第5話

 凍土と言えば極寒の印象だったが城内はドレス一枚で歩けるほど温かく、朝食も新鮮な野菜と温かなパンとスープだった。シェイア曰く、城内でハウス栽培のようなことをして野菜を育てているらしい。その環境制御を含めて城内の空調を担っているのが魔王の魔力だと語った。

――先代様も魔王様も、立派な角をお持ちです。

 シェイアの事前情報のとおり、執務室で謁見した魔王は人間と似た外見ながらも側頭部に山羊や羊のような、ぐるりと巻く大きな角を持っていた。しかしそれが生えている頭は小さく、黒の装束から伸びた首も細長い。あれでは、肩と首の負担がとんでもないだろう。

 角のない人間の頭は、成人で体重の約十パーセントと言われている。正しい姿勢であれば、緩やかにS字カーブを描く首から腰に掛けての骨がその重みをバランスよく受け止める。でも姿勢が崩れてカーブに問題が起きると、頭の重みを支えきれず様々な症状が出てしまう。魔王の場合は頭が重すぎるのだろうが、猫背や腰が原因の場合もある。頭痛であっても、頭だけに理由があるとは限らない。

「話はゾノから聞いた。人間どもがまた小賢しいことを企図しているようだな」

 巻物を積み上げた大きなデスクから力の入らない声で話す魔王は、見るからに不健康そうだった。伸ばしっぱなしの黒髪から覗く頬は痩せこけて目は落ちくぼみ、細く尖った鼻先と顎にも肉感はない。顔色は悪く目元はくすんで、瞳にも力がなかった。

「彼らの企みは分かりませんが……あ、申し訳ありません」

 発した声に、魔王は制止するように手をもたげて額を押さえる。

「耳は聞こえるから、ささやくような声でよい」

「分かりました。私は魔法を使わず、体の不調を和らげる仕事をしていました。今拝見しただけでも、魔王様の頭痛の原因は思い当たります。道具はありませんが、手でも苦痛を和らげることができるかもしれません。一度」

「要らぬ」

 あっさりと拒否された提案に、私だけでなく傍に控えたシェイアまで驚いたように頭を上げた。

「異世界の者だろうと、人間は信用できぬ」

 魔王は相変わらずぼそぼそと、しかしはっきりと拒絶を重ねる。寄った眉根に、嫌悪が見てとれた。

「魔王様」

「領の中であれば好きにさせて良いから、もう私のところには連れてくるな。ゾノには私から言っておく」

「……はい」

 目に見えてしょげるシェイアに、一方的に話を終えて執務に戻った魔王を見つめる。勝手に呼び出された私ですら、あの扱いだったのだ。人質として扱われた十年に何があったのか分からなくても、予想はできる。

「鈴様、参りましょう」

 気落ちした声で促すシェイアに続き、踵を返す。

 シェイアの説明からも本人の状態からも、助けが必要なのは間違いない。でも手を伸ばせるのは、向こうが受け入れた時だけだ。手を伸ばして良い時も。

――鈴、「治したい」は欲であることを覚えておきなさい。苦しむ人を見れば手を伸ばしたくなるのは治療家のさがよ。でも「治さなければならない」とは考えないように。それは、治療家の業だから。

 脳裏に蘇る母の忠告を噛み締める。どのような善行でも望まない相手に強いた瞬間、愚行に変わる。母が教えてくれた「望まない人を助けたい時の心構え」は、とてもシンプルだ。

――一旦、その人のことは忘れなさい。

 若い頃には分からなかったが、今は分かるようになってきた。

「協力していただきたいことがあるんです」

 絨毯敷きの長い廊下を戻りつつ、隣を行くシェイアに切り出す。シェイアは足を止めて私を見上げた。

「私はここで、鍼灸整体院を開きたいと思っています。ただそのためには、施術に必要なものを揃えなければなりません。代用できるものを探したいんです」

 治療魔法や治療薬が使えないのなら、ここは私が住んでいた世界と同じだ。私の技が役立てるかもしれない。「好きにして良い」言質は取ったし、魔王のことは一旦忘れて好きにさせてもらえばいい。

「力を貸してもらえませんか」

「はい、喜んで。ゾノ様もきっとお力をお貸しくださるはずです」

 表情は分からなくても、晴れやかになったのは分かった。今は、できることをすればいい。部屋に戻り、早速計画を練ることにした。


 必要なのは開く場所とベッド、何より治療具だ。手技だけでも開業できないわけではないが、やっぱり鍼と灸が欲しい。

「細く長い針を沢山持ってる種族はいますか? できれば太さは〇.一から二五ミリ前後、長さは四センチほどで金属のように丈夫でしなりの良いものが必要です。使い捨てにしたいので、できるだけ沢山欲しいですね」

「その条件ならオオマヤマアラシの下毛、キラービーの針、ナガケムシの毛くらいでしょうか。植物にもいくつかありますね」

 挙げられた候補を荒い紙に書きつけ、頷く。何種類か欲しいから、一通り集めて比べたい。あとは、灸か。植物や果物は私のいた世界と変わらないようだから、あるかもしれない。

「こちらに、ヨモギはありますか?」

「はい。魔族領に生えているものはマヨモギと呼ばれていて、ゾノ様もよく使っておられます」

 灸の材料となるもぐさは、ヨモギの葉の裏にある綿毛だ。葉を乾燥させて潰し、綿毛以外を取り除いて作るから手間がかかる。鍼の提供も含めて、生産体制を作りたい。

「場所は、患者さんが出入りしてもうるさくない場所がいいので城外ですね」

「でしたら、ゾノ様のところに間借りされてはいかがでしょうか。ゾノ様は城外にお店を構えていらっしゃいますので」

 思い出す表情は険しくとっつきやすいものではなかったが、同じ棟で商売ができるのならありがたい。早速準備をして、出掛けることにした。

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