4:人間に、餌以上の価値はないの

第10話

 先代の快気祝いは萌芽期三月目も終わりに近づく頃、城の大広間で華やかに行われた。多種多様な魔族達の代表や城内で働く者達が一同に集まり、共に先代の回復を祝う。まあ一同とはいえやはり魔王の姿はないが、仕方のないことだ。気になる声は聞こえたものの、魔王だって好きで姿を見せないわけではない。先代の回復が機会になればと願っているが、未だ歩み寄れそうな気配はなかった。

 鈴、と呼ぶ声に振り向くと、従者に車椅子を押された先代だった。もしかして、探したのか。大広間からこの中庭までは、それなりに距離がある。

「ここからは、私が押します」

 従者に伝えると、あっさりと引き下がって行った。

「宴は肌に合わぬか」

「そうではありませんが、褒めそやされるのは好きではないのです。私はすべきことをしただけですから。あのままあそこにいたら、英雄のようになってしまいそうで」

 アラクネ族特製ドレスの前を少したくし上げ、車椅子へ向かう。あの設計図は立派なものではなかったが、翌日にはもう試作品が届けられていた。皆がそれだけ喜び、祝っている。

「先代様こそ、主役が抜けて来られて良かったのですか」

「挨拶さえ済ませれば、あとは私がいなくても好き勝手にやる。寧ろ、いない方が羽を伸ばせて良いくらいだろう」

 ふふ、と笑う表情に鷹揚な王の姿を見る。確かに正装を纏い大広間の上座で挨拶をする姿は、古樹のような貫禄を感じさせた。いるだけで圧を感じてしまう者達がいてもおかしくはないだろう。でも私はそのことより、見る度に合う視線の方が気になっていた。

「ここは、夜も美しいのですね」

 空調が魔力で制御されている城内では、緑が生い茂り季節の花々が咲き乱れる。この中庭も、あちらの世界と変わらない新緑と花々が美しい姿を見せていた。

「ああ。月明かりを浴びて、幻想的な美しさだ。日中の瑞々しい色も良いが、私は季節によっては少し圧倒される時があってな。その点、夜の庭は良い。いつも安らぎを与えてくれる」

 車椅子を押しつつ、どことなく寂しげな声に凛々しい角を見る。

――奥様は魔王様をご出産なさったあと、お亡くなりになりました。以来、ずっとお一人なのです。仲睦まじかったためとも聞きますが、魔王様が恙なく即位なされるようにご配慮なさったとの話もあります。

 精魂込めて作ったこのドレスを私に着付けながら、シェイアは五百年前の話をした。先代の妻はエンプーサ族で、城で働いていたところを見初められたらしい。

「多くの者に慕われるのは、幸いなことだ。だが一方で、胸の内に孤独を積む。慕われるがゆえに、口にできぬことが増えていくからな」

 切り出した先代の言葉が、胸の内を見透かすようでどきりとする。施術を重ねるほどに知るのは、屈強な体つきと深い懐だけではない。私達は、あまりに分かち合いすぎてしまったのかもしれない。

「この庭が私にとってそうであるように、そなたにも救いであることを願っている。ただ、植物は物を言わぬのでな。まあこの領には口のついた植物もいるが」

 軽口を利く先代に、応えて笑う。そのとおり、院にも食人木の来客があった。まるで鞭か蔓のように無数の枝をしならせながら、一番よく使う枝が痛いのだと牙の並んだ口を歪めながら訴えた。確かめた結果は使い過ぎによる腱鞘炎で、四苦八苦しながら樹皮にツボを探して除痛の鍼を打った。ひとまず痛みは和らいだが、忘れてつい使ってしまうのを防ぐために、鎮痛効果のある薬草の湿布を作り包帯で巻きつけて帰したところだ。

「鈴、前へ」

 先代は私を呼んだあと、何かを唱えて指を鳴らす。庭が僅かにざわめいて、薄闇の中で幻想的に光る白い花が吸い寄せられるように集まった。それは見る間に花冠を作り、先代の手元に下りる。

「欲しいものを尋ねたところで、そなたは金も宝石も地位も望まぬだろう。望まぬものを贈るのは、性に合わぬのでな。だが一つくらいは、我が傲慢さを見逃して欲しい」

 花冠を両手に持ち差し出した先代に、腰を屈めて頭を差し出す。今日は一際豪奢になったレース飾りの上に、そっと花冠が載った。

 おずおずと顔を上げると、ぼんやりと照らされた柔和な眼差しがある。まるで、とても大切なものを眺めるかのような視線だった。

「この花は一夜しか咲かぬ。これくらいなら、重荷にはならぬだろう」

「先代様」

 繊細な気遣いはどこか悲痛で、じっと見返す。

「望みすぎてはならぬとは、弁えている。そなたを苦しめたいわけではないのだ」

 ふと翳を帯びた表情に、何も言えなくなって俯く。温かい指先が、掠めるように頬を撫でた。

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