05
『そうだ。泊まってるなら希龍くん居るんでしょ? 呼んでよ』
電話の向こうで俺が呼ばれるのが聞こえて、そちらの方に目を向ける。
「ん、隣に居る」
『マジか! このまま話したい!』
曙美さんは目元をぐしぐしとこすりながら、俺の方を心配そうに見つめてくる。もう大丈夫だと安心出来ているのだろう。恐怖におびえる瞳ではなくなっていて、安心を得た少女の瞳に変わっていた。
その変化を、俺が行えたわけではない。俺じゃない。彼女の用心棒的立ち位置のこのりさんや、親友である彼女達が、曙美さんを救ったのだ。
俺には、やっぱり、難しいのだろうか。
そんな思いを悟られない様に、笑顔で頷けば、彼女は安堵の息を吐いてスマホを手渡してきた。
「……こんにちは」
『うわあ! 画面越しなのに顔が良いのが分かる! 悔しい! でもありがとう!』
夏休みに入る前と同じテンションだ。思わず苦笑いを浮かべる。
ちらりと横目で曙美さんを見れば、このりさんと話をしている。余程先程まで緊張し、恐怖していたのだろう。心底安堵した表情を見せる彼女を見て、少しだけもやりと胸が薄く霞がかった様な気分がする。
『希龍くんって私の事好きじゃないでしょ』
「え?」
突然の問いかけに、慌てて画面に目を配れば、彼女は小さく笑みを浮かべていた。けれど、そんな言葉を発したはずなのに、彼女は微塵も傷ついている様な素振りを見せていなかった。そもそも、そんな簡単に、他人に問えるような内容でもなかったと思うに、彼女は率直に俺に聞いてきた。
俺が上手く言葉を返せないでいると、気にしないで良いよと彼女はけらけらと笑っている。
『正直に言えば私は面食いだし、きっと希龍くんが一番苦手としているタイプの女子だと思う』
「……違うよ。
俺の言葉を聞いて、今度は彼女の目が開く番だ。瞳を大きく開き、ぱちぱちと何度も瞬きをしてから、少しだけ疑うように目を細めて、じとりと俺の方を見てきた。
『マジ?』
「……確かに、俺は女性に対する苦手意識がある。見目を褒めてもらえるのは嬉しいよ、親からの授かりものだから」
『ほぉん。そう言えば、君の両親も見たことないな。君が言う程だから、そりゃあ顔が綺麗なんだろうね』
「うん。だから、自分の顔を恨んだことはない。だけれど、昔からどうも人と上手くいかなくてね」
その顔なら運動できるとか、勉強できるとか、性格も完璧だろうとか。そんな期待に満ちた目で俺を見てくる周囲の人々。そして、その期待に応えるために、俺は勉学と運動は頑張ったけれど、どうも対人関係は上手くいかなくて。
頑張って実力をつけて、期待に応えていたのに「完璧すぎて無理」だとか「調子に乗ってる」はよく言われた。その言葉の積み重ねは、次第に人と接する勇気を削がらせ、俺は人と接するのは諦めていた。
そんな中、曙美さんと出会ったのだ。噂など気にせず、俺を個人として見て、普通に接してくれる。それがどれだけ救いだったか。
「こっちからすれば普通に生きてるだけなのに、勝手に期待されたり幻滅されたりした。それでも、曙美さんと君は違ったでしょ。俺が君の誘いを断っても、君は暴言を吐いたりしなかった。見るからに落胆していなかった。被害者面しなかった。流石曙美さんの友達だなって思ったよ」
『……何だろう、褒められたんだろうけれどマウントとられた気がする』
まあいいか、と彼女は小さく呟いてから真っ直ぐと笑みを見せた。
『嫌われてないのなら上々! それじゃあ、友達としてよろしくね』
類は友を呼ぶ、とはこういうことかもしれない。すぐ傍に居る曙美さんの事が頭に過って、小さく笑みを浮かべれば、何を笑っているのかと少し怒られたけれど。
何でもない事、そしてこちらこそお願いしたいと言えば、彼女は満足そうにうなずいた。
「そういえば、君たち二人はいつから仲良くなったの?」
俺達は偶々中学が一緒だったけれど、彼女は高校で出会ったはずだ。どういうタイミングで仲良くなったのかという疑問を問うてみれば、彼女は少し不満げな顔を浮かべた。
『なに? やっぱりマウントとりたいの?』
「違うよ! 単純に、君たちのことを知りたいだけだ」
確かに今の俺と曙美さんは前よりは仲良くなっているだろうけれど、友達としては御伽さんの方が期間は長いだろう。それに、どうやって仲良くなったのか、彼女が真剣に曙美さんと向き合えている理由も知りたかった。
じ、と彼女の目を見ていれば、彼女は少し遠くを見るように、昔を思い出すように斜めに目線を動かして、首の裏を掻いた。
『……入試に受かって、その後の制服採寸とかで学校に行った時かな。その時丁度目の前に曙美が居たの。誰とも話すそぶりも見せないし、少し不安そうだったし。少し暗い子だなとさえ思ってた』
「うん」
『だけど、合格祝に両親から貰った時計を私は落としてしまったの。大切な物だったから、どうしようって、まだ知り合いも友達もいないのにって、すっごい焦ったし泣きそうにもなった』
「そりゃあ焦るし泣きたくなるだろうね」
『そうしたら、曙美が話しかけてきたのよ。どうしたの? って、少し緊張しながら。きっと凄い怖かったと思うよ。きっと当時あの子が仲良くしていたようなタイプの人間じゃないもん、私』
確かに、クラスでは物静かで大人しい曙美さんと、明るくて誰とでも話せるような御伽さんという組み合わせは、最初は距離を測りかねて互いに少し疎遠しがちかもしれない。
『それで両親から貰った時計を落とした、って言ったの。知ってるでしょ? あの子、両親とも仲があまり良くない。当時は知らないから言えたし、今では彼女が少し戸惑ったのも知ってる。けれど、それだけ。知った今だから余計に尊敬する。私だったら嫉妬して見なかったフリをする』
自分とは真逆のような強そうで明るい相手が、自分ではあり得ないような物を無くして困っている。これがもし俺だったら、どうだろう。そもそも、声を掛けるのも出来なかったかもしれない。それでも、曙美さんは声を掛けたのだ。困っているから、と。
『そしたら、一緒に探そうって言ってくれて。先生とかに一緒に聞きに行ったり、制服を採寸した場所まで行ったり』
「行動力が凄いね」
『うん、あの子はそうなんだよ。なんでも、自分より相手なんだ。天秤を掛けた時に、自分の方に傾くことは、きっと無い』
そうだろう。彼女はそういう人だ。いつだって、自分より他人を優先する。他人の意見を真剣に聞き入れるから、いつだって自分を傷つける。
「だけど、その分、相手には一等優しく丁寧に接するんだよね」
『そう。結局、教室に落ちていたのを先生が拾っていて、良かったねって、自分の事のように喜んでくれて。本当に良い子なんだなって思って、仲良くなりたいなって思わせた。人たらしなところあるよね』
「そうだね。無自覚だけど」
『そう。だから、あの子との知り合い歴は私の方が短いけれど、私だってあの子が好き。優しいあの子につけ込んで、己の満足の為だけに利用するなら、許さない』
つけ込んで己の満足の為だけに利用する。一瞬、首元を絞められたかのように思えた。彼女の鋭い目つきで睨まれて、俺達は画面越しで壁があり触れる事が出来ないはずなのに、俺の首を確実に狙ってくるような、そんな殺気を一瞬感じてしまった。
思わず首元に指を添えるが、当然そこに手は回されておらず、彼女の気迫に気圧されているのだとすぐに分かった。
神の子だと言うのに、ただの人間である相手に気圧されるなんて、情けないにも程があると思われるだろう。だが、それほどまでに、目の前の彼女にとっても、曙美さんは大切な存在なのだ。
――希龍くんは私の話を聞いてくれるし、一緒にやってくれるし。とっても嬉しいんだ。私、一緒に課題をやるの、希龍くんで良かった。ありがとう。
初めて、俺自身と向き合って一緒に横に並んでくれた彼女。神様である故にとんでもない美貌を持っている父の遺伝子を継いだ俺は、幼少のころからどうも女運は悪かった。容姿が良いのなら俺の性格はどうでも良いと思われたり、俺をステータスにしたい人。性格は関係ないと言っておきながら、結局勝手に期待して幻滅する人。そんな人ばかりの中で出会った彼女は、正しく俺の救いだったと思う。それはきっと、俺が望んでいた「普通の優しさ」というものだったのかもしれない。
きっと世界を見渡せば、彼女のように普通の優しさをくれる人だっているはずだろう。俺がよく周りを知ろうともせず、閉じこもって、見ていなかっただけで。
けれど、彼女が良い。その理由は、きっと、明白で。
首元に添えた指を、そのまま少し撫でるように降ろしてから、小さく息を吸って、画面の向こうへ、真っ直ぐと目を向ける。
「俺も、好きだよ。だから、もし俺が踏み間違いそうになったら、止めてほしい……です」
小さく頭を下げれば、彼女からの返事がなくて、恐る恐る顔を上げて画面を見てみると、本日何度目かの呆けた表情をしていて、そしてすぐにけらけらと笑い声を零した。
『あはは! 私の杞憂だったかも! 大丈夫、私同担歓迎タイプだから。応援するし相談にも乗るよ』
「同担歓迎タイプ……?」
何のことを言っているんだと、今度はこっちが呆けた表情になるけれど、御伽さんは楽しそうにクフクフと笑うばかりで一向に解決しない。
小さく溜息を吐くと、小さく謝りながら、最後に一つだけと真剣な声と表情を見せてきた。
『曙美を大切にしなかったら怒る!』
「うん、肝に銘じておく」
『よし! じゃあもう一回曙美に変わって』
画面から目を離して曙美さんの方を見れば、このりさんと話をしながらタオルを目元に押し当てている所だった。
――きっと将来、お前を守り切ることはきっと出来なくなる。
このりさんのこの言葉。曙美さんは理解できていなかったようだけれど、俺からすれば少しばかり心当たりがある。
そもそも、竜と狐というのは、それぞれ授けるモノが違う。水に関するモノに豊作に関するモノ。そして、それぞれの神に愛された者は、天気にも影響が出ると言われている。竜に愛されると雨男や雨女、稲荷に愛されると晴れ男晴れ女、と言ったように、これらは最近ではネットでも知られている情報らしい。
俺は竜である父の愛があるからなのか、天気では雨に縁があり、よく雨男と言われているのを耳にした。それに反し稲荷のこのりさんに愛された曙美さんは太陽と相性が良かったようで、晴れ女だと聞いたことがある。あながち言い伝えも馬鹿に出来ないものだ。
そして、こうとも言われている。
晴れ女や男は、雨男や雨女と親密になると力を失う、とも。
それはつまり、俺が曙美さんと仲良くし続けていたら、このりさんが曙美さんから離れてしまう日が近づいてしまう、ということなのだろう。だから、彼はそれを危惧していた。
けれど、それはまだ分からない。まだ、俺達は友達なのだから。曙美さんが天秤にかけた時に、俺の方が軽ければ、このまま、彼が彼女の傍に居続ける事も、あるかもしれない。だからこそ、それは、まだ分からないのだ。
「曙美さん」
彼女の名を呼び、頬を掻きながらスマホを渡そうとすれば、彼女は少しだけ慌てたようなそぶりを見せた。
「だ、大丈夫?」
そういうところ、本当に優しくて、本人は自覚のない人たらしだ。小さく苦笑いが零れた。
「大丈夫。まあ、絞られたけど……」
「え?」
『人聞きが悪ーい! 友達の心配をしてるんですこっちはー!』
友達の心配という言葉に、思わず心がムズムズするのだろう。口元がにやけそうになるのを必死に堪えようとしているけれど、丸分かりだ。少しだけ恥ずかしそうにしているのを可愛らしく思いながら、小さく笑みを浮かべて、スマホを返した。
「素敵な子だね」
率直な感想だった。素敵な友人、とはこのことを言うのかもしれない。俺には、あまり縁の無かった存在。
「……うん」
だけれど、今ではこうして素敵な相手が目の前に居る。友人である御伽さんは、応援はしてくれると言っていたけれど……。
「俺も頑張らないとな」
「え?」
きっと、最大の壁にもなるのも彼女だろうと、俺は自然と察したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます