め、商業都市として確立したのだけどそこで問題が起こった……」

 ため息をつくようにそこで言葉を切るユーノ。憂を帯びたその表情を見て悟は彼女はどんな表情でもその容貌の美しさが崩さないのだなと思った。

「問題?」

「ええ、発展していくにつれて街の防衛のために自衛団を作り、軍備を拡張していったのよ。それが原因でルイド帝国から危険視されたの」

 なるほど−−と悟は思った。ただの商人たちの交流地点がたった20年で軍備を持つ都市に発展すれば畏怖するだろう。このまま放っておけばさらに力をつけて自分達に牙を剥くかもしれないと。

「まさか……戦争になったのか?」

 

 悟は遠慮がちにその「ワード」を口にする。「まさか」とつけたのは滑稽だ、と言ってから思った。「まさか」でも何でもない必然的なことですらある。人は恐れればその対象に対して警戒し、警戒心はやがて強い疑心に変わり、強い疑心は憎しみへと成長して最後には暴力を生んで戦争へと辿り着く−−なんて事はない。悟のいた世界でも人類が繰り返し行なってきた「愚行」だ。

「そうね……戦争といえば戦争だけど実際には侵略と言った方が正確だと思う。帝国はルヴィツイラが帝国に対して叛逆はんぎゃくを企てていると事実無根の理由で挙兵し、ルヴィツイラに攻め入ってきたのよ。それが今から100年ほど前。ただそのでっちあげの理由以外にも帝国が攻めてきたのには理由があったの。当時帝国は財政難で苦しんでいたらしいわ。だから多数の商人たちが利用し、金が動くルヴィツイラに財政難の打開を見出したわけ」

 悟は黙ってボサボサ頭を掻きながら顔はユーノの方を向きつつも視線を窓の外に向ける。100年前にそんな出来事があったとは思えないほど長閑な自然が広がっており、その中を馬車は走っている。道もいつしかなだらかになって激しい揺れもなくなっていた。


「帝国との戦力差は圧倒的だったけどそれでも当時のルヴィツイラの人たちは善戦したわ。よその商人たちも重要な交流、交易の地であるルヴィツイラを失うわけにはいかなかったから武器を始めとして莫大な援助を行なったわ。でも、長くは持たないことは誰しもわかっていた。財政難で戦費を捻出するにも苦労していた帝国は短期決戦のつもりで攻めてきてたから、その攻撃はそれは激しいものだったそうよ。そこでサミュエルは帝国と停戦交渉することにしたの」

「その状況で帝国側が交渉に応じるとは思えないけどな」

 相手は最初からルヴィツイラを獲る目的で挙兵してきたのだ。話し合いをしようと持ちかけたところで素直に応じるとはとても思えない。

「ええ、サミュエルもそう考えた。だから、帝国が交渉に応じるように仕向けることにしたの」

「どう言うことだ?」


「帝国に対しての強力な味方である外部の商人たちに協力を頼んで、帝国内で帝国の一般市民が反戦の意識を高める噂を流すようにお願いしたの。一般市民たちに『ルヴィツイラとの戦いは旗色が悪いらしい。長期戦になる可能性も高い。ただでさえ財政難で困窮しているのに莫大な戦費で余計に帝国の懐は寒くなるだろう。税の額も2倍、3倍に膨れ上がってもおかしくない』って吹き込んでくれってね」

 プロバカンダ−−だと悟は思った。税の額が跳ね上がると聞かされれば民衆も心穏やかではいられまい。そうやって民衆に反戦の意識を植え付けさせる。その意識が大きくなれば、そしてそれを見た帝国自身はどう考えるか? 暴動に発展しかねない−−そう考えさせることによって帝国に終戦へ向かわせるように仕向けたのだ。

「ユーノのひいじいさんは頭のいい人だったんだな。正攻法がダメなら絡め手でってわけか。しかも、デマを流すのが多くの人と繋がりを持つ商人なら伝播の速度も速そうだ」

 馬車は完全に平坦な道を一定の速度で走っていた。悟を苦しめていた揺れはもうない。


「察しがいいわね。その通り。そしてサミュエルの思惑通り帝国は交渉のテーブルに着いた。しかもルヴィツイラ側が提案した場所でね。よほど帝国内で反戦の世論が高まっていたんでしょうね。いざ、交渉が始まればサミュエルの独壇場だった。商人として培った巧みな話術を使った交渉術でルヴィツイラが帝国に自治税を収めるという条件で帝国側にルヴィツイラの自治権を認めさせたの。これがルヴィツイラの街とその自治領の成り立ちよ。この時に停戦交渉にあたったサミュエルとその仲間の9人に帝国は爵位を授けたの」

「ん? イマイチ今の話の流れと爵位授与の関係性がわからないが……」

「簡単よ。この世界では王に爵位を授けられるといういうことは王の家臣であること、家臣になったことを意味するの。だから、帝国は爵位を授けることによってサミュエルを初めとするルヴィツイラの中心に立つ人間を自分の家臣に位置付けて、あくまでもルヴィツイラは帝国の傘下であるという風に対面を保ったのよ」

「なるほどね……」

 

 ユーノの長い話がひと段落すると悟は座席に大きくもたれかかり何気なしに窓の外を見た。

「おおっ……」

 思わず感嘆の声が悟の口から漏れる。彼の視線の先に丘の上からも見えた青い海と防壁に囲まれた街のパノラマが見えたからだ。

 異国情緒という言葉があるがこの場合は異世界情緒とでも言おうか、味気ないコンクリート建造物などとは違い、レンガ造りの建物は見ているだけで高揚感が湧き上がる。

「あれがルヴィツイラの街よ」

 嘆息する悟に得意気に説明するユーノ。悟が自分の住んでいる街に視線を奪われているのが嬉しいのだろう。

「港に何隻か船が見えたけど商船か?」

 馬車が道を大きく曲がり、ルヴィツイラが見えなくなると悟は再びユーノの方に視線を戻す。

「ええ。中には漁船もあるけど多くは商船よ。遠くの大陸から来る船もあるわ」

 

 ユーノの話を聞きながら悟の高揚感は収まらずそれどころかますます大きくなっていった。それだけルヴィツイラの街の雰囲気が悟の心を捉えて離さなかったからだ。

 青い海に面した港のある商業都市−−ファンタジーの世界、空想の檻の中でしか存在し得なかったものが今、悟のいるこの世界では確かに存在しているのだ。

「街の成り立ちについて少し長く話しすぎたわね。もうすぐ着いちゃう」

 目的地が近いからか馬車はスピードを落とし始めていた。穏やかな揺れとガラガラと回る車輪の音が快い。最初こそ酷い目にあったが馬車の乗り心地も悪くないじゃないか、と悟は気分を良くしていた。

「いいさ、ありがとう。かなり興味深かったよ。まだまだ聞きたいことはあるがそれは街に着いてからおいおい聞くとするよ」

 再び窓の外に海とルヴィツイラが見えると悟は窓から身を乗り出す。太陽は天高く昇り、海面は陽光に反射してキラキラと眩い宝石のように輝いている。遥か海上を数匹の海鳥が滑るように滑空していた。心地の良い風が吹いて潮の香りを運んでくると、悟はその香りをいっぱい吸い込んだ。

 

 しばらくして馬車は巨大な石造りの門からかかっている跳ね橋の前で停車した。      

「ありがとう。ここからは歩いて行くわ」

 ロングスカートを上品に摘み、裾を少し上げると優雅に馬車から降りてユーノは御者に礼を述べた。

「いえ、とんでもございません。ユーノお嬢様の頼みとあらばいくらでも馬車を走らせますよ!」

 中折れのカウボーイハットを小粋に被った御者はユーノに爽やかに笑いかける。若い男で逞しい肉体は荒々しい馬の扱いも彼にかかればお手のものであることを容易に想像させる。

 カウボーイハットの御者はユーノには愛想よく笑いかける一方で横に立つ悟には胡乱な物を見るような視線を投げかける。

(不審者どころか得体の知れないモノを見る目だな……)

 悟は苦笑して肩を竦めた。無理もないだろう。村を出た時には一人で馬車に乗った「ユーノお嬢様」が帰りに見知らぬ男を連れて馬車に乗せると言い出したのだ。突如現れた謎の男に不信感を持つのは当然だろう。


「さあ、行きましょ」

 馬車が別の方向に走り去って行くのを見送ってからユーノは先立って軽やかに歩みを進める。

「跳ね橋か……実際には初めて見るな」

 正面に見える門の中の滑車に鎖が通じていて、門道の上に取り付けられた錘の力で引き上げられる仕組みになっているようだ。防壁に囲まれたルヴィツイラの周りには深い堀が掘ってあり、山の川から水が流れてきている。跳ね橋はこの堀の上にかかっており、そのままルヴィツイラの街の入り口に続いている。

「この堀に流れている水は山から流れてきて海に続いているのか?」

 跳ね橋の上から堀を覗き込むようにしながらユーノに尋ねる。水は穏やかに流れ、そのまま飲むことができそうなくらい澄んでいる。

「ええ、そうよ。ちなみに山の豊かな土壌から栄養が川に溶け出して、それが海に流れ込み、ルヴィツイラの近海の栄養にもなってるから、ルヴィツイラでは山の森林を増やして保護してるの」

(魚つき林ってやつか)

 

 悟はユーノの話を聞きながら昔、本で読んだ知識を思い出した。

 有機物が生産されにくく、利用されづらい海の環境に対して、地上は植物を起点にして作り出された有機物が地表に蓄積されて豊かな土壌が作られ、土壌中の有機物が微生物によって分解されて栄養分になり、それが再び植物に利用される。その栄養の一部が川に溶け出して海へと運ばれ魚介類の生息、生育に好影響をもたらす。それが魚つき林だ。ゆえに漁業が営まれる地域では沿岸部の森林を保護する習慣があるらしいがどうやらこの異世界でも同じようなことが行われているらしい。


「その保護されている森林が俺のいた森か」

「ええ、冥路の森は木々の伐採、破壊を禁じているから多くの動植物やグリズリーのようなモンスターが生息しているのよ」

 グリズリーの名を聞いて悟はあの恐ろしい姿を思い出して、背筋に寒いものが走った。

「……あいつらが森を出てここに攻めて来ることはないのか?」

 グリズリーたちが攻めてくるという最悪の状況が起こらないか悟はユーノに尋ねる。

「大丈夫よ。グリズリーや他のモンスターもあの冥路の森から出てくることはないわ。何故かはっきりした理由はわからないけどね。ひょっとしてグリズリーがトラウマになった?」

 ユーノはクスクス笑いながらからかうように聞いてくる。

「……むしろそのグリズリーの頭を丸焦げにしたお前がトラウマだ」

 悟はむっ、として精一杯の皮肉を返すがユーノはクスクス笑って意に返さない。


「ユーノ様お疲れ様です」 

 跳ね橋を渡り終え、石造りの門までくると門の端に詰所のようなスペースがあった。門の前には鎧に身を包んだ見張りと思われる男が立っており、ユーノに敬礼をする。

「シュタインベルトさん、見張りいつもお疲れ様です」

 ユーノは立ち止まりペコリと頭を下げる。やはり名家の令嬢というかその何気ない身のこなしにも優雅さを感じさせる。

「また、街の外に出られていたのですか……エドモンド様が聞かれたらどんな顔をされるか……」

 シュタインベルトと呼ばれた男は困ったような、呆れたような表情を浮かべる。

「お父様には黙ってて、お願い」

 見張りに片目をつむり手を合わせるユーノ。先ほどの優雅な一礼とは対象的に可愛らしい仕草だった。

「畏まりました……ところでそちらの若者は……」

 警戒するような、値踏みするような視線で見張りは悟を睨め付ける。


「別大陸からやってきた商人の方よ。ちょっと面白い品をルヴィツイラに仕入をしたいって言うから話だけでも聞くことにしたの。大丈夫、騒ぎを起こしたりしない人ってことはあたしが保証するわ」

「そ、そうですか……ユーノ様がそう仰るなら構いませんが」

 見張りは顔はユーノの方を向きながらも目線は悟の方に向けて、何か言いたそうな顔を浮かべつつも横に退いて道を開けてくれる。

 ユーノは見張りに「ありがとう」と短く礼を述べると先へと歩みを進める。悟は何も言わずに軽く一礼してそそくさとユーノの後についていく。

「商人だなんて嘘がよくすらすら出てくるな」

 後ろに立っている見張りに聞こえないように小声でユーノに話しかける悟。


「だって、異界人だなんて説明したって信じないもの。あの見張りに制止されたらその時点であなたを街に迎え入れることはできないわ。悟もそれは困るでしょ?」

「そりゃそうだが……」

 頭を掻きながら悟は苦い表情を浮かべる。ユーノの言うことは確かだが騙しているようで悟は正直なところ気分は良くなかった。

「それよりも……ようこそルヴィツイラの街へ」

 ユーノはロングスカートの裾を翻して悟の方を振り向くとどうだとばかりに手を広げてみせる。彼女の後ろにはたくさんの人や荷物を乗せた荷車あるいは馬車が行き交っていた。道には露店が祭りの縁日が如く立ち並び、店主たちの客を呼び込む声、道行く人々に商品を薦める大声が響き渡っている。活気溢れるその光景に悟は思わず息を呑む。

(上野のアメ横を思い出すな……)

 実際には行ったことはないが年末にテレビで特集される上野のアメ横商店街。悟の目の前の光景はそれを思い出させた。

 

 ルヴィツイラの街は入り口から少し行くと道が三方向に分かれている。露店が並んでいるのは右の道で真ん中の道は緩やかな下り坂になっておりそのまま行くと円形の広場に出るようでそこが街の中心のようだった。左の道を行くと勾配のある傾斜地の真ん中を通っている階段に続いている。傾斜地には無数の住宅が並んでいて居住区になっているようだ。 

 左側の方から露店が並ぶ右端の道に悟が視線を戻すと

「露店に興味があるなら少し見ていく?」

 悟の横にユーノは立って首を傾げながら聞いてくる。

「ああ、興味がある」

 露店に並んでいる物を見る事はこの世界に関する情報を得ることにもなる、などと最もらしい理由を悟は自身に対してつけてみるが実際は珍しいもの見たさの好奇心だった。

「じゃあ、行こっ」

 ユーノが悟の手を引いて歩き出す。

「お、おい……」

 

 いきなり手を引かれてバランスを崩しながらも悟も歩き出した。

 2人は3方向に分かれているうちの右の街路を進んで行く。西洋風の煉瓦造りの建物が立ち並び、道は石畳で舗装されている。その道を荷馬車や大きな荷物を背負った行商人と思われる人々がすれ違って行く。まさに悟が想像していたファンタジーの世界そのものだった。

「商業都市っていうだけあって商人っぽい人たちが多いなぁ」

 悟は視線を左に右に彷徨わせながら呟く。

「っぽいじゃなくて商人よ。それから商品を取り揃えて遠方からやってくる卸業者も多いわ」

「さっきから時々通りかかる荷馬車がその卸業者か?」

「ええ。彼らに頼むと手数料がかかるけど良質な品物を種類豊富に取り揃えて持ってきてくれるから便利なのよ。それに彼らは信用を何よりも大事にしているから頼んだ品を頼んだ日に確実に持ってきてくれるわ。中には親類縁者が亡くなろうと自分の身体が重い病気に罹ろうと品物を届けようとする卸業者もいるくらいよ」

 恐ろしいワーカーホリックぶりだと悟は驚嘆した。それだけしないと顧客である商人たちから信頼を得られないということか。

 

 ユーノと連れ立ち、居並ぶ露店を見ながら歩いていく。店先には食料品が多く並んでいた。果物や野菜、肉類、魚類、とわかるものもあれば悟が見たことのない得体の知れない青紫の物体が入った瓶なども置いてある。一方で日用雑貨類が置いてある店もあった。食器類、家具、小物、衣服等が雑多に店先に並んでいる。

 ユーノの後に着いていきながら悟は田舎から都会に出てきた若者のようにキョロキョロ視線を彷徨わせていたがやがて立ち並ぶ露店はなくなり真っ直ぐ続く通りに出た。

「露店が並ぶ通りはここまでよ。街の規則で露店を出していいところが決まっているの。ここから先は普通の建物のお店が並んでいるわ」

 石畳の街路の右側に煉瓦造りの店舗が等間隔で立ち並んでいた。

「この街に住めば色んな物が揃っているから便利そうだな」 

 これからどうするかまだ先行き不透明だが取り敢えずこの街に腰を落ち着けるのも悪くないと悟は考える。問題は資金だが−−。


「だったら定住すればいいわ!」

 くるりと身を悟の方に向けるとユーノは提案をする。

「と言ってもまずは金を何とかしなきゃならんからな。あと、取り敢えずの住処も……」

「家ならしばらくあたしの家に住めばいいし、仕事も知り合いに当たってみるわ。だから。ここに住めばいいわ!」

 有無を言わせぬ調子で捲し立てるユーノ。その勢いに思わず悟は気圧される。

「いや、有難いけど……どうしてそこまで俺に世話を焼いてくれるんだ? そりゃユーノの小説のネタになる話の1つや2つぐらいはできると思うが……それだけだと全然見合ってないぞ」

 突然森から現れて別の世界から来たなどという明らかに怪しい男にどうしてこの少女はこうまで世話を焼こうとしてくれるのだろうか?

「えっと、それは……」

 ユーノが顔を少し赤らめて俯き悟の問いに答えあぐねる。そんなユーノを悟は黙って見る。

 風が2人の間を通り抜けた。行き交う人々の喧騒が遠くなる。悟はユーノと2人ここでない別の場所に2人の存在する空間ごと周りを置き去りにしてどこかへ行ってしまうのではないかと思った。


「あのね……悟」

 ユーノが顔を上げる。そして、何事か口を開きかけた時だった。

「だから! 行商許可証は盗まれたんだよ!」

 突如、男のものと思われる怒号がユーノと悟を2人きりの世界から現実へと引き戻した。

「一体、どうしたんだ?」

 何事かと悟が背伸びをして怒声がした方を伺っているとユーノが歩き出した。

「行ってみましょう。何かあったのかもしれない」

 その真剣な表情からは好奇心や野次馬根性のような不純な気持ちは感じられない。

「おい、ユーノ……」

 半ば彼女の深刻な雰囲気に気圧されつつも悟は慌ててその後を追う。

 ユーノの後に悟がついて行くと怒声がした場所を中心としてちょっとした人混みが出来ていた。

「ちょっと失礼……」

 ユーノはそう言いながら無遠慮に人混みを掻き分けて行く。悟も遠慮がちに周りの人々に頭を下げながらユーノの後について進むと1件の店の前で2人の男と1人の鎧を纏った女が対峙していた。


 男の1人はがっしりとした体躯の中年男で、頭にカーキ色のバンダナを巻いて服の袖を肩の当たりまで捲り上げ逞しい二の腕を露わにしている。

 もう1人の男は小柄で白く足元まで丈がある服を着て、頭には白い布を被り、その上から輪に編んだ紐を布の上から頭にはめて布が落ちないように留めている。悟はその装いを見てアラブ系の民族衣装を思い出した。歳は悟とさほど離れていないように見える。

 そして、赤みがかった茶髪を背中まで長く伸ばし、鈍い銀色を放つ鎧を身に纏い、2人の男を睨むような表情を浮かべている女−−

「ドロシじゃない。一体何があったの?」

 顔見知りなのかユーノは鎧の女を「ドロシ」と呼び、親しげに近づいていく。

「ユーノ! いや……ユーノ様」

 ドロシはユーノの姿を見て顔を綻ばせ、1度は彼女の名前を呼び捨てにしたが途端に周りの人々の視線を気にするように口調を改めて「ユーノ様」と呼び直す。

「ユーノ様、実はこの店に品物を届けにきたこの卸業者が……」

 ドロシの説明にユーノが耳を傾けようとすると野次馬の話し声が聞こえてくる。


 −−何ごとだ?

 −−あそこにいるのユーノ嬢だろ? エドモンド様の娘の。

 −−あの女騎士が卸業者に何か因縁つけてたみたいだよ。

 −−帝国から出向してきてる奴だろ? 帝国の女騎士様がルヴィツイラの商人の邪魔をして何が楽しいのかねぇ……。

 

 根拠のない憶測、邪推、あるいは誹謗中傷がひそひそと辺りに飛び交い、それらにユーノは眉を顰める。

「ちょっと観客が多いわね」

 ユーノは説明を続けようとするドロシを手で制止して、呟くとくるりと身を翻し、人混みに向き直ると

「みなさん、評議員のユーノ・ブランドです。どうやらこのお店で何かトラブルがあったようなので私の裁量の範囲で調査と事態の収拾にあたります。調査および他の人の通行の妨げになりますので、このお店の前で立ち止まり話をする等はご遠慮願います」

 ユーノがそう述べると人々は不承不承に店の前から離れ、人混みが波のように引いていく。

「これでゆっくり事情が聞けるわね」

 すっかり人混みが引いたのを確認するとユーノはドロシの方に向き直る。

「お手を煩わせて、すみませんユーノ様」

「もう人の目もないしユーノでいいわドロシ。あなたとあたしの仲でしょ?」

 ユーノは恐縮するドロシに困ったような表情が混じった笑みを投げかける。


「俺もこの場から退いた方がいいか? 評議会議員様」

 場の展開に着いていけずすっかり蚊帳の外に置かれていた悟がユーノに皮肉まじり話しかける。

「あっ……悟いたの?」

「いたわ! 文字面に表れない行間にじっと身を潜めてたわ!」

「その言い回し面白いわね。今度小説で使わせてもらうわ」

 悟の言葉に感心したようにユーノは腕を組む。

「あのな……まぁいい。それよりもお前も8人の評議員の1人だったんだな。馬車の中では聞かなかったが」

「ごめんなさい。隠すつもりじゃなかったんだけど権力者だって自分から言うのがちょっとね……」

「別にいいけどな」

 ユーノの言葉を聞いて悟は気持ちはわからなくなかったので責めるのを止める。


「ユーノ……そちらの御仁は?」 

 ドロシが悟の方を値踏みするように伺う。

「あ、彼の名前は悟。なんて言うか……彼については後で詳しく説明するわ」

 ユーノは悟について話すと長くなると考えたのか説明を後回しにする。ゆっくり説明している場面でもないが「扱いが雑だ」と悟は心の中で呟いた。

「それよりここで何が起こったの?」

 周り道をしながらもようやく話の本題にユーノが踏み入った。

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