第9話

「それで、ハーピーを雇うことにしたのか」

「はい、とてもよく働いてくれています」

 予定どおり訪れた先代の居室で、今日は手技で筋肉を緩めていく。二日ぶりに会った先代は顔色も良く、よく眠れたと嬉しそうに言った。

「人間達は、あれを悪魔の鳥と呼んで嫌っている。悪食で悪臭を放つからだろう」

「そうですね。でも今は、報酬として健康的な食事とゾノさん特製のブレントハーブを食べてもらっているんです。胃腸の調子が良くなれば、あの臭いは軽くなるはずです。食べるもので、変えられるものもありますから。では、また仰向けになってください」

 体を一通りほぐし終えて汗を拭い、再び頭の先に座る。確かめた首の筋肉は、ほどよく柔らかくなっていた。

「では、首の骨を動かしていきますね」

 断りを入れて首に触れ、指先で頸椎の動きを確かめていく。動かないことはなさそうだが、相変わらず七番はロックがかかったかのように固い。ほぐしても奥に残る強張りは、筋肉の問題ではないだろう。残る要因は多分、器質的なものではない。

「無礼な質問を、お許しください。『十年戦争』を、悔いていらっしゃいますか」

 大きく捻れたままの七番を確かめたあと、控えめに踏み込む。

「悔いぬ理由などなかろう。息子を十年も救い出せず、多くの同胞を犠牲にし、果てには最後まで戦場に立つことすらできず、このような姿で生き恥を晒しておる」

「生き恥などと仰っては、皆が泣いてしまいます。ただ誰にも責められず罰されもしないのは、おつらいだろうとも思います。許していても、まるで責めることなく『許す』と言うのが本当に相手を救うのかと、私は今思っているところです」

 骨同士を繋ぐ椎間板ついかんばんを伸ばして頸椎を動かしやすくするため、頭の下に膝を挟み高さを調整する。私の手技はボキボキと鳴らすようなものではなく、呼吸を利用して最小限の力で緩めていくものだ。あちらの世界では私の腹で頭を受け止めていたが、先代の頭はさすがに重い。

「私が命を落としたのは、恋人の運転する乗り物にはねられたためです。運転する時に気が大きくなりやすい人で、注意するよう話していたのに聞き入れてもらえなくて」

「そうであったか。それは、つらい思いをしたな」

 滑り落ちるように零れた事実を、先代は控えめな声で慮る。深いところに触れられるようで、少し妙な心地がした。

「はい。でも今はこうして、次の生を始めています。あちらに心残りがないわけではありませんが、少しずつ薄らぎつつあるんです。彼に『だから言ったでしょ』と恨み言をぶつけたい気持ちも、今はもう。早い話が、許しているんです」

 元々、興味が移ればそちらに熱中してしまう子供っぽいところがあるからだろう。ただそれだけではなく、不思議な作用が働いているような気がする。私をここへ呼んだ力が、忘れさせようとしているのかもしれない。

「ただ、もしあちらと道が繋がって彼と会ったとしたら、何を言うべきかと悩みます。『もう許してるよ』は、彼を救うのかと。もし逆の立場なら、私は余計に苦しくなりますから。先代様なら、どんな言葉を掛けられますか」

「そうだな。決して忘れるな、死ぬまで背負い続けろと言うだろう」

 少しの間を置いて、先代は厳しく重い言葉を選んだ。

「私も、忘れて欲しくはないですね。事故を起こすような運転をした事実を、許したわけでは」

 最後の場面を思い出そうとした途端、頭に走る痛みに額を押さえる。これで何度目か、まるで何かに阻まれているかのようだ。

「大丈夫か」

「はい。実はまだ、死に際の記憶が全て戻っていなくて。思い出そうとすると頭が痛むんです。囚われるなという忠告なのかもしれません」

 思い出せば、あちらに引きずられてしまうのだろう。戻れないのなら、未練は少ない方がいい。生きて行くためには、悔いの形を変える必要がある。

「先代様が仰った先程のお言葉を、この城の方達に代わって私が先代様にお伝えするのはどうでしょうか」

「そなたが、そこまで背負う必要はない」

「私は、そうは思いません。あなたが癒えれば、あなたを慕い回復を願い続ける多くの心が救われます。それは、治療家である私の本懐です」

 見下ろした先で先代は薄く目を開き、また閉じた。ふと、何かが胸に灯るのを感じる。私は、この人の傍に。

「償いを望まれるのであれば、生きなければできない償いをお選びください。私はそれをお支えするために、ここにいます」

 応えるように緩んだ首の筋肉に頷く。重い頭を少し右へ倒すように傾けて、改めて七番にコンタクトする。

「……世話になる、鈴」

 落ち着いた声のあと、先代は長い息を吐く。合わせて力を入れた指先に、あれほど固かった七番が滑らかに動いた。


 翌朝、先代は約五十年ぶりに目眩なく起き上がることができたらしい。

「これで、問題の一つが片付いたな」

「今日はもう、みんながその話してるわ」

 店の三人で遅めの昼食をとりつつ、改めて先代の回復を祝う。

「本当に大変なのはこれからですけどね。五十年間寝たきりだった体を回復させるのは、簡単なことではありません。しばらくの間、移動は車椅子です」

 礼を言う側近達には、予め準備しておいた車椅子の設計図を渡しておいた。金属加工技術はあるようだしチャリオットも作られているのだ。「移動する椅子」程度なら、問題なく製作できるだろう。

「最難関は相変わらず居座ってるが、先代の回復した姿を見れば思うこともあるだろう。先代も話をするだろうしな」

「そうですね。ただ、『信用して』は口で言うより行動で示す方が証拠になります。ここで淡々と施術を続ければ、いつか届く日が来るかもしれません」

 十年の間に何があったのか、人間達は魔王に何をしたのか。シェイアは先代も知っているかは分からないと言っていた。たとえ違う世界から来たとしても、同じ人間である私をそう簡単に信用できるわけがないだろう。しかも、体を預けるなんて。私にできるのは、実績を積んで無言の説得力をつけることだけだ。

「あんた、ほんと堅気だな。もうちょっと遊ばないと、施術着がどんどん派手になってくぞ」

 ゾノは鼻で笑いつつ、スープを掬う。野菜と薬草を煮込んだ一品は、ゾノ特製のまかないだ。ゾノの店もうちも、支払いを現物でも受け入れているせいでいろいろなものが着々と溜まっていく。ゾノはこうして消費する一方、店先でそれを転売する商いも行っていた。

「施術の妨げにならないなら、問題ないんですけどね」

 アラクネ族特製の今日の施術着は、襟ぐりと袖口にレースがあしらわれたVネックのスクラブと、裾にフリルが縫いつけられたパンツだ。私はシンプルな施術着でいいのだが、最近ドレスを着ていないこともあって物足りないらしい。シェイアは今朝、先代の快気祝いに着るドレスを作ると言っていた。止められなかった。

 おいしかったあ、と明るいフィラの声が響いた時、店のドアが開く。午後の診察には早い客は、兵士の格好をしたウェアウルフのゴタだった。予約はなかったはずだが、何かあったのだろうか。

「鈴様、急ぎ城までおいでいただけますか。王がお呼びです」

 用件を聞く前に切り出したゴタに頷き、残り少なくなったスープを飲み干して腰を上げた。

「施術の用意は必要ですか?」

「いえ、不要です」

「なんだ、癒やされる覚悟ができたんじゃないのか」

「残念ながら別件です」

 苦笑するゴタも、それを望んでいるのだろう。先代と同じく善き王として慕われているのは確かだ。

 手早く支度を終えて、ゴタと共に城内へ戻る。今日も魔王は謁見室ではなく執務室にいて、私を一瞥して仕事の手を止めた。

「お呼びでしょうか」

「ああ。密偵を捕まえたら、エレイ……将軍の配下にいる者だった。そなたの様子を探りに来たようだ。我らが何を言っても信用せぬから、そなたが追い払うなり共に帰るなり好きにしろ。以上だ」

 今日も具合悪そうに、細い声で用件を伝える。見る限り、先代と魔王の角の大きさにはそれほど違いがない。施術を拒むのは構わないが、それならこう、Y字の支えみたいなものに角を預けて仕事するのは無理だろうか。

「なんだ」

「いえ、なんでもありません」

 不機嫌そうな視線と顰めた眉に、頭を下げて部屋をあとにする。一瞬想像したらかわいかった、なんてとても言えない。

「鈴様は、これからも魔族領にいらっしゃいますよね?」

 少し不安げに尋ねる、隣のゴタを見上げる。目の上にある長めの毛は眉毛のような毛並みで、いつも困ったように見えるところが私と似ていた。

「そうですね。あちらに私の居場所は……ないわけではないでしょうが」

 だからこそ、エレは密偵を送り込んできたのだろう。拐われたと思っているのなら、きちんと説明して帰す必要がある。

 通された部屋で、密偵は兵士達に囲まれて大人しくしていた。

「お待たせしました。将軍の配下の方ですね」

「将軍が、御身を案じていらっしゃいます。どうか将軍の元へ戻られますように」

 手首を拘束されたまま、密偵は片膝を突いて頭を下げる。恭しい態度は、エレが求めたものだろう。

「ごめんなさい、それはできません。私は、この髪と瞳を隠して暮らしたくないんです。それに、もうここで仕事を始めています。多くの方が、私の施術を必要とされていますから」

「……まさか、魔族の治療を? 前魔王が回復したというのは、まさか」

「私がしたことです」

 困惑を浮かべる密偵に返すと、表情はすぐ怒りに変わった。

「なんということを、お前はそれでも人間か!」

 拘束されたまま食ってかかろうとする密偵を、兵士達が慌てて押し留める。

「先の戦争で我らの同胞が、家族が、子供達がどれだけ犠牲になったと思っている。魔族がこれまでどれだけ我らの血を啜り肉を貪り、命を奪ってきたと思っているのだ!」

 収まらない憤りをぶつけ、私を睨みつけて憎しみを露わにした。

「お前は人間でありながら、敵に加担し同胞を殺す手助けをするのか! 裏切り者め、恥を知れ。下衆が!」

「我らが救いにあまりの侮辱、最早聞き捨てならん」

「ダメです!」

 密偵の言葉に触発されて牙を向いたゴタ達を、慌てて引き止める。ここで争えば、悲惨な未来しか訪れない。

「犠牲を出せば、また遺恨が生まれてしまいます」

「しかし、鈴様」

 いいから、と宥めた私にしょげて尻尾を垂らす姿に苦笑して、押さえ込まれた密偵に向き合う。

「理解してくれとは言いませんが、目の前に苦しむ誰かがいれば人間だろうと魔物だろうと力を尽くすのが治療家です。エレには、私より相応しい人がいると伝えてください。あなたのところに戻ることはないと」

 一息つき、ゴタ達に密偵を帰すよう伝えて先に送り出す。扉を閉めればここも、何も聞こえなくなる部屋だ。崩れ落ちるようにしゃがみ込み、膝の隙間に震える息を吐く。

 私は、間違ったことはしていない。でも密偵の言葉が間違っているわけでもないだろう。矜恃を貫くために、私は同胞に裏切り者と呼ばれる道を選んだのだ。

「裏切り者、か」

 ぽそりと呟くと、目頭が熱くなる。小さくなって膝を抱き、胸の痛みが収まるのを待った。

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