第6話

 ゾノの店は、城から少し離れた森の中にあった。白っぽい石造りのマルティヴァとは違い、こちらの建物は黒っぽくまだらな色の石造りだ。どれくらい離れているのかは分からないが、気候も風景もまるで違う。針葉樹林で埋まる森は、冷たくも清々しい匂いに満ちていた。

 魔王に拒否された一件を伝えると、ゾノは落胆の溜め息をつく。

「やっぱり無理だったか。すまんな、振り回してしまって」

「いえ、気にしないでください。あの時は助けていただいて本当にありがたかったですし、ここで私の技術が役立ちそうなのは確かなので」

 ゾノはろうそくの火を増やしたあと、簡素な木のテーブルに着く。店内は予想より広く、奥には作業場らしきスペースと所狭しと吊り下げられた薬草の束が見えた。漂う清涼な香りが心地よい。

「鈴様は、シンキュウセイタイインをこちらでも開きたいとお望みなのです。それならゾノ様のところに間借りなさってはと、私がお勧めいたしました」

 シェイアの説明に、ゾノは頷いて私を見る。白髪の巻き髪は短くこざっぱりとして、険のある顔立ちには少し翳があった。年老いてはいるが眼光鋭く、私を助けてくれた時の印象は今も揺るがない。

「随分気に入ったな、シェイア。俺の時とは大違いだ」

「そっ、それは、あの頃はまだ私も若かったので」

 シェイアは、恥ずかしそうに前足で頭を押さえる。声が澄んでかわいらしいから、てっきり若いと思っていた。少なくとも六十歳は越えているのか。

「魔族領でこうして暮らしているが、俺も半分はお前と同じ人間だ。母親がシルフで、人間領では詐欺師をしていた。捕まった時に魔族の血が入ってるとバレて、牢にぶち込まれてな。そのあと、王子の代わりに送り込まれて十年戦争を引き起こしたんだ」

 自嘲交じりの告白に驚いて、ゾノを見据える。

「でも先代は、俺を殺さなかった。『望んでここに来たわけではなかろう』と言ってな」

「それどころか、国へ戻れば殺されるからとこの地に住まうことをお許しになったのです」

 続けたシェイアは、なんとなく苦笑していそうな雰囲気だった。

 人間側は神の子としてそれ以外の排除を是とするのに、こちらはそうではないらしい。もちろん人間にも友好的な者はいるだろうし、人間を憎む魔族も少なくないだろう。ただ上に立つ者の考えが強い影響を与えるのは、どちらも同じはずだ。

「その度量の深さに惚れ込んで、少しばかりあった薬草の知識と魔力、人間領にいても不審がられない見た目を活かして薬師をしてるんだ。魔族の治療薬は、人間のそれとは配合が違うからな。ま、皆に信用されてるとは言い難いが」

「年を取って、一層胡散臭く見えるようになりましたしね」

 シェイアの評価に、はは、とゾノは笑う。気心の知れた関係らしい。

「こじんまりとした場所でいいなら、作業場を片付ければできるだろう。ただ場を貸す前に、あんたの腕を見せてもらいたいんだが」

 私が嘘をつく理由はないとはいえ、実際の効果は想像できないだろう。私も、この世界でも通用するのかを確かめておきたい。

「今は手を使うものしかできませんが、構いませんか?」

 ああ、と了承して腰を上げたゾノに私達も続く。奥の作業場はむせ返るような薬草の香りに満ちていて、片付けているうちに寒さで詰まっていた鼻が通っていた。


「右肩が下がってますね。では、今度は腰に触りますね……腰の骨はかなり下がっていて、右側が少し捻れて上がってます」

 現状をチェックするためにゾノを後ろ向きに立たせ、シェイアが見守る中でデモンストレーションに入る。一通り触れて頭の中に浮かんだゾノの骨格に、原因を探る。

「ゾノさん、右脚が上にくるように脚を組んで、左手で頬杖を突きながら右手で作業をする癖がありませんか」

「ちょっと待ってくれ」

 ゾノは一旦手を離れ、作業台の椅子に腰掛け普段の姿勢を取る。予想どおり、猫背もあった。猫背は骨盤が下がり腰椎ようつい、五つからなる腰部分の骨が描くカーブを浅くする理由の一つでもある。

「そのとおりですね」

「すごいな。なぜ分かるんだ」

 驚く二人にひとまずの手応えを得て、安堵する。

「骨格の流れが、ゾノさんの癖を伝えてくれるんです。症状としては腰痛、肩こりがありそうですが」

「そうだ。年々足腰が弱ってきたせいかと思っていたが」

「衰えは仕方ありませんが、歪みを取れば楽にはなります」

 では、と促した作業台にゾノはうつ伏せになった。

 傍らで見届けるシェイアに現状と改善した姿を確かめさせつつ、施術を進める。鍼灸で血行を促し筋肉を緩めるだけでも歪みがとれることはあるが、手技を組み合わせた方が格段に効果は上がる。かつては両親が鍼灸を行い、私が整体を担当することが多かった。沢山の体に触れるうちに骨格が頭に浮かぶようになったが、特別な技ではない。私が整体を学んだ仙人のような師匠は、街を歩く人の骨格が透けて見えると言っていた。

 一通りの施術を終えて、ゾノに立ち上がってもらう。

「どうでしょうか。長年の癖が強いので、とりきれてはいませんが」

「かつてないほど体が軽いし、とんでもなく楽だ。腰の違和感もない」

 ゾノは信じられないように肩を回し、腰を捻る。青白く蝋のように生気のなかった肌にも、今は血色が戻っていた。目に力が戻り、少しだけ険も和らいで見える。

 施術前と同じように立ってもらい確かめた肩と腰の位置は、ちゃんと整っていた。とはいえ放置していれば、また癖に引きずられてしまう。生活指導も大切なアフターケアだ。

「素晴らしいです、鈴様。治療魔法や薬に頼らない、このような方法があるのですね」

「私達の世界には、魔法も魔法薬も存在しません。そんな中で編み出された技術の一つなんです」

 鍼灸も整体も、持たざるがゆえに生まれた技術だ。いつか医術や医薬品が魔法や魔法薬のように全ての不調に対応できる未来が来るまでは、需要が消えることはないだろう。

「あの……私のように、人型でなくてもしていただけるのでしょうか」

 控えめに尋ねたシェイアに、蜘蛛の構造を思い出す。無脊椎動物に分類される蜘蛛には骨格がない。でも筋肉はあったはずだ。

「はい、ぜひ。気になるところがありますか」

「実は、二番目の左脚の動きが悪くて」

 作業台の上に移動し、シェイアは問題のある左脚を持ち上げた。

「かくかくするとか動きについて来ないとか、どんな感じですか。痛みはありますか」

「動かしたあとに、遅れてかくんとついてくる感じです。そうなった時は、少し痛みます」

「いつからですか」

「十年戦争で受けた傷がきっかけですから、五十年は経ちます」

 大人しい声で伝えられた事実に、左脚に触れたばかりの手が止まる。

「シェイアはアラクネ族の筆頭だ。かつては族を率いて戦場に立ち、糸と毒で人間を大いに苦しめた」

 だからエレのことも知って……いや、こっちの人間は、何歳まで生きるのだろう。

「こちらの人間は、どれくらい生きるのですか? 魔族の方々も」

「人間は二百二、三十年ほどだな。あまり参考にならんが、俺は今百八十一歳だ。魔物は種族によるが、アラクネなら五百年は生きる。王族だと千年は固いだろう。先代は九百歳、当代が五百歳か」

「私は三百五十歳ですよ」

 人間ですら二世紀以上か。とんでもなく長寿の世界だ。

 改めて違いを感じつつシェイアの両脚に触れ、付け根から爪先まである五つの関節の動きを確かめていく。屈筋は確認できたが伸筋がない、初めて触れる脚だ。予想外に柔らかな肌の内側は、水分なのかもしれない。

 問題のある左脚は一番爪先に近い第五関節と第四関節の外側が伸び切り、第一関節には詰まったような感じがあった。

「何かを抱えていた時に、外側から何かがぶつかりましたか」

「そうです。負傷した仲間を抱えて避難していた時に攻撃を受けて吹き飛んで、岩に叩きつけられてしまって」

 予想より生々しい経緯に、思わず黙る。その仲間は、とは聞けないまま頷いて、施術に入る。第五関節と第四関節は詰まった内側を元に戻すように、第一関節も特に固くなっていた内側を中心に緩めていく。引っ掛かりが解消されたあとは、右脚の滑らかな動きを頭に置いて可動域を調整した。

「これで、どうでしょうか」

 ついでに全身の関節を調整したから、動きやすくなったはずだ。

「ああ、よく動きます! 痛みもありません。体もすごく軽いです!」

 あちこちを動かしながら、シェイアは明るい声で報告する。鈴様、と呼ぶ声が少し揺れ、瞳から涙が溢れた。

「その時抱えていた仲間は、自分のせいで私にケガを負わせてしまったとずっと悔いているのです。これでようやく、解放してやれます」

 噛み締めるように語られる胸の内に頷き、癒やされていく過去を見守る。私は手に伝わる不調を和らげるだけだが、時々それ以上のものが解消されることがある。痛みと共に感情のわだかまりが消えていく様子は、何度見ても良いものだ。

 鈴、と呼ぶゾノにシェイアから視線を移す。

「もう一人、会ってもらいたい方がいる」

 神妙に響いた声に、居住まいを正した。

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