5:あなたを生かすためにいるんです

第13話

 サラマンダーのルーガンを加えた勤務体制になって、早十日ほど経つ。

 新しい生き甲斐を見つけたかのように生き生きと働くルーガンは、火のコントロールだけでなく魔族の知識にも長けていた。尋ねれば答えをくれるありがたい長老のおかげで、カウンセリングに掛かる時間が短縮した。

「バランスよく動くようになりましたね」

「うん。どっちの脚も元気よ」

 メンテナンスに現れたエンプーサのネリは、満足そうに青銅の脚を伸ばして見せた。

 あのあと施術に訪れたドワーフのボーに依頼して、機械油をゾノの店に卸してもらうようにした。エンプーサの新規客が増えることを見込んでだったが、今のところはまだネリだけだ。

「聖魔法も使わずに良くなるなんて、信じられない。こんな奇跡を与えられたら、あの方も惚れ込むはずね」

 付け加えられた一言に、カルテから視線を上げる。

「そんな顔しないで、大丈夫よ。ほんとはみんな、今は鈴に治して欲しくて仕方ないの。人間は憎くても、もう鈴は殺さないわ」

 ネリはいたずらっぽく笑いながら、私が特別なことを告げた。私だけ、か。

「じゃあ今日は左脚を中心に、お疲れを取る鍼を打ちましょうね」

 はあい、と答えるネリに苦笑して、腰を上げた。


 自分のメンテナンスも欠かさずしてはいるが、取り切れない疲労が蓄積しているのが分かる。今日はご飯を食べたらのんびり風呂に入って早く寝る、はずだった。

――先代様が、少し足を痛められたようです。

 部屋で迎えたシェイアの報告に、仕事道具を提げて先代の居室へ向かった。

 先代の施術は七日に一度ほど、定期的に続けている。魔族は人間に比べて、基本的なポテンシャルがかなり高いのだろう。落ちた筋力はさすがにリハビリが必要だったが、最近は杖なしでも歩けるまでに回復していた。目に見える効果に、少し根を詰めてしまったのかもしれない。

「ああ、鈴。仕事で疲れているところに悪いな」

 早足で向かった居室で、先代は状況に似つかわしくない笑みで迎えた。

 最近はすっかり顔色も良く、こけていた頬も張りを取り戻して目に光が戻っている。自罰的に伸ばしていた長い髭を剃り髪を整えれば、精悍で渋みを感じさせる整った顔立ちをしていた。

「いえ。どこがどのように痛みますか」

 ソファに腰を下ろす傍へ行き、長衣の足下にしゃがみ込む。

「右足の外側に、違和感と少し痛みがある」

 持ち上げられた右足を確かめると、確かに外側が少し腫れて熱を持っていた。捻挫か。

「夕刻、中庭を散歩していた時だ。杖は突いていたのだが、垣根の奥に咲いていた花を摘もうとしてな。摘んで体を戻す時に体勢を崩して、おかしな足の突き方をしてしまった」

「手で摘もうとなさったのですか」

 花を摘む程度、いつかのように指を鳴らせばすぐにできるだろう。見上げると、寂しげな笑みが応えた。

「少し、人間のようなことがしてみたくてな」

「ご無理はなさらないでください、お元気になられたばかりなのですから。鍼も打ちますが、しばらくは患部を冷やす必要があります。処置に必要な物を頼んできますね」

 腰を上げ、先代を見ないまま部屋の外へ向かう。

――先代様は、鈴様といらっしゃる時が一番お幸せそうです。

 シェイアが焚きつけてくるようなことはないが、「応援されている」のはもちろん分かる。あの日与えられた花冠は、枯れた今も手放せない。でも正直、どうすればいいのか分からない。先代は魔族で、私は人間だ。それに。

 陽太に残るこの、しこりのような感情はなんなのだろう。恋愛感情はもうないはずなのに、何かがしぶとく居座っている。未だ最期が思い出せないせいだろうか。思い出そうとすると、必ず。

――ごめん、やっぱり。

 頭痛の中で聞こえた声に、思わず足を止めて振り向く。でも先にあるのは、従者の背だけだ。こんなところに、陽太がいるわけはない。もしかして、今のが最期の言葉だったのだろうか。短く断続的に続く痛みに額をさすりながら、部屋の中へ戻った。

 捻挫には、気血の流れを良くしつつ痛みを取り除く鍼が必要となる。急性期の痛みには、私は手技より鍼を優先させていた。患部周辺のツボと併せて、離れたツボも刺激する。材料が集まり次第、鍼を抜いて冷湿布を当て、軽い固定だ。

「ひどいものではありませんが、しばらくは安静にしてください。足湯も右足は控えてくださいね」

「分かった。そなたには、世話になるばかりだな」

 鍼を打ち終えた私を招いて、先代は隣に座らせる。

「お支えするのが私の役目ですから。苦しみを前に、為す術があるのは幸せなことです」

「確かに、無力感ほど堪えるものはない」

 先代は穏やかな眼差しで相槌を打つ。傍にいるだけで温かく包み込まれるようなこの感覚は、ほかの誰かとは得られないものだ。比較するのは適さないが、陽太との付き合いは常に心配と不安がつきまとっていた。彼女としての好意は、世話を焼くうちに責任感へと形を変えた。悔いはないが、問題がなかったとは言えない。しかも、最後があれだ。あの台詞が「ごめん、やっぱり運転なんかやめれば良かった」なら、少しは救われるが。じわりとまた痛む頭から意識を逃し、届いた材料を迎えた。


「これでいいですね。明日の朝、様子を見に参ります」

 届けられた材料で冷湿布を作って貼りつけ、包帯で軽く固定する。

「おかげで、もう痛みは引いたようだ。感謝する」

 早速現れた鍼の効果と無事に終えられた役目に安堵して頭を下げ、踵を返す。鈴、と呼ぶ声に振り向くと、中途半端なところに留まる手があった。

「すまない、少し顔色が悪いように見えたのでな」

 膝の上へ戻った手に、苦笑する。私は施術を通してさんざん触れているが、先代に触れられたのはあの祝宴の夜だけだ。周りがどれほど邪推しようと、実際の私達はこんなものだ。そう簡単に越えられる壁ではない。

「大丈夫です。まだごはんを食べていないからでしょう」

「それはすまぬことをした。それなら、ここで食べて行けばよい。私も軽く何かをつまみたいのだ。付き合ってくれぬか」

 そう言われて拒めるほど、頑なにはなれない。私も、と何かを思い掛けた途端、くらりと世界が舞った。ああ、ダメだ。また、今度は悲痛に呼ぶ声がする。そんな声は出して欲しくなかったが既に世界は暗く、伝えようがなかった。

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