04

 つまらない話を少しだけします。

 私には学を重視する両親が居ます。そして、私へそそぐ勉学への熱は幼い頃から始まっていたので、当人の私からすれば当然の物だと思い込んでいました。塾で夜遅くまで通うのは当然。テスト結果は上位が当然。家では夜中まで勉強するのが当然。それが私の常識でした。

 ですが、私はある時期を境に学業が思う様に上手くいかなくなりました。当然、両親からはこっぴどく怒られました。

 「これ以上酷い点数をとったら、お前はこの家の敷居を跨ぐのを許さない」そう親に言わせるくらい、酷い成績だったようです。学生だった私からすれば、その言葉は何よりも恐ろしい物でした。まだまだ親に頼らないと生きていけない、弱い存在だったからです。

 ですがそんな絶望の真っただ中、私は彼に出会いました。そう、隣に居る彼です。

 彼は私に沢山の事を話してくれました。なぜ海は青いのか、海の中はどのような世界なのか。人はどのような生き物なのか、世界はどれだけ広いのか。実際に体験したことも有ります。

 沢山の事を教えてくれた彼と出会い、私の思いは次第に変わっていきました。

 今までは義務だった勉強が、己の意思で学ぼうという思いに変わったのです。その結果、学校での授業も積極的に取り組むようになり、勉学へ向き合う姿勢の変化に、先生も両親も驚いたようでした。

 結果が目に出てくるようになり、私は語学を学べる大学に進学しました。そこで私は外国の言葉や文化を知り、実際に訪れたりする貴重な経験もしました。親も、中々の学歴を得た私を誇らしく感じるようになったそうです。

 そして、私は大学を無事に卒業しました。サプライズだと言うことで、就職先は秘密にしていましたが、両親は私をようやく認めてくれました。

 「そしてなんの仕事に就いたんだい?」親に問われた時、私は満面の笑みで応えました。「トラベルライター」だと。

 驚いた両親を前に、私は頭を下げました。

「今までありがとう。そう告げて、私は両親の元から旅立ちました。私はそれ以降両親とはほぼ縁を切っていると言っても過言ではありません。結婚式も呼んでいませんし、雫玖も両親に会ったことがありません」

 まあ、神様であるアオさんとの結婚式は彼の神様仲間だけしか居なかったし、雫玖を産んだときも、似たような物だったし。親なんて呼べるわけがなかったが正しい。

 にこにこ、と笑みを浮かべながら私の身の話を口にすれば、目の前の曙美ちゃんの御両親は少し眉間に皺を寄せ、私を値踏みするような目で見てくる。そのような所が、私の両親とそっくりだった。

「だから、他人事とは思えなかったんですよね」

 アオさんが私に続いて口にする。

「……私達が、貴方の両親と同じだと?」

「さあどうでしょう? 似ているなあ、とは思いましたが」

「ふざけないで頂きたい!」

 父親がドンッ、と力強くテーブルを叩きつける。

「そちらの勝手な同情心で、我が子を巻き込まないでくれ!」

「勝手な同情心が沸き起こるほどに、彼女は弱っていましたよ」

「は?」

 彼等の前に、とある物を差し出す。それは、曙美ちゃんがばらばらに破いたという成績表のコピー。

 2人はそれを驚いたように手に取って、眉間の皺を濃くする。

「酷い成績じゃないか」

「そうですね。そう思ったから彼女も破いた。どういう気持ちで破いたのかは、本人のみぞ知る……というやつですが、自分は証拠隠滅の為に破いたとは思えない」

「だが悪いのは結果論で」

「では続いて此方を見てほしいんですけど」

 どん、とアオさんがテーブルの上に置いたのは、この夏休みの期間に曙美ちゃんが頑張っていたという証拠。数冊のノートに、過去のテストを張り付けて、新しい答えや説明を書きこんだノート達、夏休み前に出された課題を何度も解いたノート達。

「これが、彼女の頑張りです」

 自分の想像のはるか上を行く量に二人も驚いたらしい。それもそうだろう。一日中ずっとのように勉強しているのだ。そりゃあこの量にもなる。

「自分の息子である雫玖の出す問題も、問題集に書かれている問題も、過去問も、どんどんと解けるようになっている。成長しているのは明らかです」

「私が出す英語の問題にも、最初は苦戦していましたが、最近では少し考えながらも正解率を上げています」

「これでも、貴方達は娘である曙美さんを信じられませんか?」

 アオさんの問いかけに、両親の眉間の皺は気が付けば無くなっていて、驚いたように目を開いて、ノート一冊一冊を丁寧に捲っていた。

「確かに、夏休みの先生の講習に参加すれば良い。そう考えるのも分かります。先生は教える事のスペシャリストですからね。ですが、大勢を相手にすれば、自然と相手にするのが難しい子が生まれてしまう。それが、今までは毎回曙美さんだったはずです」

「でしょうね……成績が下の子に合わせようとすると、授業が遅れてしまうから……」

「おや、お母さんもしかして」

「ええ、私、元教師なんです……」

 あらま、と口元に手を添えて、目を丸くする。話を聞く限り、私立の名門校の先生のだったようだ。だからこそ、娘にも好成績を求めてしまったのだろうか。


「私が受け持ったクラスの子達にも、成績があまり良くない子が居ました。その子はなんとか学校を卒業しましたが、受験を失敗し、そのまま仕事をしないで居続け、その後も色々と苦労した日々を過ごしている」

 曙美ちゃんのお母さんは、ぽつりぽつりと呟く。その声は、少しだけ震えているようだった。

「責任を問われたことも有ります。だから、娘には苦労してほしくなかった。結局、学歴はどこまでもついてくる。なのに、どうしてできないのって、あの子みたいになってしまうって、いつも思ってました……。今思うと娘にも、元教え子にも失礼な人間でした。当たり前ですよね。生徒は、子供は、人間は個性がある生き物だから。合う勉強法も、人によって違う」

「その生徒のように娘はなってほしくない。そういう思いがあったと」

「そうですね……きっと、始まりはそうでした」

 それは、教師という経験をしたからこその親として考えだったのだろう。

 彼女の元教え子を悪く言いたくはないが、確かに、今の時代でも学歴を重視する無慈悲な大人は多く居る。学歴で就職先の給料だって変わる。だからこそ、娘には良い成績を収めてから大学を出て、少しでも安定した生活をしてほしい。そういう、親心もあったのだろう。

 ただ、それが行き過ぎてしまったのが、今回の原因だったわけだ。

 大人になってから「もっと勉強していればよかった」と考える人は多いと思う。実際に私もそうだ。だが、勉強をしている当人である子供達は、その苦労を理解できない。当然だ、未来など分かるはずがないのだから。だからこそ、親は躍起になってしまう。

 それは、何処の家でも同じなのだろう。


「それじゃあ、そんな娘さんを褒めたことは有りますか?」

「それは勿論……成績が良かった時とか」

「それは、成績を褒めただけでしょう。曙美さん個人を認めて、褒めたことはありますか」

 アオさんの言葉を聞いて、曙美ちゃんの御両親は言葉が詰まった。

「子供は、大人の自己満足の為の道具じゃありません。それだけは忘れないで」

 アオさんの言葉を聞いて、二人は顔を伏せて、こくりと小さく頷いた。

「先程の曙美さんの言葉は、きっと本心だった。彼女は、二人に認めてもらいたかったんだと思います。それは、学業だけじゃなくて、曙美さんという存在を認め、許してほしかったんだと思います」

「……そう、ですね。あの子は、まだ、子供で、私の娘なんですよね」

「ええ。大丈夫です。まだ、時間はあります。きっと、私と両親のような関係に、狐坂さん達はならないはずです。信じてます」

 私の言葉を聞いて、お母さんは少しだけ目尻に涙を滲ませていた。

 そっとハンカチを貸すと同時に、部屋の扉が開かれる。この部屋はアオさんが結界をはっていたから、関係者しか入れない。つまり、そこに居るのは、あの二人だけだ。


「……お母さん、お父さん」

 きっと話を途中から聞いていたのだろう。その顔は今にも泣き出しそうな、幼子のような表情だった。

 曙美ちゃんはゆっくりと両親に近寄って、頭を下げた。

「今回の事、沢山の事を話さないでいてごめんなさい」

 沢山の事。それはきっと今回の講習に関することも含め、相談をして来なかったことなどの反省。だがその声は、多少の不安は感じられるものの、恐怖は感じられなかった。

「そして酷いことを言って、ごめんなさい」

 他人である私ですら察せられたのだ、彼女と血のつながりのある両親だったら、察するのも容易いだろう。

 ずっと自分たちの前で震えていた娘はもういないのだと。

「……うん。それに関してはもう十分話したから、もう良いわ」

 母親の言葉に、曙美ちゃんは少し驚いたのか、顔を上げて目を丸くしながら両親に目をやった。

 彼女も、この短時間での両親の変貌に驚いているのだろう。曙美ちゃんは自分の両親と私達夫婦を交互に目をやって、少しだけ混乱したような目をしていた。

 そんな彼女を見て、彼女の母親が笑った。

 初めて、笑みを見せたのだ。

「正直に話してくれてありがとう」

「……怒らないの?」

「確かに、ちょっとショックだったけれど。私の娘は貴方だけだもの。変わりなんて居ないわ」

 その言葉を聞いて、曙美ちゃんは小さく息を飲んで、その瞳を滲ませて、一粒の涙を零し、それを手の甲で拭った。

「良い先生が居てよかったわね」

「……うん。運が、良かったと思う」

「そう」

 二人の会話は先程までのぎすぎすした声色なんかではなくて、至って普通の親子に近付いた、そんな声色だった。

「……無理はしないで、頑張りなさい」

 お母さんの横に居たお父さんの、無骨だけれどどこか優しさがこもった声に、また曙美ちゃんは驚いた。お父さんは少し気まずそうに、少しだけ耳を赤くしながら、首筋を掻いていた。

「もう良いだろう。帰るぞ」

 まるで照れ隠しのように、足を進めた。

 その際に雫玖とすれ違ったお父さんは、足を止めて、彼の方へ目を向けて、少しだけ口を動かした。

「……曙美を、これからもよろしく頼む」

「っ! はい、こちらこそよろしくお願いします」

 雫玖が嬉しそうに礼を述べれば、お父さんは余計に恥ずかしくなったのだろう。そそくさと部屋を飛び出して行った。

 そんな後姿を見て、曙美ちゃんとお母さんは小さく笑みをこぼしていた。

「それじゃあ、帰るわね。……体に気を付けて」

「うん。……お母さんもね」

 まさか、そう言葉を貰えるとは思ってもいなかったのだろう。お母さんは目を丸くしてから、嬉しそうに笑みを零した。

 そのままお父さんを追う様にお母さんは歩き出して部屋を出る。曙美ちゃんは二人の背中を見送ってから、すぐに部屋を飛び出した。

 突然の事に驚いて、私と雫玖が続いて部屋を飛び出すと同時に、曙美ちゃんは両親を呼んだ。

「お母さん、お父さん!」

 少し距離の離れていた二人は驚いたように振り向いた。

 曙美ちゃんは振り向いてくれたのがうれしかったのか、少しだけ笑みを浮かべて、続けて少しだけ大きな声で言葉を続けた。

「ありがとう! 私、頑張るから!」

 娘のお礼と宣言ともとれる言葉を聞いて、両親である二人は、片方は少し恥ずかしそうに、もう片方は嬉しそうに笑みを零した。そして、そんな姿を見て、娘である彼女も、安堵したのか嬉しそうな表情にゆるゆると変わっていった。

「曙美さん、お疲れ様」

「雫玖くん、ありがとう。ナツさんもアオさんも、本当にありがとうございました」

「気にしないで。曙美ちゃんとご両親が和解して良かった」

 こっちまで嬉しくなっちゃった。そう言葉を続ければ、彼女は嬉しそうに、少し照れたようで顔を赤くしながら、再度礼を述べてくれた。


 そのまま彼女は雫玖と話をしていて、その様子を微笑ましげに見ていると、そっとアオさんが私の横に並んだのが分かった。

「君が選んだ両親との関係も、間違いではないんだよ」

 私の手を取りながら、けれど視線は若い二人に真っ直ぐと向けながら口にした言葉は、私の胸のわだかまりを解すには十分すぎた。

 小さく笑みを浮かべて、最愛の夫に礼を述べたのだった。

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