第8話
施術を終えた先代は、眠たげにあくびをかみ殺す。施術中は眠っていたから、安らげたのだろう。
鍼の効果を持続させるため、最後に
向こうの世界では専用鍼を利用していたものの、ここはそうはいかない。ゾノの力を借りてキラービーの針を切断し、体内に入り込まないように
「あとで薬湯をお持ちしますので、お飲みください。だるさは回復の印なので、ゆっくりお休みになってくださいね。あとは、アラクネさん達に頼んでおきますので」
半身浴は難しいが、足湯なら少し下へずれてもらえれば寝たままでもできるだろう。
「体が芯から温もって、とても心地よい。ずっと眠りが浅かったが、久しぶりによく眠れそうだ。感謝する」
リラックスした表情に安堵する。私も、こんなにゆったりと施術をしたのはいつぶりか。客にはしたことのない話まで打ち明けてしまった。
「良かったです。次は手技を行いますので、明後日まいりますね。何かありましたら、ご連絡ください」
頷く先代を確かめて荷物をまとめ、部屋を出る。待ち構えていたお世話係のアラクネ達に足湯の説明をしてあとを託し、柔らかな絨毯を踏みつつ城外へ向かった。
店に戻ると、今日の客が押し寄せていた。院を開いてまだ三日だが、噂を聞いてあちこちから集まってきたらしい。良くも悪くも、「異世界の人間」と「治療魔法に代わる技術」は興味を引くのだろう。
今日最初の客は、ハーピーのフィラだった。ハーピーは鳥と女性が合体した魔物で、頭から胸の辺りまでは女性だが腕や下半身は鳥だ。鳥と言っても私と変わらない、百六十センチくらいの体長がある。
「最近、こっちの羽の動きが悪いのよ。無理して飛んでるせいで、夜に疼くようになっちゃって」
「左の羽ですね。いつからですか? 何か心当たりはあります?」
「休眠期の頃からね。多分餌を取り合ってケンカしたせいだわ。あたしの餌なのに、横取りしようとするのよ」
口を尖らせ腹立たしそうに話しながら、フィラは肩を竦めるように羽を動かす。途端、なんとも言えない悪臭が立つ。干されているゾノの薬草を持ってしても中和できない、腐ったような臭いだ。
「分かりました。じゃあ、最初に脈を見せてください。脚の付け根に触れますね」
断りを入れて、灰色の羽毛に覆われた脚の付け根に脈を探る。とくとくと打つ流れを見つけて、早速脈を探った。動物は体格で心拍数が違い、小さいほど速くなる。基本的には人間と大きさを比較して基準を定めていくしかないが、今はまだ手探りだ。
人間の正常値は一分間に六十~九十程度、頭の中で一分間を終えて数えたハーピーの脈拍は九十だった。私とそう変わらない体格と考えれば、正常だがやや速い気がする。間隔は一定だが、少し揺れていた。
「消化不良や胃もたれはありませんか?」
「えー、分かんない」
「ハーピーは悪食で貪食だからな。残飯でも腐肉でも食うから、腹は良くないだろう」
薬草を取りに現れたゾノが、ハーピーの生態をアドバイスする。なるほどそれなら、胃腸が問題を抱えても仕方ない。
「だっていつもお腹空いてるんだもの。戦争をしてた頃は人も山ほど食べられたけど、近頃は見つけたら奪い合いよ」
人を、食べるのか。一瞬ぞっとした私の恐れを見透かすように、フィラはにたりと笑う。鳥のように小さな目に、吹き出物まみれのでっぷりとした大きな鼻。決して美しいとは言えない造作が奇妙に歪んだ。
「鈴も、すごくいい匂いがする」
「やめとけ、先代のお抱えだぞ」
ゾノは呆れたように投げたあと、薬草を抱えて衝立の向こうへと消える。
「じゃあ、ちょっと羽を見せてくださいね」
腰を上げ、羽の骨格と痛みの箇所を探っていく。肩を竦める動きや疼きの訴えで予想はできていたが、フィラは羽ではなく肩関節に、いわゆる「四十肩」「五十肩」と呼ばれる炎症を起こしていた。フィラは二百四十歳だから「二百四十肩」か。
それはともかく、起きた時期から考えても今はまだ炎症期だろう。この時期は痛む動きは極力避け、患部にも直接触らない。施術の目的も除痛だ。患部に触るのは、痛みが引いて固まり始めてからとなる。この世界の暦なら、あと半年ほど先か。
「でも、飛べなかったら困るんだけど」
状態の説明をした私に、フィラは不満げに答える。確かに、鳥に飛ぶなと言うのは無理があるだろう。
「巣で大人しくして、仲間に餌を取ってきてもらうのは」
「できるわけないじゃない! あたしが取ってきたのすら奪おうとするんだから。そんないつまでも痛かったら困るの。治してよ」
予想どおりの反応を返して、ふてぶてしい表情をした。そうはいっても、今患部に触れば余計に酷くなってしまう。
「施術とゾノさんの薬で、痛みは和らぎます。ただ、動かせば炎症はひどくなってしまいますので……そうですね、フィラさんの特技はなんですか」
「食べることね。生きてるものから死んだものまで、好き嫌いなく食べられるわ」
「獲物は、どうやって仕留めるんですか」
「狩りの声で啼くのよ。人間なんか、すぐに立っていられなくなるんだから」
狩りの声、か。
「煩くてうずくまるんですか? それとも、恐怖で震えて?」
「狩りの声は煩くなんかないわ。痺れさせて、動けなくするの」
超音波のようなものだろうか。これは、いい特技を発見したかもしれない。
「すごいですね。それの、範囲を絞り込むことはできますか? 例えば、この手のひらだけとか」
「できるわよ。広いほど弱く、絞り込むほど強くなるの」
自慢げに返すフィラに頷き、傍らから取り出した鍼を手のツボに刺す。
「試しに、この鍼を目掛けて手にだけ当たるように啼いてみてもらえませんか」
「いいけど。これと肩が痛いの、何か関係あるの?」
「これが肩の痛みをとるわけではありませんが、関係はあります」
訝しげに窺う表情に笑みで答えると、フィラは頷いて少し体を起こす。大きく口を開き、鍼目掛けて啼いた。わずかに聞こえる音は、モスキート音のような高周波だ。そして狙いどおり鍼は震えて、理想に近い刺激をツボに与えた。「痺れさせて動けなくする」効果で、啼き終えたあとも微細な振動は続いている。電気鍼ならぬ、ハーピー鍼だ。納得の感触に頷き、フィラを見た。
「フィラさん。肩が良くなるまで、うちで働きませんか。毎回お腹いっぱいとはいきませんが、ごはんはこちらが提供しますから」
「それなら働くわ!」
内容も聞かないまま、フィラは甲高い声で即答する。
「では詳しくは、施術をしながらお話しましょうか。痛みを取り除く鍼を打ちますね」
まだ振動を続ける鍼に感心しつつ引き抜いて、フィラを施術ブースへ促す。改善された血行を確かめながら、手を清めた。
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