第12話
餌以上の価値はない、か。
未だ胸に居座る衝撃を確かめつつ、傷を撫でる。物理的な痛みはもうないが、胸の方はそうではない。人間にとっては裏切り者で、魔族には憎むべき存在。
一息つき、ベンチの上で膝を抱えて夜の庭を眺めた。確かにここは、静かに癒されるにはいい場所だ。植物は何も言わないし誰も、と思った瞬間、傍の茂みが分かれて魔王が姿を現す。向こうも驚いたがこちらも驚いて、思わず固まった。
「え、ちょっ、逃げなくても。私が帰りますから」
黙って踵を返した魔王を、慌てて呼び止める。魔王は以前のように制止する仕草で眉間を押さえながら、振り向いた。しまった、思わず普通に声を出してしまった。
「先に来ていたのはそなただろう」
「いいんです、もう十分ゆっくりしましたし。それに」
眉を顰め、嫌悪感を剥き出しにする険しい表情に視線を落とす。この世界で憎まれるのは、当たり前だ。だからと言って好かれればそれはそれで……面倒くさい話だ。
「ここは、あなた達の城ですから」
頭を下げて反対側の茂みへ向かおうとした私を、待て、と小さな声が追う。振り向くと、苦虫を噛み潰したような顔があった。
「私はこちらの端に座る。そなたはそちらの端に座れ」
私を見ないまま与えられた折衷案に驚きつつ、ベンチに腰を下ろした魔王を見つめる。魔王はガウンの腕を組み脚を組んで、私の視線を拾わないようにそっぽを向いた。痩せて尖った顎の線が際立つ。
断る理由をなくして反対側の端へ腰を下ろし、またぼんやりと庭を見つめる。さっきまで何を考えていたのか思い出せないまま、月明かりが生み出す幻想的な光景に浸った。
「……休まらんな」
「でしょうね」
やがて聞こえた溜め息交じりの感想に苦笑して、腰を上げる。居心地が悪いのに、我慢していたのだろう。人間が憎くても、私を切り離して考えようとしてくれている。
「部屋に戻ります。お心遣い、ありがとうございました」
耳障りでない音量で礼を言い、城内へ向かう。心なしか凪いでいた胸に感謝して、部屋に戻った。
翌日最初の新規客は、エンプーサだった。あの気が弱そうな、群れの最後で脚を引きずっていた彼女だ。
「お前が代表して、施術を受けて来いって」
泣きそうな表情で怯えたように話すネリは、私の報復を恐れているのかもしれない。目には目を、がポリシーなら、そういうことにもなるだろう。
「気になるところを教えてください」
「右脚がうまく動かなくて……左脚も、とても疲れやすいの」
歩く様子を見ても、それは明らかだった。動きの悪い青銅の右脚を引きずっているせいで左脚に負担が掛かっているのだろう。
「分かりました。少し脚を見せてくださいね」
カルテを置いて手を伸ばすと、ネリはびくりとする。
「大丈夫ですよ。昨日の件はともかく、施術が必要な相手にやり返すような真似はしません」
そんな、自ら技を汚すような行為は絶対にしない。ネリは私をじっと見据えたあと、覚悟を決めたかのようにまずは左脚を差し出した。
ひととおり確かめた結果、やはり大本の原因は動きが鈍い青銅の右脚だった。それを庇うように左脚を使っているせいでバランスが崩れ、疲労などの症状が起きていたのだ。
「左脚に鍼を打ちたいのですが、不安なら無理強いはしません。右脚の施術のみにしますか? 右脚には鍼は打ちません」
鍼を見せて尋ねた私に、ネリは控えめに頷く。凶器を持った人間を信用できないのを、責めるつもりはない。
「分かりました。じゃあ、少し待っていてくださいね」
ネリを残し、一旦デスクを離れて店舗の方へ向かう。
「ゾノさん、油って何を置いてます?」
「オリーブだな」
「じゃあ、それを」
「焼いて食うのか」
無言で見つめ返した私に冗談だと鼻で笑い、ゾノは棚にあるオリーブオイルの樽へ向かった。
施術、というより整備前には不安そうだったネリの表情は、油を差し終え馴染ませていく内に笑顔へと変わっていた。
「すごい、こんなちゃんと動くようになるなんて」
「金属と同じメンテナンスなので抵抗はあるかもしれませんが、油を差すとこれだけ動きが良くなるんです」
酸化することを考えれば機械油の方がいいだろうから、今度ボーが来たら尋ねてみるか。
「抵抗なんてそんな、すごく嬉しいわ! どんどん動けなくなっていくのが怖くて……本当につらかったから」
屈託のない晴れやかな笑みに、反省が湧く。確かに、本当に困っていればこんなこだわりなんて些細なことだろう。
「あの……今からでも、左脚もしてもらえる?」
「はい、もちろんです」
寄せられた信頼に安堵し、一旦ブースを出る。
「フィラさん、ネリさんの施術をしますから、入っててください」
「へえ、するんだ」
ゾノと歓談中のフィラを呼ぶと、驚きつつもブースへ向かう。
「信用されたみたいだな」
「はい。今のは整備だったので、鍼灸師として信用してもらうのはここからですけどね」
それでも、体を任せてもらえるだけの信用は得た。あの晴れ晴れしい表情をまた見られるように、ここからが本番だ。
デスクから鍼の箱を抱え、ネリの元へと急いだ。
両脚の施術を終えて軽やかな動きを手に入れたネリは、晴れ晴れとした笑顔で跳ねるように帰って行った。
――ありがとう、鈴。
来た時の怯えた様子はすっかり消えていたから、次は笑顔でやって来るだろう。
私もネリのおかげで、思い出したことがある。
別にエンプーサ全員に、魔族全てに認められなくてもいいのだ。私の施術を受けてくれた人達が笑顔で帰って、また頼ってくれたらそれだけで。世界が変わって対象が変わったって、求めるものまで変える必要はない。
無事に一日を終えて閉店準備をしていると、小さな魔物専用のくぐり戸が開いてサラマンダーのルーガンが姿を現す。スカウトの結果を伝えに来たのだろう。ただその表情を見れば、答えは尋ねなくても分かる。
「明日から、世話になりたい」
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
どことなく誇らしげに見える笑みに、感謝が湧く。しゃがみこんで差し出した私の手に、ルーガンは小さくひんやりとした手を乗せて応えた。
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