第11話
店が予想外の団体客を迎えたのは、二日後の午後だった。
「鈴、面倒な奴らが来た」
施術ブースのカーテンを少しめくり、ゾノが報告する。まあ報告を受けなくても、賑やかな声と音はここまで届いている。
「あの音は、エンプーサ共だな。姦しい奴らだ」
傍らで目元にナガケムシの鍼を刺したドワーフのボーが、目を閉じたままぼそりと言う。ドワーフはずんぐりむっくりの小人で、魔石の採掘や金属加工に従事するプロ集団だ。ボーの主訴は目のかすみやピントずれのいわゆる眼精疲労、工芸品の細工部分を担当しているがゆえの職業病だ。ほかに指の腱鞘炎も訴えたが、腕や肩の凝りもかなりきつい。今日は二回目で、すっかり腫れの引いた指を見せてくれた。
「分かりました。もう少し待っててもらってください」
対処を伝えると、ゾノは頷いて戻って行った。
エンプーサは青銅の右脚とロバの左脚を持つ女の魔物だ。人間領の近くに巣を作り、人間の男を誘惑しては食い殺していると聞く。それほど人間の傍に住んでいるのに、傍に住んでいるからなのか、人間嫌いらしい。会いに来たのは、快気祝いの宴で持ち上げられていた私に思うところがあったからだろう。
「フィラさん、体の鍼にだけ十秒お願いします」
「了解、体に十秒ね」
鍼を打ち終えた私に代わり、傍に控えていたフィラが椅子に移る。角度を定め、ボーに刺した鍼を目掛けて、十秒間狩りの声を浴びせた。電気鍼の役割にもすっかり慣れて、今や施術に欠かせない存在だ。予想どおり食事のおかげで悪臭も減り、吹き出物まみれだった鼻がきれいになって本人も喜んでいる。
「じゃあ、ボーさん。少し休んでいてくださいね。眠っていてもいいですから。何かあれば呼んでください」
ああ、と答えた眠たげな声に頷き、フィラと共にブースを出る。相変わらずの賑々しさに対峙するため、エンプーサ達の元へ向かった。
「お待たせしました」
「やっと来たわ、遅いじゃない」
現れた私を、エンプーサ達は待ち兼ねていたように取り囲む。十人くらいか、がちゃがちゃと音を立てる青銅の脚はどれも
「施術をご希望ですか?」
「違うわ。あの方に『お気に入り』ができたって聞いて、見に来たのよ」
「まさか人間のこんなひ弱な女なんて。腹の足しにもならないわ。どこが良かったの」
エンプーサ達は私を侮蔑するように見下ろし、美しい顔を歪めて苛立ったように言う。予想していなかったわけではない。でも私が居室へ通い続けているのは、施術のためだ。
「誤解されているようですが、私はただの」
「そんな言い逃れが通用すると思ってるの?」
逃げ足を封じる鋭い声を投げ、一人のエンプーサが指先で私の胸を突く。今にも殺しそうな視線に、全身から汗が噴き出すのが分かった。
「お前ら、いい加減にしろ」
「うるさいね、ゾノ。お前も許されてると思ったら大間違いだよ。人間達にどれだけエンプーサが殺されてきたか」
口を挟んだゾノに荒く言い返し、動けない私を間近で見据える。
「人間に、餌以上の価値はないの。よく覚えておきなさい」
凍てつくような声で言い、ゆっくりと離れて行った。
すっかり怯えた私の姿に溜飲を下げた様子で、彼女らは次々に店をあとにする。最後に遅れて、気の弱そうな一人が右脚を引きずりながら出て行った。
「鈴、血が」
ゾノの声に気づくと、施術着の胸に血が滲みていた。でも、この程度で済んで良かったと言うべきだろう。
「大丈夫です。このことは、先代様には秘密に」
恐怖から解放されたばかりの胸は、まだ落ち着かない。
――お前は人間でありながら、敵に加担し同胞を殺す手助けをするのか! 裏切り者め、恥を知れ。下衆が!
自ずと思い出される言葉を胸に押し込め、着替えに向かう。汗と血で汚れた服を脱ぎ、傷を止血した。
着替えて戻ると、ボーの鍼を抜くのにちょうど良い時間になっていた。
「すみません、騒がしくしてしまって」
鍼を抜きつつ詫びると、ボーは、いや、と少し
「ドワーフも、先の戦では多くの同胞を亡くした」
切り出された話に、揺らいだ指を止める。落ち着けるように息を吐き、改めて抜いていく。
「ただ、同じように多くの人間を殺した。わしは、殺すための道具もたくさん作ったしな。人間が我らの親や子を殺したように、わしらも誰かの親であり子を殺した。戦争とは、争いとはそういうもんだ」
全てを抜き終えるとボーはゆっくりと体を起こし、目をぱちぱちさせて頷く。
「目も開きやすいし、景色もきれいに見えるよ。ありがとう、鈴」
満足気に白ひげを撫でながら、穏やかに笑む。泣きそうになって唇を噛み、こくりと頷いた。
今日最後の客は、ルーガンと名乗る年老いたサラマンダーだった。トカゲを少し大きくしたほどの大きさで、赤い体と尻尾を持っている。黒々とした目は離れて、愛嬌のある顔をしていた。
「思うように、火が吹けないんだ。昔は一吹きすればありとあらゆるものを燃やし尽くせていたものだが、今は残りカスのような火しか出ん」
ルーガンは溜め息交じりに症状を訴え、座面にぺたりと顔を下ろす。老化で、筋肉が衰えているのかもしれない。
「あなたは、どのような症状も治せると聞いている。以前のように、火が吹けるようにしてもらえないだろうか」
「どのような症状でも、とはいきませんが、みてみましょう」
カルテを置いて、失礼します、と椅子を寄せる。
残りカスのような火か。
一瞬湧いたアイデアを押しやり、まずは爬虫類の脈拍を探すところから始めることにした。
ひととおり確かめて出した結論は、やはり「老化」だった。
「大きな問題はありませんが、お年を召したことで肺の機能や全身の筋力が衰えていますね。そのため火種に対して十分な空気を送り出せず、大きな火にならないのでしょう。みなさん、お年を召したらこのようになられるのでは?」
「ああ、そうだ。皆、種火のような火をぽっぽっと吹くばかり。なんの勇ましさもない。老いたらおしまいだ、なんの役にも立たん。その辺のトカゲと同じだ」
ルーガンは気落ちした様子で答え、深い溜め息をつく。かつての勇ましい姿と比べて、落ち込んでしまうのだろう。加齢による機能低下や役割を失う不安は、高齢うつに繋がる原因とも言われている。
「指定された範囲に小さく火を吹くのって、できますか? たとえば私の背中の辺りだけ、とか」
翻って背中を見せた私に、ルーガンは、ああ、と頷く。
「その程度なら、今でも造作もない。針の先に当てることだってできよう」
手応えのある返答に意を得て、取り出したもぐさを丸め、手のツボに置いた。ひとまずの分は、店にあった乾燥マヨモギをもらって作成した自家製だ。量産は、施術と引き換えにアラクネ達が担当してくれることになった。
「このもぐさの先にだけ、火を点けてみてもらえますか」
頼んだ私に、ルーガンは口を少しだけ開く。バーナーのように細長く火を吹いて、もぐさの先だけを黒く燃やした。完璧なコントロールだ。これなら灸も、鍼の上に灸を据える
「ルーガンさん。あなたに必要なのは老化に逆らうことではなく、その力を必要とされる場で働くことではないでしょうか」
「それは、もちろんそうだ。必要とされぬほど、身に堪えることはない」
再び深い溜め息とともに吐き出された思いは、ここで解消できるかもしれないものだった。
「では、うちで働いてみませんか? おかげさまで忙しくしているので、手が足りません。ここで先程のように、お灸に火をつける仕事をしていただけませんか。最適な範囲に最適な火を提供していただきたいんです」
ルーガンは、呆気にとられたように私を見る。施術に来てスカウトされるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「もちろん、すぐにとは言いません。でもこの院には、あなたの力が必要です」
「そうだな、明日まで時間が欲しい。私にとってはこの上なくありがたい申し出だが、即答できる話ではないのでな」
少し寂しげに見えた表情が、昼の一幕を引き寄せそうになる。
「では、今日はお疲れを和らげる施術をしましょう。どうぞ、こちらへ」
振り払うようにカルテを掴み、ルーガンを施術ブースへと促す。逃げなくては、飲まれてしまう。逃げ続けなければ。胸に湧く焦燥感と動悸、噴き出す汗を置き去りにして、施術に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます